メビウス後輩
メビウス後輩 前編
文芸部といえば聞こえはいいが、陽キャに憧れた陰キャの巣窟が実態だった。だから活動に関係のない夏合宿なんてやりたがるし、高い金を払ってわざわざ好きでもない奴らと旅行をする羽目になる。
ならお前は、
そう言う者もどこかにはいるだろう。
「山嵐先輩、漫画に出てくるような古い旅館ですよ。テンション上げて行きましょうよ」
若干テンション高めの黒髪の少女。メガネ越しに俺を真っ直ぐに見つめるこの少女こそが、全ての元凶だった。
旅館の部屋に荷物を置き、一日目は淡々と終了した。
二日目。
やけに眩しいなと目を開ける。身体中がバキバキで、動かすたびに激痛が走る。
「そうか……窓際の席で寝たのか」
俺は、人間が嫌いだった。吐き気がするほど大嫌いだった。だからみんなは客間で寝ているのに、俺は一人こんなところで座ったまま寝ているのだ。
本当ならこんな旅行にも来なかったのに。そう思いながら俺は旅館を出る。
「おぉ」
旅館の玄関口からは、すぐに海が見えた。歩いて数分の距離だろう。砂浜には、地元のスポーツ少年やら犬の散歩をしている人が見える。ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。まだ朝の五時だと言うのに、もう朝日は砂浜を焼き始めている。
「よぉ行平、早いな」
「小暮、お互い様だろ」
俺の隣で、水平線を目を細めながら見ている男。小暮は俺の幼馴染だ。茶髪に高身長、顔は上の中というモテそうな要素を詰め込んだような男だ。普通に黒髪で中肉中背、顔は頑張って上の下な俺とは正反対だ。
「にしても良いところだな」
「あぁ、人が少ない部分は評価できる。けど、他の奴らと同じ部屋なのは納得いってない。あれだけの旅費があれば、もっと自由に行動できたのに。なんで集団でこんなところに……」
小暮は苦笑する。そんな小暮の脇腹に蹴りを入れつつ、朝飯を買うべくコンビニに向かって歩き出す。
その時。
「おはようございます、山嵐先輩」
昨日と違ったテンションの高さ。例えるなら、夢を見ていたと思っていたのに、それは夢ではなかった時のような。
そんなテンションでその黒髪の後輩は俺の行手を塞いだ。
「どこに行くおつもりですか?」
「朝飯を買いに行く」
「旅館の朝ごはんは食べないんですか? せっかく料金に含まれているのに?」
「他の奴らと食べるなんてまっぴらごめんだ」
そんな事を言って、少女の横を通り過ぎようとした。まぁ、鯨肉が出るなら考えても良かったがな。
「まぁまぁそう言わずにさぁ」
俺の肩を掴んで旅館に方向転換させたのは、小暮だった。そしてすかさず耳元で囁いてくる。
「今回の旅行の立案者にて、我らが文芸部の紅一点。円谷
「断る。俺はこれから街の方に出てネカフェで時間を潰すんだ」
「頼むよ。それに、環ちゃんが不機嫌だったり元気なかったら……他の部員はどう反応するだろうな」
俺は振り解こうとした手を止め、考える。
「しょうがない、朝食は何時からだ?」
円谷は顔を輝かせ、俺の手を取った。
「八時からです! それまでお暇ですか?」
「暇じゃあない。これから超大事な用事があるんだ」
「いいや。こいつは暇だぜ、俺が断言してやるよ」
「小暮、勝手な事を」
俺は自分の言動を後悔し、自分の額に手を当てた。小暮に暇だと言うことを教えていた事を思い出したのだ。
俺の考えていることを読んだのか、小暮はニヤリと笑う。
「環ちゃん、助けるのは今回だけだぜ?」
「ありがとうございます、山嵐先輩をお借りしていきます」
円谷は小暮に頭を下げ、俺の手を引いた。
海岸に向かって、俺の手を引く黒髪の少女。それが円谷 環。今回の旅行の立案者にして、全ての元凶。
話は春にまで遡る。
春。新入生が蔓延る校舎を、なるべく人に会わないルートで歩いていた。すると、上級不良生徒に絡まれている新入生が一人。遠目に見て早々に引き返そうとしたら、その不良生徒に見つかり絡まれる。不良生徒を軽くのし立ち去ろうとするが、そこで俺を引き止めたのはこいつ。円谷 環だった。
その後俺に付き纏い、幽霊部だった文芸部に入部して内部をまともに作り替え。今回の旅行を立案し。その旅行から逃げていた俺の外堀、家族やら友人やらを説得して俺をほぼ無理やりこの旅行に連れてきた。
黒色の髪の毛を結ぶことなく肩まで伸ばし、上機嫌で俺の少し前を歩くメガネの少女こそ。
「どうして俺を連れてきたんだ」
「先輩、これは文芸部の行事ですよ。そして先輩は文芸部です。逆に来ない方がおかしいですよ」
「文芸部だと? 円谷がほぼ私物化してる円谷大好きクラブだろうが」
その言葉に、円谷は振り返った。そして、朝日に横顔を照らされながら、にこりと笑った。
「えぇ。その方が動かしやすいので」
この半年。半年で、俺は円谷の恐ろしさを知った。行動は全て完璧。作戦に抜け目は無く、人の動かし方も心得ている。文芸部の新入生や二年三年生も男も女も一瞬で手駒にしやがった。そのせいで俺は円谷に強く出れない。
強く出れば、信者と化した生徒に襲われかねん。今ですら円谷に気に入られているからと、文芸部員の男達からは空気のように扱われている。
「先輩」
円谷が急に立ち止まる。その顔が、高さは違えど俺の目の前にやってくる。
「この夏で、先輩を手に入れてみせます」
