第56話 この女は私の敵

「フフッ、キス、しちゃったね…」



 目の前の光景が信じられなかった。信じたくなかった。

 連くんが他の女とキス、していたなんて…。



 私達はあの後、洋子さんの送ってもらい帰宅し、連くんの帰りを待っていた。

 今日の事を改めて連くんに言いたかった。何を言おうか色々考えて凄くドキドキしていた。とにかく格好良かったけどそれだけじゃ足りない。自分の語彙力をフル動員して考えた。

 2人も何を言おうか色々と考えていた様だった。



 その時、玄関の方から人の気配がした。間違いない連くんだ。

 私達はその気配を感じるや否やすぐさま玄関に向かい、ドアを開けた。


 お帰り、連くん。今日は凄く頑張ってたね。格好良かったよ!そう言って抱きしめたかった。



 でも、私の思いは一瞬で崩された。



 いきなりの事で呆然とする連くんに対して妖しげな笑みを浮かべる女。

 あの女、確か写真撮影会で帽子を被っていたスタッフの女だ。やはり私のあの時の直感は正しかった。やはりあの女は私から大切なもの、すなわち連くんを奪おうとしている。


 この時、それまで考えていた事全てが頭の中から消えてしまっていた。代わりにあるのはあの女への激しい怒りと憎悪だけ。許せない許せない許せない



 その時、鬼の形相をした穂希が物凄い勢いで連くん達の方へ駆け出した。

 あの女に向かって手を上げる。気持ちは分かるけど穂希、それはダメよ!



 だけど、穂希の手は止められていた。

 止めていたのは連くん……。



「穂希、どうしたんだ急に。一旦落ち着け」

「落ち着いてられる訳無いでしょ!この女がアンタにキスしたのよ!一体この女誰よ!」

「この女って…、この人は河原木美晴さんって言って俺のチームの先輩だよ。今日は家が近いって事で送って来てもらったんだよ」

「先輩!?じゃあ何でキスしてるのよ!?ただの先輩後輩ってキスするもんなのヒーローショーって!?違うでしょ!アンタ、アタシ達に内緒でこの女と付き合ってるんじゃないの!?」

「そんな訳あるか。こっちもいきなりの不意打ちで驚いてんだよ。本当に急にどうしたんですか?キスなんてして」

「ただ君への気持ちを表した、それだけさ。それよりそんなに怒ってる君の方がどうしたの?連くんは彼女はいないって言っていたけど。それにそこの2人も」



 私達を指さす河原木美晴とか言う女。ん?河原木美晴…?美晴……?あれ?あの女ひょっとして…。



「もしかしてハルさん…?プロコスプレイヤーの」



 それに答えるかのようにしたり顔をする。当たりの様だ。

 そして彼女も何か合点がいったような顔をしている。



「そう、ボクはハルだよ。君達と直に会うのは3度目かな。今日撮影会に来ていた3人娘さん」



 私達の事がバレてる…!?それを見てハルさんは笑いを堪えきれない様にしている。



「なるほど、ボクと帰るのを嫌がっていたのはこういう事かぁ~。桐生連と桐生水沙、考えてみればそうだね。それにしてもそうかぁ。まさか「ディーヴァ」が身内だったなんてね。確かにこれはバレたらヤバいね」


「ハルさんこそ!プロコスプレイヤーがこんな所で男と2人でいるなんてそっちこそバレたらヤバいんじゃないですか!?」



 穂希は未だに激怒しながら食い下がる。



「そこは上手くやってるさ。それにボクは君達ほどの知名度がある訳じゃないからね。色々行動に支障がでるような事は余り無いさ。それより今の君の方がヤバいよね、怒鳴り散らしてボクに手を上げようとしたなんて、そっちがスキャンダルものだよ?須田穂希さん」

