第20話

 蘭堂が反乱者側に加わったのを見て、上陸隊の兵たちは団逸を除いて全員が叶槻から離れていった。彼らは島の遺跡を見ている。こんな気味の悪いところに置き去りにされたら堪らないと思ったのだろう。

 叶槻はなおも食い下がった。

「お前たちにだって家族はいるだろう。その人たちを見捨てて、自分だけ助かろうというのか?それでいいのか?」

 この言葉に新兵たちは動揺した。互いに顔を見合わせる者、俯く者がいた。

 彼らの様子を見て、愛工は顔をしかめた。ベテラン兵たちが新兵たちを睨み付けるが、それを引馬が制した。引馬は改めて新兵たちに静かに語りかけた。

「今、日本では片っ端から特攻隊を編成して敵の軍艦に体当たりさせている。飛行機だけじゃない。特攻用のモーターボートや潜航艇も作っているんだ。日本に帰ったら、お前ら新兵はそういう兵器に乗せられるかもしれない。その可能性は高い。俺たちみたいなベテランには声はかからない。本土決戦用に温存するためだ。若い奴ほど特攻に選ばれる。もちろん特攻は志願制だが、上層部が特攻を提案してきたら、お前ら断れるか?軍隊経験の殆どない若い奴らは、その場の雰囲気や勢いで決断してしまう。俺はそういう奴らを沢山見てきた。だけど、上層部は間違っている。若い奴らは将来の日本の宝だ。そいつらを先に特攻させるのは絶対に間違っているんだ。行くなら俺たちが先だ。俺はお前たちに死んで欲しくないんだよ。副長はお前たちのことも考えて反乱を決意したんだ。家族を見捨てるなんて考えるな。今は自分の命を大事にしてくれ」

 この言葉に新兵たちは感激したのだろう。涙声で次々に叫んだ。

「機関長、ありがとうございます!」

「自分は機関長と副長についていきます!」

 この時、叶槻は心底後悔した。引馬ともっと話しておけば良かったと。愛工は怒りで動いているが、引馬は憐れみで動いている。この男と親しくなっていれば、愛工の企みを未然に防げたかもしれない。

「愛工、引馬、お前たちの家族はどうなるんだ。よく考えろ」

 愛工は刺すような眼で叶槻を見た。

「俺の家族は皆、死んじまったよ」

「何?」

「俺と引馬は餓鬼の頃からの腐れ縁でな。東京の深川で近所に住んでいた。潜水艦乗りになった時から結婚は諦めていたが、それでも両親や兄弟が暮らしていた。しかし先月の東京大空襲で辺り一面焼け野原だ。俺の家族も、引馬の家族も生き延びられなかった。日本軍は俺たちの家族を守れなかったんだ」

 愛工は少しの間下を向いて黙っていたが、すぐに怒りに燃える眼で叶槻を睨んだ。

「だから俺は日本を捨てる気になったんだ。犠牲ばかり強いて、何も報わない日本を」

 引馬が愛工の肩に手を置いた。愛工はそれ以上は何も言えずに俯いた。引馬は、未だ決心しかねている団逸に話しかけた。

「団逸、俺がお前にミッキーマウスのバッジを譲った本当の理由を教えてやるよ。あれは元々年の離れた弟にやった物だった。大層喜んでな、自分の机の奥にしまって宝物扱いをしていた。空襲の後、実家に戻ったが、焼け落ちた家の中からそのバッジだけが見つかった。弟の形見として持ち帰ったが、その直後にお前に会って驚いた。お前、弟によく似ているんだよ。だからお前にそれを譲ったんだ」

「機関長……」

「団逸、俺たちに付いてこなかったら、お前と艦長はあの貨物船に移されるだろう。あの船の通信機は破壊するから、救助は呼べない。俺たちが去った後、2人だけであの船を動かすのは不可能だっていうのは、お前にもわかるだろう?俺はお前には生きていて欲しいんだよ」

 それを聞いた団逸は叶槻に深々と頭を下げ、機関長の元に歩いていった。

 愛工が勝ち誇ったように笑い続けた後に言った。

「お前の負けだ。元艦長」

 屈強な体格のベテラン兵が数人叶槻に近づくと、彼をうつ伏せに押し倒して手足を動けないようにのしかかった。

「お前だけは連れていく訳にはいかない。こちらの支度が整うまで貨物船の中で大人しくしていてもらう。勿論、暴れないようにしてな。蘭堂先生!」

 それまで目を閉じて下を向いていた蘭堂は、いきなり自分の名前を呼ばれたので、びくっとしながら顔を上げた。

「負傷兵の治療前に、俺たちの仲間になった証として、こいつに麻酔を打ってもらおうか。丸1日は目が醒めないようにな」

 兵の1人が蘭堂に軍医鞄を手渡す。蘭堂はその中から注射器と薬瓶を取り出して、麻酔の準備をした。

 叶槻は懸命にもがくが、男たちに組み伏せられてどうにもならない。蘭堂はそんな彼に近づくと右腕の袖を捲り上げた。

「申し訳ありません、艦長……」

 そう言って蘭堂は叶槻の右腕に注射器の針を刺した。

 日暮れまでまだ間がある中で、叶槻の視界だけが急速に暗くなっていった。

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