第22話
高等部の“自立”において『
日が過ぎるにつれて、機械や作業道具が目に見えて増えている『硯研究室』にて、夜稀は紙のメモにペンを走らせる。アナログの方法で記録しているのには、野花が記録を残すなら紙でとお願いしたからであり、研究結果、考察、予想などの頭に浮かんだものを書いていく。
「ふむ。やはり彼の〈
AからHほどまでのラベルが貼られたフラスコが一列にならべられている。その中身はアスクが精製した人間が飲んでも無害な飲料水であり、夜稀は左から順に中身を飲みはじめる。
「──E、炭酸水……しゅわしゅわする、味はA、軟水と同じ。F、ソーダ、炭酸水と同じでしゅわしゅわするが、砂糖の甘さが付与されており、サイダーと定義付けてもいいと判断。G、蜜柑ジュース……蜜柑だこれ……」
夜稀が行なっていることは、アスクの〈固有性質〉の調査である。最初こそ『ペガサス』の活性化率を下げられるだけの能力かと思ったが、他『ペガサス』たちの目撃情報から液体であるならば何でも精製できるのではないかと当たりを付ける。
今回、検証しているのはフラスコの中の液体は、アスクによって精製された飲料水のコピーであり、炭酸から味、飲み心地まで完全再現されていることに、夜稀は夢中になってペンを走らせる。
「構成物質や影響がどうなっているのかは後で調べるとして、水は水で、ジュースは完全にジュースだ……。これなら飲み物には困ることが無くなる……!」
夜稀がここまで喜び興奮するのは、彼女が『
「もし『街林調査』で飲み物が無くなっても、アスクがいれば安心だね」
「緊急時に飲む物に困らなくなるというのは普通に有り難いですね……ふふっ」
ずっと夜稀の検証を見ていた愛奈と月世がそれぞれの意見を口にする。それを聞いて動きは少ないものの嫌がる素振りを見せるアスクに、月世は楽しそうに笑った。
――――――――――
13201:アスクヒドラ
嫌というか、まずいじゃん! 絶対まずいじゃん! 言葉にすると俺が作った毒を飲むんだよ! まずいじゃんっ!
駄目です、いけません、俺のアレは毒なので、毒なので体に悪いですよ! 砂糖マシマシ高カロリーですって! そんなのヨキちゃんに飲ませませんけども!
13202:識別番号04
まだ言っているのか。どれだけ嫌なんだ。
13203:識別番号02
指摘⇒アスクが嫌悪する理由は毒だからではなく自身の体内で精製された液体物を『ペガサス』が飲むという行為に対する生理的嫌悪感が正しい。
13204:アスクヒドラ
訂正しないで? 合ってるけども! 絵面がやばいの!
……まあ、前回言ったとおり、緊急時は躊躇わず作るけどさ……普段使いは勘弁して~。
13205:識別番号04
アスクヒドラに質問したい。味はどうやって再現している?
13206:アスクヒドラ
話題変えられたでござる……。
んー。わからん。全部に言えることだけど、こういうの作りたいなー。できないかなー。できるっぽいなー。できたわー。って最初から最後まで感覚オンリーすぎて自分でも、なんで作れるかマジでわからん。
これも『P細胞』の力なのかね?
13207:識別番号02
肯定⇒アスクの〈固有性質〉は液体精製に特化しているものであり『P細胞』内に存在する莫大なデータからアスクが望むものを全自動で再現していると思われる。
補足⇒味の再現については人間の記憶がなんらかの形で関与していると思われるが現時点では不明である。
13208:アスクヒドラ
そっかぁ……まあ味があろうとも、俺が作るのは毒だけどな!
