第3話 兄は妹の幸せを願う
両親達がいる部屋から抜け出した後。
伯爵家が持つ庭に咲き誇る、手入れされた色とりどりの花々を楽しそうに眺めてはこれは何かと聞いてくる妹のシャーロットに俺は心底癒されていた。
日光の暖かな光が降り注ぎ、穏やかな気候から生まれる涼し気な風が吹く度に花弁がゆらゆらと揺れる中を優しい花の香りが鼻を抜けていく。
庭園の端にある日陰が差し込むガーデンテーブルに置かれた、二つの蜂蜜ミルクの内の片方を飲みながらその光景を眺めていた。ちなみに、もう片方は既に飲み干されて空だ。
この世界に最上級の絵画があるのなら、シャーロットが笑顔で戯れる光景こそ相応しいのではないかと思う程に可愛い。
正直、何故こうもシャーロットに妹としての愛着が湧くのか冷静に考えてみたら不思議だが、思うにそれは俺が彼女を家族であり、妹だと心に決めたからなのではないかと思う。
前世での妹は可愛くも生意気に育ってくれたが、別にシャーロットが性格が多少なりとも捻くれたとしても兄としては充分に可愛いものだ。
前世ではシスコンと呼ばれても仕方がない程度に色々な顔を見してくれるシャーロットを目の保養として楽しんでいると、此方にパタパタと駆けて来ては「ごめんなさい、私だけ……」と突然、謝りだした。
もしかして、俺がシャーロットを見て癒されているのを退屈だと思ったのか?
「どう? 何か面白いものでもあった?」
すると、シャーロットは困った様な表情をしつつ、「面白い……分かんない、です。私が暮らしてた近くにはこんなお庭なんて無かったから……」と零す。
そう言えば、シャーロットの両親は伯爵家から出た後、貴族位を捨てて平民として暮らしていた筈だ。
だからこそ、庭園なんて見た事もないし、色とりどりの花も見る機会も無かったのだろう。
「でも、此処に居たら……こんな私でも、たくさん見れますか……?」
もう家族になったのだから、そんな心配をせずとも見れると言うのに、何処か目を離したら泡方の如く無くなってしまうかのように言うシャーロットが可哀想でもあり心底可愛く、頭に手を置き、くしゃくしゃとさらさらの銀髪を撫でまくった。
「ひゃあぁぁぁ!」と可愛いらしい声を上げ、「な、なに!?」とこっちを見るが、「そんな心配せずとも、お兄ちゃんが色んな景色を見せてやるから安心して!」と笑いかける。
「良い? シャーロット、君はもう僕の妹なんだ。これから、沢山の楽しい事、嬉しい事があるんだから、もっと心の底から楽しむこと!」
「で、でも……私は薄汚くて醜い平民だから、大人しくしていろって」
「誰がそんな事を……」と考えて、あの家族の中で一番最初に会って居たのは父だったなと思い出す。
まだ七歳の子供に何言ってんだあのクソ親父!
だったら、そんなクソ親父の事なんて思い出させないくらいに俺が可愛がってやるッ!
「そうか? シャーロットが薄汚い? だったら、こうだ!」
俺はシャーロットを胸に引き寄せ、「きゃあッ!? ゆ、ユリウス様!?」抱き着いた。
いきなり抱き着いたのはどうかとも思うが、内面はともかく、外見的には一つしか離れていない兄妹のスキンシップ程度には問題ないだろう。
それに、子供の時の記憶なんてシャーロットに今後、素敵な彼氏が出来たら直ぐにこんな記憶忘れるさ。それよりも、可愛い妹の笑みを引き出す方がよっぽど重要だ。
「シャーロット、僕はお前が汚いとは絶対に思わない! 誰が言ったかは知らないけど、それが身分であろうともだ。平民は平民として国を支える大事な基盤なんだ。それがなくちゃ国は成り立たない。民あっての国なんだぞ?」
ここで、シャーロットの顔を見ると話が分かっているのか分かっていないのか、ポカンとしていたので慌てて脱線していた話を戻す。
「あ〜、つまりだね?」
つくづく俺はこういう時、口下手だな。七歳の子に平民の事なんて喋ってどう反応しろって言うんだ。
シャーロットが確かに目の前にいるという体温を感じながら、俺は彼女の綺麗な宝玉の様に輝く紅色の瞳を真っ直ぐに見る。
嘘偽りなんてこれっぽちも混ぜずに、俺の本心を曝け出す。
