第28話 後悔しないように


「もしかして……ランニング?」

「はい! 雨が降っても毎朝走っているのを、見ていました。その姿を見るのが日課になっていて……いつも同じ時間、同じ服装だったのでお化けなんじゃないかと思うくらいでしたよ」


 確かにヨウスケはトレーニングの一環として毎朝ランニングを行っていた。そのときのルートが、病院前を通るようになっている。その後帰ってから着替えて部活に行く。日課として組み込まれたそれのおかげで、体力だけは人一倍ついた。


「恥ずかしい……」

「そんなことないですよ! 熱心に取り組む姿を見ていたら、どうしてそんなに頑張れるのかを聞きたかったです。いつかお話ができたらいいなってずっと思っていました。それがまさかこんな形で叶うとは思いませんでしたけど」


 光に紛れながら笑うミヤビだったが果たして笑っていいものなのかわからず、ヨウスケは困惑した表情を浮かべる。


「ねえ、ヨウスケさん」


 机をはさんで向かい合わせにすわっていたミヤビがスッと立ち上がり、ヨウスケの隣へと移動すると、コツンと座っているヨウスケの隣に椅子を寄せて座ると、ヨウスケへ体を預ける。


 触れている箇所から二人の熱が互いに伝わる。

 死んでいるけれど、伝わる体温。確かに存在しているのに、もうすぐなくなってしまう体温。


 なくなってほしくない。

 ずっとそばにいてほしい。

 だからそっとミヤビの肩に手を回す。するとヨウスケの胸のなかに、すっぽりとミヤビの体が収まった。


 小さな体。それでもまっすぐと前を向くことができるほど、強い意志。見習わなければいけない点がいくつもある。自分と違って芯のある姿に憧れる。


 一方ミヤビも、好きなことにまっすぐ進むヨウスケに憧れていた。

 互いにないものを埋め合うように惹かれあい、ぎゅっと抱きしめあう。


「ヨウスケさん。私、ヨウスケさんのことが大好きです。ずっと一緒にいたいと思えるほどに」

「っ……俺も、俺も……」


 ミヤビの体から光がどんどんあふれていく。

 心なしか、抱きしめているのに質量がないように感じた。

 もうミヤビには時間がない。最後に言わなければならない。ずっと言えなかった言葉を、少しだけ震えた声を絞り出す。


「ミヤビのことが、大好きだ」


 そっと瞳を閉じて、唇を重ねる。交わった感触があるようで、ない。

 抱きしめていた手が宙を舞った。


「ああっ……」


 居なくなってしまった。

 空へと光が昇って行ってしまった。

 もう、姿を見ることはできない。もう手をつなぐことも、会うことも、話すこともできない。


 また、一人になってしまった。


 ――どうか、残りの時間を。悔いのないように。全部を終えたとき、空で会いましょう。


 光が聞こえる前に、ミヤビの声が聞こえた。

 ヨウスケに残された時間はあと一日。その時間が終われば、ミヤビのように光になって空へ向かう。


「また。きっと……」


 そこでまたミヤビに会うかもしれない。

 そのときに、きっと聞かれるだろう。


「後悔していますか?」


 そう聞かれたとき、今度こそは「後悔していない」と答えられるようにしよう。

 決意を胸に、涙を拭いて前を向いた。



 ☆



 逢魔が時を過ぎ、月が姿を現した。静かで暗い闇を照らすように、月明かりが窓から差し込む。

 いつまでも未練がましく、居なくなってしまった彼女に思いを寄せてばかりではいられない。立ち止まってばかりでは意味がない。

 死んでもなお、人間である以上、前に進まなければならない。時間が限られたヨウスケなら、それはなおさらだった。


 限られた時間を有効的に。悔いのないように過ごすこと。それが彼女との最後の約束である。

 だからヨウスケは椅子に座ったまま、ふぅと息を吐いて静かに瞳を閉じると、やらねばならないことを思い返す。


 残ったヨウスケは、他に何をする必要があるか。

 明日消えるとわかっていて、後悔しないためには何をするか。