13209:識別番号02
面倒⇒はいはい。
13210:アスクヒドラ
簡単にあしらわれたでござる……というか面倒って……。
――――――――――
「……ケフッ」
「全部飲んだねー」
「美味しかった……彼が作ってくれるなら、買いだめの数を減らしてもいいかも」
夜稀は、もしもの場合に備えて大量の飲料物を備蓄しているのだが、アスクに飲み物を生成して貰えるなら、購入する数を減らすことを考慮する。
そうすればお金の節約にもなるしと発言する夜稀に、アスクは一歩後ろに下がった。
「アスク? ……飲み物を作るのはあんまりしたくないのかな?」
「無料自販機扱いされるのが嫌なのでは?」
──アスクはここぞとばかりに月世の言葉に全力で同意する。細かいことを言えば理由はそれだけではないのだが、日常的使用は気持ちの問題的に控えて欲しいので、ある意味なりふり構わない姿勢で意志を伝える。夜稀がそうかと落ち込む姿に心が揺らぐが、ここら辺を簡単に許諾してしまえば人間精神の尊厳が崩れそうと、アスクはぐっと我慢した。
「まあでも、優しい彼のことです。なにかちゃんとした理由があれば作ってくれると思いますよ」
──動いたのは仄暗く光る単眼だけなのだが、心なしか愛奈の目には、アスクが“え?”っと唐突な裏切りを受けて唖然としたように見えた。
「そうですね。なにかと出費が重なる時期、節約できるものは節約していきたいのですが……うーん。例えばの話になりますが、夜稀の飲み物代が浮くだけでも、とても助かると思うんですが……アスクが飲み物を作ってくれれば、買う量を抑えられるのですが……駄目でしょうか?」
アスクは暫く硬直したあと、ぎこちない動きで親指を立てる。
「協力してくれるんですね! ありがとうございます!」
「いいの? ……ありがとう!」
「あはは……ごめんね。お金に関わるとなにも言えなくなるんだ……」
月世はいけしゃあしゃあと感謝し、夜稀は純粋に喜び、偽装“卒業”している立場であるため、自分の電子マネーカードが消滅してしまっており、欲しいものが有るときは後輩の
──アスクは脳内掲示板にて『プレデター』の仲間たちに正論パンチには勝てなかったよと敗北を宣言する。
「……そういえば“血清”の方に関しては何か進展はありましたか?」
月世の言う“血清”とは、アスクが精製した活性化率を下げられる効果を持つ液体の隠語である。彼の触手が蛇に見える事と、毒蛇に噛まれた際などに使用される抗毒血清に因んで野花が名付けた。固有名詞ではないため、これなら、うっかり誰かに聞かれても何を指している言葉なのか気付かれることは少なく、毒に関係するものなので“卒業”用の毒に関係するものかもしれないという、ミスリードが起こればいいなという願いも込めている。
「あんまり進展していない。何故活性化率を下げられるのかも未だ謎のまま」
夜稀は“血清”に関してあらゆる方面から調べているのだが、『P細胞』に干渉して活性化率を下げられる“血清”もまた現代技術の観点から見れば、オーパーツ的存在であり、活性化を下げられる理由は謎のままである。
「要望していた間接摂取についてはどうなっていますか?」
「直飲みでは効果はなし、血管注射では下がるは下がるけど、スズメの涙程度」
「そうですか……残念です」
「月世は、あの噛むやつ苦手だもんね」
『P細胞』の活性化率を下げるには、アスクの
――――――――――
13232:アスクヒドラ
一部分だけに投与しても、他の箇所にある『P細胞』が反応してすぐ無効化しちまうのか、そこまで効果でないんだよね。全身に同時に行き渡るようにして、ようやく安定して下げられるって感じ。
13233:識別番号02
要求⇒以前言っていた投与する“血清”の量を増やして一部分の投与でも活性化率を大きく下げる検証の成果について。
13234:アスクヒドラ
そっちは今からかな……ただ、結局、液体だから量を増やすと血が薄くなったりして、多分別の問題が出てくると思う。どうにも薄くなった血液を『P細胞』が、すぐに正常な数値に戻しているから異常が起こっていないっぽいんだよね。
13235:識別番号04
減衰させている『P細胞』からの補助が有るから異常が起きていない。難儀な話だな。
13236:アスクヒドラ
だから活性化率を下げすぎて『P細胞』の機能を落とし過ぎちゃうと、マジな毒として体に悪影響を出しちまうと思う。だから一度に“血清”を投与する量は、前に決めたぐらいの量ぐらいが安全。どれくらい間隔空ければいいとかも、知っておきたいんだけど……今は保留中。
13237:識別番号04
なら何故、二十四時間、アスクヒドラと接続状態で過ごして経過を観察する提案を断わった。
13238:アスクヒドラ