「僕はシャーロットが平民だろうと貴族だろうと関係なく味方だ。そして、お兄ちゃんだ。だから、何か困ったら僕を呼んで! 必ずお前を傷付ける全てのモノから守ってあげるから!」
一陣の風が吹き、花弁舞う庭園の中で見つめ合いながら言ってから気付く。
その場の勢いで思わず言ってしまったが、これじゃ、まるで下手な告白だ。
そう思うと途端に顔が赤くなって来たような感じがして僅かに目線をそっぽへ向けると、彼女は両手で口元を押さえて震え出した。
慌てて、何処か具合が悪いのかと声を掛けると、シャーロットは一気に噴き出した様に笑い出す。
「な、何か変な事言ったか?」
「ううん、ふふふっ」
その様子はゲームでも見た事がない正真正銘の彼女の笑みだった。
「ねぇ、お兄ちゃん?」
「どうした?」
「私の事、好き?」
「ん? あぁ、勿論好きさ。お前は僕の妹なんだから」
「……そっか。ねぇ、少しだけ。少しだけ聞いてて……私ね、パパとママが死んじゃって、路頭に迷ってから沢山の怖い人を何度も何度も見てきたの。そこから逃げて、逃げて、あったかい場所を探したけどもう何処にも無くて」
シャーロットはポツリポツリと喋り出す。
「叔父さん……父様に拾われてからパパとママの大事にしてた物だってお前には不要な物だからって取られちゃった」
そうして喋っているうちに昔の記憶を思い出してしまうのだろう。
シャーロットの目尻に涙が溜まり、俺の胸に染みを作っていく。
「まるで、パパとママとの思い出がどんどん無くなっちゃうみたいに思えて……ッ。私は要らない子だって、汚れた血だからって! ……ねぇ、お兄ちゃん。私って要らない子?」
「いいや、いいやッ! そんな事、絶対にあるもんかッ!!」
今、決めた。
例え此処がゲームの中だろうと何だろうと、俺にとって此処は紛れもない自分が生きる現実で、シャーロットにとっては生きづらい地獄のような場所だ。
だったら、今も俺の胸で涙を流しながら嗚咽混じりに必死に俺に言葉を聞かせようとするこの健気な妹を守れるのも、彼女の敵しかいないこの世界ではシャーロットの兄であるユリウスに転生した俺にしか出来ない事だ。
「シャーロットは僕の大事な妹だ! これからもっと綺麗になって、いろんな人と出会って、華やかな人生が待っているんだ。僕がそうする。だから、泣かないでくれ」
俺の手に感じるこの暖かさがシャーロットが此処にいるという証であり、俺の人生の目標が決まった覚悟でもある。
シャーロットの敵は俺の敵だ。
今後会うだろう聖女に覚醒する主人公や男性ヒロイン共も知ったこっちゃない。
そいつらと結ばれようとしても主人公が出て来れば、シャーロットには全部バッドエンドにしかならない。
だったら、俺がシャーロットを幸せに出来る相手を見つけ出すしかない。
空には悪いが、今はこの言葉を使うとしよう。
「シャーロット。お前は汚れなんて知らなくて良い。シャーロット・アクアリウスっていう女の子はこの世界で一番可愛くて綺麗な子なんだから。世界中の誰もがお前を否定しようと僕が必ずそばに居る」
何度も何度も繰り返すように、彼女の心に刻み込む。
俺はシャーロットの味方だ、と。
シャーロットの未来を知っているからこそ、額を合わせては、ゆっくりと彼女が理解出来るように言葉を述べた。
「……そっか、私要らない子じゃ無いんだ」
「あぁ、僕にはシャーロットが必要なんだ。じゃなきゃ、お兄ちゃんにはなれないからね。ねぇ、シャーロット。こんな、不甲斐ないお兄ちゃんを助けてくれないか?」
「……ッ! お兄ちゃんは不甲斐なく無い! でも、私にお兄ちゃんが。そっか、そっか♪ ふふふっ♪ うん、助けてあげる。お兄ちゃんには私が必要なんだもんね!」
小動物の様に口元を塞ぎ、柔らかく天使の如き笑みを浮かべたシャーロットは少し恥じらいながら俺の首元に強く抱き着いて顔を埋めると、
「ありがと、ユリウスお兄ちゃん。私の、私だけのお兄ちゃん♪」
と耳元で囁く様に小さく照れたのだった。
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