第30話

 愛工の遺体を艦内に収容した伊375潜は、その死を悼む暇もなく戦闘を開始した。

 14センチ艦砲が轟音を上げる。25ミリ機銃が連続して火を吹く。迫撃砲が弾丸を撃ち出す。爆炎と煙に包まれた無人島で邪神の巨体に伊375潜の兵器が襲いかかった。

 邪神は身体のあちこちを削り取られるが、急速にその部分を再生していく。太古の神は攻撃を意に介することなく歩を進め、既に浜辺に到達していた。

「落ち着け、頭部を狙え!」

 司令塔に立つ叶槻の指示で14センチ艦砲が邪神の頭部に照準を定め、発射された。砲弾は狙い違わず邪神の頭部を粉々に吹き飛ばした。甲板上の兵たちが歓声を上げる。

「やった!」

「蛸入道め、ざまあみろ!」

 しかし、一同の喜びは数秒後に失望に変わった。邪神の首の付け根から肉体が再生され、頭部はすぐに元通りになった。人間の無駄な抵抗を嘲笑うかのように、顎から伸びる無数の触手があらゆる方向に蠢いた。

 頭部すら再生するのか。脳を破壊すれば再生も止まると思っていた叶槻は衝撃を受けた。あいつの脳は頭部にはないのか、そもそも脳などないのかも知れない。あの巨大な神は我々とは全く異なる理屈で動いているのかも知れない。

 邪神は浜辺から海に足を踏み出した。まずい。伊375潜を上回る、あの巨体に捕まったら一巻の終わりだ。

「後退、島から離れろ!」

 伝声管で機関部にいる引馬に命令する。伊375潜は艦尾を先頭にして懸命に邪神との距離を取る。貨物船シルバーキーの横を通過した。叶槻はベイカー教授がまだあの船に居ることを思い出した。しかし、どうにもならない。今はこちらの方が遥かに危ないのだ。

 彼は傍らに立つナンシーに向き直った。

「どうすればいい」

 ナンシーは少し苛立った口調で答える。

「何度も言ってるでしょう。あれは神なのよ。人間には神を殺すことも、滅ぼすことも出来ないわ」

「俺たちも世界も滅びるしかないのか」

「殺すことも滅ぼすことも出来ない。だけど、元の状態に戻すことは出来るかも知れないわ。あの島を沈めるのよ。そうすればクトゥルフはルルイエに帰るかも。今ならまだ間に合うかも知れない」

「この潜水艦には魚雷が2本しかないんだ。そんなこと出来るわけがない」

「手は有るわ。あの貨物船を沈めれば、積んである爆雷が海底で爆発する。その衝撃で島は沈むわ」

 ナンシーがシルバーキーを指差した。

「あの船にはベイカー教授が居るんだぞ」

「わかっているわ。でも、もう時間がないのよ」

 数秒の逡巡の後、叶槻は決断した。甲板上の兵たちに命令を下す。

「奴の下半身を集中攻撃しろ!両足を破壊するんだ!その後潜望鏡深度まで急速潜航する!」

 伊375潜の全火力が邪神の足元に集まる。その両足は砕かれ、巨体が浜辺に倒れ込む。

「急速潜航!全員艦内に戻れ!」

 叶槻とナンシーが艦内に飛び降りる。それに続いて砲術担当の兵たちがなだれ込んだ。

 伊375潜は艦首から海水に浸され、甲板上に山積みにされた数百体の金色の彫像、遥かな昔に邪神を崇めていた正体不明の人ならざる者たちがオリハルコンを材料にして作った神への供え物は全てが押し流され、海底に沈んでいく。それを惜しむ者は最早1人もいなかった。

「雷撃準備!目標、前方の貨物船シルバーキー!」

 叶槻が艦首に向けて大声で命令すると水雷担当の兵たちが迅速に対応する。

 伊375潜は海中に身を置いたまま、艦首をシルバーキーに向けた。照準を目標の中央に定める。2本だけの魚雷だ。失敗は許されない。ぐずぐずしていると再生を終えた邪神に捕捉されてしまう。様々な重圧が潜望鏡を覗き込む叶槻にのしかかる。

「艦長!」

「艦長、お願いします!」

 兵たちが口々に叫ぶ。

 叶槻は医務室に安置されている愛工を思った。

 副長、君が最後まで守り通した魚雷を、今使うぞ!

「一番、射て!」

 その声を受けて伊375潜の艦首から1本の魚雷が放たれる。雷跡を殆ど残さない酸素魚雷は目標の貨物船に一直線に疾走していった。

 数秒後、爆発音と共にシルバーキーは中央から真っ二つに折れた。

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