条件反射でつい……。もう一度話題に出してくれないと、いいよとも言えないし……うん。その間に覚悟決めとこ。
――――――――――
「なんにせよ。大規模侵攻のさいはアスクが傍に居ても居なくても、彼の投与を受けている時間が作れないかもしれません。なので気休めでいいので“血清”を携帯できる物を準備できませんか?」
「出来はする。というかある」
そう言って夜稀は、お手製の注射器を取り出した。コンマミリ単位の針を血管に刺せば自動で中を投与する、AI機器が作成した設計図を元に夜稀が自作したものである。その中には“血清”が入っており、これを体内に打ち込めば活性化率を下げられるのは自身で証明済みだ。
「どのくらい下がるの?」
「首筋の血管から投与すれば1%から2%ほど」
「気休めにしても、流石にもう少しは欲しいところですね」
「下がること自体とんでもないことなんだけどね。多用はできる?」
「二回目以降は効果が出なくなる。だけど一時間ほど置けばまた効果が現れて下がった。正確な時間はまだ計れていない」
活性化率を下げられること自体、現時点では世界中探してもアスクが精製する“血清”だけであり、数字がどれだけ低くとも、下げられると言う時点で、夜稀が持つ注射は黄金ほどの価値がある。とはいえ、実用性を考えれば緊急時に使用するものとしては、この数字では心許ない。月世としては、最低でも5%は下がるものがほしかった。
「これから段階的に濃くしたり、量を増やしたりして効果の増減を見ていくつもり……でも、大規模侵攻まで間に合うかどうか……」
「……その実験ってもしかして自分の体を使ってるの?」
「うん、そうだけど」
「……夜稀、よかったら私たちの体も使ってよ。月世もいいでしょ?」
「ええ、構いませんよ」
「で、でも……」
夜稀が自らの体を使って“血清”の効果を確かめていると知った愛奈、そして月世は試験体として名乗りを上げる。それは夜稀にとって有り難い提案であるが、間接投与による影響に関して、まだ十分なデータが揃っておらず、リスクを考えれば、もうしばらくは自分の体だけで進めるべきではないかと悩む。
「『街林調査』で上がった活性化率を下げるついでだよ」
「そうですね。大規模侵攻までに納得のいく携帯用“血清”ができる可能性が上がるというのなら、実験動物になるのもやぶさかではありません」
愛奈は後輩の負担を減らしたいという理由から、月世は効率を重視して“血清”の効果テストの協力を申し出る。夜稀はいいのかなと不安に思い、なにか起きないのかなと脅える。でも確かに人数が増えれば、そのぶんシンプルに時短にも繋がる。
──天秤が揺れる中で夜稀は、無意識になんかあった時めっちゃ怖いであろう月世先輩を見てしまう。
「別になにかあったとしても恨みませんよ」
「……ほんと?」
「はい……ああでも、注射が痛かった場合は例外ですよ」
「たくさん練習しとく!」
悩んだ夜稀だったが、自分の体だけでは限界を感じていたこともあり、先輩の厚意に甘えることにした。
余談であるが、データ集めのために最近毎日のように自分自身に打っているだけあって、夜稀が注射を刺すのは結構上手かったりする。
――――――――――
13264:アスクヒドラ
試験する人が増えればその分、個々の負担が減るのはいいことだけどね。なんかヨキちゃん調べるために自分の活性化率を上げる方法とか考え始めてたし……でも、作ってる俺がよく分かってないってのもあって、心配だなぁ。
13265:識別番号04
安全性には細心の注意を払っているのだろう?
13266:アスクヒドラ
まあね。だから止めないってのもある。それに今の段階だとやれる事と言ったら、濃度を変えるか量を変えて投与するぐらいだし、そこら辺はどうしても俺が関与するから、余程危ないことにはならないかなって……心配もするし不安にもなるけどね!
13267:識別番号04
アスクヒドラが精製した毒に失敗は無かった。ならば“血清”による問題も発生はしないだろう。
13268:アスクヒドラ
……ゼロヨン、お前はいい男だよ。男かどうか知らんけど。
13269:識別番号04
自身に性別はない──と思われる。
13270:アスクヒドラ
あれ? そこらへん疑問形なの?
13271:識別番号04
生物としての性別はないが精神性となれば、アスクの影響によって男性的である可能性が高い。
13272:アスクヒドラ
なるほど、心がねー……でも、ゼロヨンって実際、男というか男の子っぽいよな。いや、子供っぽいって意味じゃなくて趣味嗜好がさ、武者修行をやりだすし、俺みたいな名前が欲しいって言うし、変形とか好きそう。
13273:識別番号04
変形? 人型に進化するという意味か?