「…っ!」

「それに君はボクらの仲をイチイチ言える様な間柄なの?さっきも言った様に連くんは彼女はいないって言っていたから君は連くんの何?」

「ア、 アタシは連の幼馴染で……」

「幼馴染ねぇ…。じゃあ連くんの事、ずっと昔から好きだったとかいう奴かな?」

「ち、違っ…!アタシはそんな事は…!」

「違うならボク達のやる事を君に口を挟まれる謂れは無いね」

「ちょっと河原木さん、そこまでにしてください」

「でも…でも…でも……うわぁぁぁぁぁぁん!!」


「穂希…!大丈夫だから泣かないで……」



 穂希は大声を上げて泣き始めてしまった。

私と綺夏もそちらへ駆け寄る。私は穂希を抱きしめて慰める。綺夏はまだ敵意をハルさんに向けていた。綺夏の気持ちは痛い程よく分かる。だって私も全く同じ気持ちだから…。



「アタシは…!アタシは…!」

「流石にやり過ぎちゃったかな」

「やり過ぎですよ。泣かせるまでする必要ありますか」

「それもそうだね。ゴメンね、つい揶揄い過ぎちゃった」



 連くんに叱られ、穂希に謝るハルさん。その顔は本当に申し訳なさそうだ。



「とりあえずこんな所で立ち話もアレだし、穂希も泣き止まないしとりあえず中で話しようよ」



 ドスの効いた低い声で綺夏がそう提案する。いつもクールだけど何を考えているかよく分からない綺夏にしては珍しくハッキリとした怒りがその声だけで伝わる。



「そうね。じゃあ私の家のリビングに行きましょうか。それで良いですよね?」

「別にボクは構わないよ。でもまさか後輩を送りに行ったらアイドルのお宅訪問になるなんてね」

「えっちょっと待って。状況がよく分からないんだけど」

「連くん、ゴメンね。ちょっとお姉ちゃん、ハルさんと大事な話があるから先に一人で部屋にいてくれる?話が終わったら絶対に行くからね!」

「別に来なくていいんだけど…、大事な話ねそれは分かった」



 とりあえず連くんを納得させて女4人だけでリビングに向かう。

 リビングの椅子に座るハルさんを私達3人が囲む。穂希ももう大分落ち着いた状態になっていた。



「穂希、大丈夫?」

「落ち着いた?」

「うん、大丈夫。みっともない所見せちゃったわね」

「ちょっと冗談が過ぎたね、改めてゴメンね」

「もう良いですよ…。アタシも頭に血が上っちゃってて…」

「それでハルさん、単刀直入に聞きます。あなたは連くんの事をどう思っているんですか?」

「好きだよ。愛してる」



 私の質問に全く表情を変えずに答える。その答えには何の躊躇いも無かった。そして目も…。



「愛してるって…!連と出会ってまだ何ヶ月とかじゃないですか!?」



 余りにも迷いなく答えるその言葉にまた穂希が声を荒げる。



「別に愛は時間がものを言う訳じゃないさ。思いの深さだよ。確かにボクと連くんは出会って2ヶ月位だ。一緒に居る時間なら君達の方が遥かに長い。でも、その間にボクは連くんのキャラクターショー、特撮に対するひたむきで誠実な姿を見続けてきた。それに君達なら分かるけど、ボクも結構下心丸出しな男達に言い寄られる事が多くてね、正直、辟易しているんだ。でも、彼はボクをそういう目で見ない。一人の先輩として人間として慕ってくれている。それがたまらなく嬉しいし、愛おしいんだ。そうしてボクは何時の間にか彼に惹かれていた。それだけさ。強いて言うなら自分が結構年下好みだったんだなっていうのは意外だったけど」



 迷う事無く言い切ったハルさんの顔は凄く清々しかった。本当に連くんの事を愛してるのが伝わる、それは私も同じだからよく分かる。

 恐れていた事態になってしまった。連くんは基本的に今まで私達以外の人間とは深い関わりを持とうとしなかった。だから私達以外に連くんの魅力を分かる人はいないと思っていた。

 でも、連くんがアクションチームに入団する事で連くんと関わる人達が増えてその魅力に気付いてしまう人がいるんじゃないかって。

 事実その通りになってしまった。しかも相手がプロコスプレイヤーとして鳴らしているあのハルさんだなんて…。


 ハルさんは以前はある事務所に所属していたが今はどこか別の事務所と業務提携という形をとってフリーで活動していると聞いていた。何でも前の事務所とトラブルがあって辞めたらしい。私達3人は一度イベントで顔を合わせただけだったからその辺りの事情は深くは分からない。ただ、芸能界が一度事務所を辞めた人間がそうそう一人でやっていける世界では無い事は私も分かっている。でも、彼女は違った。フリーとなった後も仕事は途切れなかった。仕事量は増えていると言っても良い。彼女にとっては今の状況の方が好ましい事は一目瞭然だ。

 でもハルさんが連くんのいる事務所に業務提携してスーツアクターもやっているとは思わなかった。

 前に公式HPを見た時も連くんばかりで他のメンバーに全く目が行っていなかったのはハッキリ言って失態だったな。



「でも彼はまだ未成年だからね。ボクは節度を弁えているから大人になってから告白するよ。だからそれまでは彼の姉でいるよ。ま、最も彼の方から動いてくれたら必ずイエスって答えるけどね」