「絶対ならねぇよ。と言うかなんで俺に固執するんだ」
「先輩の事が好きなので」
これは困った。俺は別に好きでもないし、むしろ恐れている。それに
「俺は人間が嫌いだ」
不機嫌そうな顔をする円谷の横を通り抜け、俺は砂浜を歩く。靴の中が砂まみれで、ジャリジャリする。不快だ。
朝食を食べる間に、別に行動を起こしては来なかった。俺は平和に朝食を食べ終え、早々に部屋に戻ろうとした。すると、小暮に何かを渡された。
部屋に戻る途中でポケットからそれを取り出す。どうやら今回の旅の【しおり】らしい。丸めて近くのゴミ箱に捨てようかと悩んだが、小暮と丁寧に名前が書かれているのを見て流石にやめた。
中には今日の予定が書かれており、朝食、砂浜でオリエンテーション、昼食、旅館の取材、各々の作業、砂浜でバーベキュー、花火、就寝。と一般人からすれば申し分ない夏の一日の予定が書かれていた。
これに参加しなかったらどうなるのだろうかと考えながら、俺は一足先に旅館前の砂浜に降り立った。
さんさんと厄介な太陽が俺を焼こうとするので、なぜか設置されていたパラソルの下に避難した。ビニールシートは熱波で程よく暖かく、まるで温かい便器のような座り心地だった。
ぼーっと水平線を眺めているうちに喉が渇いてきたので、飲み物でも買ってこようかと思い立ったその時。俺の顔の横からアイスが差し出された。地獄に仏とはまさにこのこと。その仏は誰なのか。後ろを振り向いて固まった。
「円谷……」
「はい。暑そうなのでアイスをと思いまして」
「バニラはあんまり好きじゃない」
「そうだったんですか? 買い直してきましょうか?」
「勿体無いからいい。それにこの暑さじゃ味なんてどれも同じだ」
俺は円谷が差し出したアイスを受け取り、食べ始める。
「ちなみに先輩は何味が好みでしたか?」
フルーツ味。と答えようとしたが、万が一バカにされたらと考え、ぐっとその言葉を飲み込んだ。
「どうでもいいだろ。後輩にアイスを買いに行かせるほど俺も落ちちゃいない。いくらだった」
そう言って財布を出しながら、円谷の方に向き直る。そこでやっと、俺は円谷が水着だった事に気づいた。
「なんで水着なんだ」
「砂浜で遊ぶのならば、水着になるのは当然では? でもどうして先輩は水着じゃないんですか?」
俺は自分の格好を再確認する。普通のズボンにTシャツ。夏の街中にいても不自然じゃないような格好だった。
「しおりに書いてましたよね?」
「あ〜……俺のしおりは無い。無くした」
「はぁ……じゃあ昨日のうちに渡しますね」
「あぁ。……え?」
「いいえ。なんでも。とにかく」
円谷は俺の隣に座ってくる。
「先輩、どうです? 私の水着」
俺は目もくれずに、ビニールシートに寝転んだ。
「寝る」
「ちょ、どうしてですか!」
「やる事ないからな。水着だったら遊んでも良かったが……」
俺は大きなあくびをして、本格的に眠り始めた。隣で円谷がやいやいと騒いでいるが、お構いなしだ。
小暮に蹴り起こされる。目覚めてみれば、もう昼食の時間を過ぎていた。
「お前何やったんだ? 環ちゃん落ち込んでたぞ?」
「……何もしなかったんだよ。昼食はどうなった?」
「お前抜きで食ってたよ。安心しろ、海の家で焼きそば買ってきてやったからよ」
「海の家ならカレーがよかったよ」
「減らず口にやる焼きそばはありませぇん!」
「冗談だ」
おちゃらける小暮に笑いながら、俺と小暮は焼きそばをパラソルの下で食った。もう既に日は天井を過ぎ、パラソルの中の俺の足を焼いていた。
そのまま旅館の取材をバックれ、俺は部屋でゆっくりと携帯をいじっていた。すると、部屋の扉が開けられ、部員達数人が流れ込んでくる。
「おい! やめろ! 俺を担ぎ上げるな!」
部員達はまるで神輿のように俺を持ち上げ、旅館の外に引き摺り出した。あたりは既に真っ暗で、みんなバーベキューセットの周りで夕食を楽しんでいた。
「みんな、ありがとうね」
部員達は俺を解放し、バーベキューの輪に入っていった。俺の目の前には、二つの紙皿を持った円谷が立っていた。
「はい、先輩の分です」
「……ありがとう」
「不機嫌そうですね。ナスは嫌いでしたか?」
「いいや。次からは拉致するんじゃなくて、行きたいと思わせる努力をしてくれ」
俺はそう言いつつ、紙皿の上の物を食べる。肉も野菜も美味しい。
バーベキューも早々にお開きになり、みんなは花火を始める。
俺はせっせと部屋に帰ろうとするが、そこを円谷に止められた。
「せっかく来たんですから、ネズミ花火でもしていきませんか?」
「いいや。いい」
「そう言わずに」
ネズミ花火は好きではない。あのウネウネする感じが好きにはなれない。どちらかといえば線香花火の方が好きだ。
しかしせっかくだ。堤防の上に座り込み、円谷が火を付けたネズミ花火を眺める。円谷は火をつけて、急いで俺の隣にやってくる。
「綺麗ですね」
「そうか?」
「そうですよ」
円谷は何も言わずに、俺の隣でネズミ花火を見続けた。
そして唐突に。
「先輩、好きです。付き合ってください」
と告白してきた。俺は当然。
「嫌だ」
と即答した。
「一回フラれたくらいじゃ、諦めませんから」
円谷の言葉を背中に受けながら、俺は自分の部屋に戻った。
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