13274:アスクヒドラ
それとは違っていて、こう、体の形が変わって違うものになるとか、よくあるのが人型から車にとか、飛行機から人型にとか自由に形を変えられることかな……言ってて思ったけど、変形する『プレデター』普通にいそうだなぁ……。
13275:識別番号02
指摘⇒『ペガサス』たちの情報によれば人型の『プレデター』は現在アスク以外に存在しないためその可能性は低い。
希望⇒人型に進化するさいの参考として変形に関しての詳細を聞きたい。
13276:アスクヒドラ
え? できるようになるの?
13277:識別番号02
不明⇒しかし参考にする価値はある。
13278:アスクヒドラ
なるほど。うーん、実際できるようになったら、ちょっと羨ましいかも。
まあ、俺には変幻自在に動かせる蛇筒があるんですけどね!
13279:識別番号04
謎の対抗をするな。
13280:識別番号03
ただいま戻りました。
13281:アスクヒドラ
おっ、お帰りー。ムツミちゃんとのおやつタイムどうだったー。楽しかった?
13282:識別番号03
はい、色々な話を聞けて楽しかったです。また会おうと約束しました。
アスク、質問があります。クッキーの味とはどういうものですか? ムツミちゃんに頂いたのですが、味覚が無いため美味しいという質問に反応できませんでした。
13283:アスクヒドラ
……あー。甘くて美味しいもの……言葉にすればそれだけかもしれないけど、こればっかりは実際に味わえないと分からないよね……俺も、もう記憶が曖昧だな。
でも、最初はどうなるかと思ったけど仲良くなれて良かったね。
13284:識別番号04
良好な交友関係を築けているのはいいが、過ぎればムツミの身に危険が及ぶのではないか?
13285:識別番号02
異議⇒『ペガサス』のムツミは識別番号03に謝りたいという理由だけで危険な森奥へと来る性格をしているため完全に突き放すよりも視界に入る場所で見ていたほうが安全である。
13286:アスクヒドラ
なんか会話を聞く感じ、これと決めたら周りが見えなくなるタイプというか、危なっかしすぎて適度な距離で見守っていたほうが安心するんだよね。
……友達に内緒でゼロサンに会いに来ているぐらいだし。
13287:識別番号02
質問⇒その友達は今日も見守っていたのか?
13288:識別番号03
はい。離れた場所で体半分を木から出して、こちらの事を見ていました。
13289:アスクヒドラ
ムツミちゃんも、その友達もバレバレなんだよなぁ……。類は友を呼ぶというか友達も良い子だよね。
13290:識別番号03
その友達について質問があります。ムツミちゃんが帰ると、こちらに近づいてきて、クッキーを食べて平気だったのかと質問してきたのですが、どう反応すればいいのでしょうか?
13291:アスクヒドラ
あ(察し)。……ボクわかんなーい感を出して首を横に傾ける!
13292:識別番号03
わかりました。
それならいいと安堵した様子で帰っていきました。なにを確認したかったのでしょうか?
13293:アスクヒドラ
そういえば! ムツミちゃんとの会話からゼロヨンはゼロサンに合流できそう!?
13294:識別番号04
まだだ。北東側に移動しているが富士山らしき山は発見できていない。本当に目視するだけで分かるのか?
