第28話 言霊

  昨日の運動場での透子との出来事が、頭の中を何度も蘇り、いつにも増して古典の授業に集中出来ずにいた颯天はやて


(雅人にも、聞いて欲しかったのに……そんな時に限って、雅人は昨日は遅くなっても寮に戻らなかったし。やっぱり、僕ら研修生なんかと違って、現場の人間は忙しいんだな……)


 いつもなら、眠くなるような授業だったが、今日の颯天には、胸につかえているものが大き過ぎて、睡魔さえも遠退とおのかせていた。


「日本人は、古代から、言霊というものをとても大切に扱って使って来た」


 その言霊を意識しているせいか、古典教師の芹田太郎の声が、いつもより饒舌じょうぜつな雰囲気で教室内に響き渡っていた。

 珍しく睡魔に襲われずに授業を受けていられる颯天は、教室内を見渡した。


(みんな、意外としっかりと耳を傾けているんだな~。こりゃあ、居眠りしていた僕が目立つわけだ……特に浅谷さん! いつだって自分が指名されてもいいように、常に身構えているようにも見える。自分がヒロインだと思い込めるような人は、なんか、どっか普通の人とは違うんだよな~)


「むろん、皆一人一人が持つ名前というのも、それぞれにとって、非常に大事な意味を持つ言霊なのだ! そして、それは、あたかも親が名付けたように思われているが、違っているんじゃ! 実は、生まれる前に、自分達がその名前を選んで、両親にお腹の中からテレパシーで、その名前を選ぶように仕向けているそうなのじゃよ! 何とも神秘的なものよのう! ところで、君らは、自分達の名前の由来というものを知っているだろうか?」


 待ってましたと言わんばかりに、一番先にサッと挙手した千加子。

 その千加子を無視して、話を続けた芹田。


「わしの場合、という名前じゃ。まあ、今時珍しいほど古風な名前じゃが、昔は、そこら中でありふれていた名前じゃったよ。自分が呼ばれたと勘違いするのがしょっちゅうなくらい、あちこちにという名前の男が存在していたのじゃ。いや、人間ばかりか、犬の名前にも使われておったわい」


 そう言いながら、豪快にワッハッハ笑いをした芹田。

 挙手を続けている千加子をそこでも無視していた。


という名前は、そういう、今風ではなくて格好悪い感じの名前に思われるかも知れぬが、実は、その印象とは、非常にかけ離れた意味合いを持つ名前なのじゃよ」


 ワッハッハ笑いを止めて、意味深な面持ちに変わった芹田。

 じれったそうに、千加子の挙手していた右腕の肘が曲がり出した。


という名付けられている男は、長男である事が多い。やはり、わしも長男だったがな。なぜなら、というのは、最初とか、最も優れたものに対しての呼称でもあるからじゃ。『神の子』などという意味合いもあるのじゃよ。君らは、を知っているじゃろう?」


(、誰だっけ……? 昔の時代劇とかの役者とか?)


 聞き覚えの無い名前に、疑問顔の生徒達が大半だった。


「はい、利根川です!」


 益田が当然の如く答えた。


(えっ、川……? 人の名前じゃなかったんだ……)


「その通りじゃ。昔は関東平野は板東と呼ばれていたのじゃ。利根川は知っての通り、流域面積が日本一の川じゃからな。それで、利根川が板東太郎と言われるようになったのじゃ。筑紫次郎、四国三郎というのも人名ではなく、川の名じゃ。益田君は分かっていると思うが、常識的に、君らも知っておく方が良かろう」


(筑紫次郎に、四国三郎か……寮に戻ったら調べよう)


「これで、という名前の偉大さが、君らにも伝わっただろう! そうそう、『神の子』などという意味合いもあるのじゃよ。自慢できる名前じゃろう! さてさて、皆の名前の由来でも聞かせてもらおうかな」


 千加子が乗り移ったか、日頃の千加子の態度への見せしめのように、得意気に語っていた芹田。

 そんな大それた意味合いを持つ芹田の名前の後に、自分の名前の由来を伝える事の出来る人はいないと思いきや……

 河川名について分からず、挙手していた腕をひとまず下ろしていた千加子の曲がっていた肘が再びピンと伸びていた。


(諦めが悪いというか、後に引けないというか、とにかく、浅谷さんは自分の自慢話をしたいんだ……)


 発言できるまでは、意地でも挙手し続ける態勢を崩さない千加子の方に、やっと視線を向けた芹田。


「随分と待たせたね、浅谷君」


 千加子の挙手は、最初から芹田の視界に入っていたが、やはり、敢えて芹田は、自分の名前の由来を優先的に伝えたかったのだと分かった颯天。


「私の名前は、一十百千万の「千」に、加えるの「加」に、子供の「子」で、千加子です。この名前の由来は、私が加わると千人力という意味を込めて名付けたそうです。私自身、その名前に恥じないように、常に意識して生きています!」


(はぁ~! さすがは、浅谷さん! 親御さんも、こうなる事を願って、そんな強靭きょうじんな名前を選んだんだな~)


「そうかそうか、立派な事だな~! 名前も力強いが、その心がけも素晴らしい! 他には、名前の由来を聴かせてくれる者はいないかのう? 益田君、どうじゃ?」


 誰も挙手していなかったが、研修生の中でも、浅谷と並び際立っている益田を指名した芹田。


「はい、僕の名前は「知道」です。本来ならば、文武両道が願いでしたが、僕の両親は、どちらかというと、知性を優先させたかったようです。ですから、知力が増す道を選ぶようにと名付けられました」


 益田と同様、研修生の中で優れている生徒の中に、下川がいるが、彼の方が武力が目立ち、益田は知性的な面で補っている面も見られた。


「そうか、なるほどな。では、下川君、君の名前の由来も教えてもらえないかね?」


 芹田は、この古典の授業態度だけで、彼らが逸材と理解出来ている様子で、下川を指名した。


「僕の名前は、『える』という漢字一文字で、『ひとし』と読みます。乱れた世の中を整える役目を担うように、という願いを込められました」


「ほうほう、とても良い名じゃな! あと一人くらい、聞いてみるか。宇佐田君、君の名前の由来を教えてもらえないかね?」


(僕……? ああ、そうか、優秀な人達と比較する対象が欲しかったんだ。まったく~、意地悪だな、芹田先生は……)


「僕の名前は、颯天です。颯爽の『颯』に、天井の『天』です。名前の由来は、親に確かめた事が無いから分からないですが、多分、僕の予想だと、風のように軽く、頂上を目指すような感じでしょうか?」


 僕が発言すると、クラスメイト達が小馬鹿にしたように笑い出した。


「なかなかに清らかで神々しい名を持っているな、君は!」


 名前負けだと言わんばかりの芹田と、クラスメイト達の反応だった。


「はい、完全に名前負けですが……」


 その言葉により、心ならずも、ますます笑いを取っていた颯天。

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