「連くんの姉は私一人だけです!ハルさんが連くんの姉になる事も彼女になる事も私は絶対に認めませんから!」



 冗談じゃない!連くんの姉はこの世で唯一人、私だけだ。昔、綺夏が連くんに無理やり「姉ちゃん」と呼ばせていたのを怒って止めた事があったが、今回はそれ以上の怒りを覚えている。私と連くんの関係に第三者が土足で踏み込まないで欲しい。


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか挑発する様に微笑むハルさん。いや知ってか知らずかじゃない。間違いなく私の気持ちに気付いている。さっきの穂希だってそうだ。揶揄いすぎは事実だろうけど、穂希の連くんへの気持ちに気付いてあえて揺さぶりをかけていたんだ。この様子だと間違いなく綺夏の気持ちも気付いているだろう。昼間、あれだけ大胆な事をやっていた綺夏の事を分からないはずがない。



「へぇ、随分な事を言うね。水沙さんも…いや3人とも連くんの事好きなんだね?それも異性として」

「それが何か?」



 苛立たしさを隠しもせずに答える綺夏。



「幼馴染の穂希さんはともかく、水沙さんと綺夏さんもねぇ…。そういえば水沙さんと綺夏さんは従姉妹同士だったね。じゃあ連くんと綺夏さんも従姉弟か。ま、従姉弟なら結婚できるから良いのか。それにしてもどんな大物達も袖にしてきたあの桐生水沙の想い人が実の弟だったなんてね…。連くんは…、君達の気持ちには気付いてない様だね、あの様子だと」

「それは私達も分かっています。でも少なくとも私は連くんが何時か振り向くと信じてアピールしていますから」

「最後に連ちゃんと結ばれるのはわたしだからね。そこははっきりさせておくよ」

「アタシだって今は素直になれないだけでいつかちゃんとこの気持ちを伝えてアイツと結婚するんだから」



 そんな私達を見て笑うハルさん。やはり彼女は私達をあえて挑発する様な素振りをしている。



「幼馴染に従姉に姉、美少女3人に好意を寄せられてるのに気付かないなんてとんだハーレムラノベの主人公だね、連くんは。いや、違うな。年上のお姉さんにも好意を寄せられてるから4人か」

「ハッキリ聞かせてもらいますけど!あなたはアタシ達の敵って事で良いんですよね!?」

「敵ねぇ…。恋敵って事なら間違いないね。ボクは君達の敵さ」



 不敵な表情で私達を見る。目は真剣に宣戦布告を物語っていた。

 その挑戦、受けて立つわ!



「ま、敵と言っても勝負は正々堂々、連くんにアピールし続けるだけさ。それにこれからボクと君達は今まで以上に深く関わっていく事になりそうだ。敵ではあっても敬意は表していこうじゃないか」



 そう言いながら立ち上がり手を差し出すハルさん。

 これは手を重ねろって事?私達3人はお互いに目配せして少し思案してからハルさんと手を重ねる。



「フフッ、これで勝負開始だ。でもキスしてる時点でボクが一歩リードかな」

「「「…っ!?」」」



 本当にこの人はイチイチ癪に障る言い方をしてくる…。



「キスだったら今からわたしがし直させるよ。ハルさんという毒の消毒も兼ねてね」

「毒とは言ってくれるね」

「毒も毒、猛毒よ。この女郎蜘蛛」

「そんなハンディ取り返しますよ。何たって私は連くんの姉ですから」



 そしてそのまま手を離す私達。

 ここから連くんを巡る戦いが本格的に始まるんだ…!



「話はそれだけ。それじゃあボクは失礼するよ」



 そう言ってリビングから出ようとするハルさん、だか一度立ち止まってこちらを振り返る。



「そういえば水沙さん、ボクが連くんの姉ならボクより年下の水沙さんも一応、ボクの妹になるのかな。でもいずれ立場は逆転するかもね。その時はよろしく頼むよ、お義姉さん♪」


「~っ!!」



 私は連くん以外の兄弟は必要ない!!誰にもお義姉さんなんて呼ばせるつもりは無い!

 連くんの恋人、そして妻は私がなるのだから!



 ハルさん――河原木美晴には絶対に負けられない!姉としても女としても!

 そしてハルさんは我が家を後にした。



 だが私はすぐに思い知る事になる。ハルさんの登場は新たな波乱の幕開けでしか無かった事を…。

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