13295:アスクヒドラ
俺の記憶のままだったらね……。日本の象徴が今ではこの国最大の『プレデター』の巣窟か……なんど聞いても慣れないなぁ。
13296:識別番号02
質問⇒まだショックから立ち直れていないのか。
13297:アスクヒドラ
だいぶん回復したけどね。なんというか俺の記憶関係かは分からないけど、やっぱりあの山は特別なんだと思う。それが日本人にとって死の山になっているのは……やっぱショックだわ~。
13298:識別番号04
何れは識別番号03を除いた『プレデター』を全て駆除すればいいだけだ。
13299:アスクヒドラ
ゼロヨン……そうだな。大規模侵攻もみんな無事に終わらせて、富士山の『プレデター』も、日本中の『プレデター』もどうにかすればいいだけだもんな。
13300:識別番号02
肯定⇒なんにせよアスクは目先の大規模侵攻をアルテミス女学園の『ペガサス』と共に解決することに集中するべきだ。
追記⇒自身たちも進化と合流を急ごう。
悲願⇒自分よりも小さくて弱い『プレデター』と出会いたい。
13301:アスクヒドラ
そうだな。そしてゼロツーは無理せず頑張ってね……。
――――――――――
「──すいません。お待たせしました」
アスクたち、そして愛奈たちもスケジュールの相談について話が一段落したタイミングで、野花がやってきた。
「ううん。丁度よかったよ。さっきまで夜稀と今後のことを話し合っていたんだけど……」
「すいません。ボクもいまちょっと話を聞ける余裕は無くて──あとで絶対に聞きます」
「……ああ、そうか……今日だったね……ゴホ」
野花はいたく緊張しており、いざ時間になったと思うと夜稀は不安から喉が渇きだして咳き込む。これからする事を考えれば、そうなるのも仕方ないと、そのために野花と待ち合わせていた愛奈は思う。
野花は緊張した面持ちで、アスクの前に立った。
「──アスク、これからボクたち高等部の最後のひとりである……、茉日瑠に会いに行こうと思います……」
──とある理由から存在こそ教えられていたものの出会うことは叶っていなかった、アルテミス高等部ペガサスの最後のひとり。『
+++
目的地は同じ寮の中なので距離にすれば短い。先行する野花に付いていく形で、アスクたちは二階へと続く階段手前で立ち止まった。
「──既に説明しましたが、茉日瑠はボクたちの中でもっとも心が……。なので、何が起こるかボクたちでも予想ができません──もし何があっても、それはボクの責任です」
これから起こること全ての責任を持つと言う野花に、アスクは親指を立てて即答する。
「──ありがとうございます! ──行きましょう」
――――――――――
13333:アスクヒドラ
ついに二階へと上がる時が来た。マヒルちゃんと仲良くできればいいけど……。
13334:識別番号02
意見⇒これまで得られた情報から『ペガサス』の中でも特に精神的な問題を抱えている可能性が高く刺激しないことを最優先にするべきである。
13335:アスクヒドラ
分かってるよ。言い方は悪いかもだけどノハナちゃんたちがマヒルちゃんを二階にずっと隔離していたのも、俺に会わせなかったのも、それだけの事をする理由があったってことだしね。
13336:識別番号04
ノハナはマヒルについて最後まで詳細を語らなかったな。
13337:アスクヒドラ
口で説明するのが難しいのか、それとも口で言えないほどか……やっべ今更ながら緊張してきた。
────────うわ。
13338:識別番号03
どうかしましたか?
13339:アスクヒドラ
えぇ……うわぁ……まじかぁ……。
13340:識別番号04
アスクヒドラ?
13341:識別番号02
要求⇒二階でなにを見たか説明しろ。
13342:アスクヒドラ
……えぇと……二階に到着したんだけど……。
13343:識別番号03
なにかありましたか?
13344:アスクヒドラ
……二階の壁や床にはクレヨンや絵の具らしきもので絵が描かれていて、主に四角、三角、丸で構成されてるんだけど並びから察するに街の中を表現しているみたい……でも何度も上から重ね塗りをしたのか、既に元の色がなんだったか分からないほど濁った世界になっていて、そんな中で風景と同じように四角と三角で描かれている人間っぽいのがそこらかしこに描かれているんだけど──その全てに首らしき部分がなくて、床のほうに異形な化け物らしき絵の傍に幾つもの丸が描かれている。そんな世界が二階全体に広がっている。
正気度チェックです。
――――――――――
「これは……狂気と芸術は紙一重と
「そうだね。でも、惹かれるというよりも……目が離せなくなる」
愛奈は定期的に二階へと訪れており、この絵を見るたびに言いようのない心寂しさを抱く。また理解できない狂気の産物な筈なのに、ある種の共感のようなものを感じてしまい、妙な愛おしさを持ってしまう。
「感動を引き出すものだけがアートじゃない、感情を動かしてこそアート」
「それ礼無がよく言っていたやつ?」
「はい。やはりこういった芸術と言えば彼女だったので、思い出してしまいました」
「………………」
既に“卒業”している愛奈たちの同級生『
「礼無に見せたら面白かったかもしれませんね。絵は上手くても芸術方面はからっきしでしたから」
「もー。月世はすぐにそうやって挑発して怒らせようとしたんだから!」
「
「月世……それ前にも聞いた事あるけど後付けの理由だよね? 前半が主な理由だったよね?」
「私のことをよく分かってくれている愛奈のそういうところ、とても好きですよ」
──“卒業”してしまった彼女たちを思い出すのは寂しいが、辛いだけのものではなくなっていた。愛奈は忘れないためにも、最近では月世と二人の時は、よく思い出話に花を咲かせており、避けている部分も少なくないが、今ではこのように普通に話題を出すこともできるようになった。
「お話中すいません! ボクたちはそろそろ茉日瑠の所に向かおうと思いますがいいでしょうか!」
「あ、ごめんね……野花? 大丈夫?」
──いつもと変わらない表情の野花であるが、愛奈の目には先ほどと明らかに様子が変わっており、とても辛そうにしていた。
「──すいません。やっぱり間近になるに連れて緊張してきちゃって、だから気にしないでください! ──本当に気にしないでください」
「そう……分かったよ」
愛奈からすれば明らかに緊張以外の何かがあるのだが、野花本人が触れられたくないようにしていること、それに今は茉日瑠に会うのが先決だと、愛奈はそれ以上追求しなかった。
――――――――――
13372:識別番号02
回答⇒絵の構図からして『街林』での『ペガサス』と『プレデター』の戦いを描いているとされている。
意見⇒また絵の状況からして『プレデター』に『ペガサス』が蹂躙されているように見受けられることから『プレデター』に対して強い敵意を抱いている可能性がある。
13373:アスクヒドラ
うん。俺もそう思う……あー。仕方ないこととはいえついにかー。
俺、本当に会っていいのかな……。マヒルちゃんの精神状態想像すると、どう考えても彼女に強い負担を与えちゃう未来しか見えないんだけど……。
13374:識別番号04
接触を制限していたノハナが許可を出した以上、多少の事態は織り込み済みだろう。
13375:アスクヒドラ
その「多少」の感覚差が怖いとです……。
13376:識別番号03
アスクは、マヒルに会わないのですか?
13377:アスクヒドラ
……いや、会うよ。マヒルちゃんの活性化率も下げておきたいしね。十発や百発ぐらいなら殴られる覚悟はできている!
銃は……頭とか以外だったら。剣は腕一本か蛇筒二本ぐらいで許してくれないかなぁ……。
13378:識別番号02
抗議⇒危害を加えられることを前提とするな。
――――――――――
「……アスク、何があっても私たちがフォローするからお願い、茉日瑠に会ってあげて」
アスクの緊張に勘付いた愛奈が声を掛けると、アスクは雰囲気を柔らかくして、いつものように親指を立てた。
――――――――――
13390:アスクヒドラ
エナちゃんの言葉にすごく……落ち着いた。
13391:識別番号04
単純極まるな。チョロデター
13392:アスクヒドラ
なにも言い返せねぇ……!
まぁ、活性化率を下げないといけないから遅かれ早かれだしね。
さーて、どうか悪いことが起きませんように!
――――――――――
不気味な空間となっている廊下を進み。奥の扉へと辿り着いた野花は三度ノックする。
「──茉日瑠。入りますよ」
返事がないのはいつも通りであるため、野花は扉を開けてそのまま入り、それにアスクたちも続いた。
──室内の壁も、廊下に続き似たような内容の絵が描かれている。ただ違うのは怪物らしき存在や人間らしき人物などが描かれておらず、野花は室内の絵を見る度になんだか空虚な気持ちとなり、同時に癒やされていた。
――――――――――
13399:アスクヒドラ
なんだこれ? ぬいぐるみや玩具がたくさんあって、なんか子供部屋っぽい──あぶねっ、絵の具踏みかけた。
……居た、間違いなく、あの子がマヒルちゃんだ。
13400:識別番号02
要求⇒『ペガサス』のマヒルについての情報。
13401:アスクヒドラ
地べたに座って鼻歌を奏でながら何かの絵を描いているね。後ろを向いているのもあると思うけど夢中になっているみたいで、まだこちらに気付いていないみたい。
かなりの年月、髪を切っていないのか金色の髪はとても長くて、シルエットだけで見ればカビちゃんみたいに成人した女性に見える。
――――――――――
「茉日瑠」
「ん?」
野花が絵を描くことに集中していた女性──『
学年通り15ないし16歳。中等部二年の時から既に年齢に比べて成人並みに成長していた肉体。髪色と同じ金色の瞳とヨーロッパ系統の白い肌、誰よりも美人という言葉が相応しいと当時、野花は彼女のことをそう評価して、憧れていた時期もあった。
「──のはな!」
──茉日瑠は、野花に気付くと無邪気な声で名前を呼んで、駆け足で近づいて、勢いよく抱きつき彼女の鳩尾あたりに頬を当てる。野花が、そんな茉日瑠の頭を撫でると、見た目とはチグハグの子供っぽく太陽のような笑顔を浮かべた。
「──元気にしていましたか」
「うん! あのね、のはな! 今日ね、いい絵が描けたの!」
「そうなんですね!」
「うん! だからね! 見て欲しいの! ほんとうにいい絵だから!」
──茉日瑠は、野花が来る度に描いた絵を見せる。それは画用紙だったり床や壁だったりする。だけど、その全てが廊下や壁に描かれている世界の絵だ。芸術に疎い野花の目には全て同じものにしか見えない。あるいは誰が見ても同じものなのかもしれない。
──野花は、彼女が絵を描き続ける意味を考える時がある。自分たち現高等部一年ペガサスに向けての懺悔か、あるいは自分に対する罰のつもりか。ただ、聞いたところで彼女はもう答えてくれないのは確かだ。
「──縷々川家の愛され娘が、随分なことに」
月世が前に茉日瑠と出会ったのは、彼女がアルテミス女学園に入学してきた時で、数えて齢十三でありながら精神が早熟していた思慮深い少女だった。それが反転したかのような有り様に、月世は哀れみの感情を向ける。
「──わかりました! 是非とも見せてください! ──ですが絵を見る前に、会ってほしい方が居ます」
「え? だれ?」
野花はあえて詳細を語らず、後ろを見るように誘導する。それに釣られて茉日瑠は、野花の後ろで待機していたアスクに目を向けた。アスクは慎重な様子で膝を曲げて同じ目線になる。野花たちが様子を真剣に見守るなか、アスクと茉日瑠はじっと見つめ合う。
──ゆっくりとした動作で、茉日瑠は野花から離れて、アスクに歩み寄っていき、ただそれを全員が黙って見守る。
「──あのね。まひるはまひるです! 絵を描くのが好きな五才です!」
アスクの傍まできた茉日瑠は、子供が初めて出会った親戚にするような自己紹介をはじめる。言い切るとアスクは親指を立てた。すると茉日瑠は、えへへと嬉しそうに笑った。
──彼女は聡い人だ。それはこんな状態になっても変わらない。そんな彼女がアスクを味方と認識したのか自ら話しかけたことに、野花はもう大丈夫だと心の底から安堵した。
――――――――――
13419:識別番号04
幼児退行。また新たな精神病か。
13420:識別番号03
なぜ精神を退行させることが自己防衛に繋がるかわかりません。
13421:識別番号02
応答⇒おそらく脳に対する負荷を軽減して精神の完全崩壊を防ぐための最後の手段である。
13422:アスクヒドラ
うん、その通りだよ。エナちゃんたちにも言えることだけどさ……これから、いいことが沢山あるといいね。
……それにしても脅えられなくて良かったぁ……うん、ほんとうによかった。
マヒルちゃん。これからよろしくね。
――――――――――
茉日瑠は手を差し出し、それをアスクが優しく握った。それから彼女は甘えるようにアスクの胸元に飛び込み、輝く笑顔でアスクを見上げた。
「よろしくね! ────パパ!」
──そうきたかぁ。野花は予想外の展開に無意識に天井を見て、愛奈は驚き、月世は爆笑した。
――――――――――
13423:識別番号04
一度アルテミス女学園ペガサスの精神状態を整理するべきだ。
13424:識別番号02
賛成⇒自身等は人間に近しい思考を手に入れたが所詮は『プレデター』であることを考慮し友好関係の構築に失敗しないために出来るかぎり人間の心について学ぶ必要がある。
13425:アスクヒドラ
……みんな、なんか俺……娘ができたわ。
13426:識別番号02
正気⇒無事か?
13427:識別番号03
アスクは子機製造能力を保有していましたか?
13428:識別番号04
また識別番号03に対して誤解が発生している。その狂言に至った理由を早く説明しろ。
13429:アスクヒドラ
ミ、ミルク作れると思うけど、お乳から出したほうが……あ、五才だからもうお乳離れはしてるっけ??
13430:識別番号04
正気に戻れ!
――――――――――
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