 そう考えたときに引っかかることは二つだった。


 一つは、家族。

 血の気がなくなったヨウスケの体を囲み、見たことがない涙を流して、悲しみに包まれていた家族が気がかりである。

 当たり前に帰って来ると思っていたのに、二度生きて帰らなかったヨウスケ。その理由が他殺となれば、悔やみきれないだろう。

 そんな家族へ言葉を伝えられなくても、たとえ形だけでも育ててくれたお礼を伝える必要があると思った。


 二つ目は、親友。

 死ぬ直前に喧嘩別れをし、会うことができなくなった親友のハヤト。今日も今日とて、部活に姿を現していなかった。

 もしかしたら、ヨウスケが死んだことでサッカーができなくなってしまっているかもしれない。自分のせいで何も手につかないと思っているのでは、申し訳ない。

 自分にはできなかったことを、親友にはやってもらいたい。

 大会にでて、優勝してほしい。そして進学して、就職して、結婚して、幸せな家族を作ってほしい。


 親友だからこそ、たくさんの思い出を持っている。

 辛いときも、楽しいときも一緒に過ごした。だから今までの感謝を伝えたい。

 姿も言葉も見えない中で、どうやったら気持ちを伝えられるだろうか。

 どうにかして本人に直接伝えたい。

 ならば体育館のときのように、何か道具を使ったらいいのだろうか。


 でも何を?


 真っ暗な教室で、頭を悩ませる。


「あ……」


 自分の席の足元に残された自分の荷物が目に入った。

 そういえば死んだとわかる前に、急いで学校へ来たときのまま、荷物を置いたままにしていた。

 きっと生きている人には見えないのだろう。

 明らかに通路の邪魔になる場所に置かれた荷物は、手つかずのままだ。

 中には勉強道具一式揃っているはず。

 ジジッとチャックを開けて中身を見れば、やはり筆箱やノートが入っていた。


「これに書いて、残せたらいいのに……」


 エミリたちは自分のスマートフォンを使っていた。

 死んだときに身につけていたからだろう。

 それで写真を撮り、思い出として記録した。

 しかし、七日を過ぎたとき、そのスマートフォンは共に消えていった。ならば、この荷物全て、明日で消えゆく。


「どうにか残せたらなぁ……」


 明日で終わり。

 後悔しないためには、残された人へメッセージを書きたい。

 今までの感謝を伝えるためのメッセージを。

 何も描かれていないページを開き、シャーペンを握る。何を書いたらいいのかもわからないが、そこへ今までの思い出を書いた。

 ペンを走らせてふと、顔を上げれば目に付くのは黒板。

 日付と日直が書かれたそれに釘付けになった。 思い立ったかのようにスッと立ち上がり、チョークを握る。


 すると、バスケットボール同様、ヨウスケはチョークに触れることができた。

 小さなノートにメッセージを残すより、大きな場所に残そう。ヨウスケの手は自然と動き始める。


 半分に折れた白いチョークを手に取り、大きな黒板キャンパスへ向かう。

 白では物足りなくなったら、黄色、緑、青、ピンク……その場にあった色を全て使って描いていく。


 最初は文字だけにしようかと思った。だが、これだけの広い黒板を自由に使える機会なんて今までなかったし、これからもない。今だからこそ使える黒板へと鮮やかな絵を描く。


 ヨウスケの絵はうまいわけではない。だが、美術教師に褒められたことはある。独創的で、気持ちがこもっていると。


 いびつな線を引き、色を塗る。今までの気持ちを込めた感謝を残す。

 人がいなくなり、すっかり暗くなった教室にカッカとチョークが当たる音だけが残った。


 集中して書いていると、いつの間にか空には太陽が昇っていた。

 教室の黒板は前後にある。ヨウスケはその両方を使ってメッセージを残した。


「……よし」


 自分なりには満足する出来であると自画自賛しながら、朝日が差し込む教室を背に静かに荷物を持って出た。

 夜が明けたばかりの今、まだ誰かが学校に来ることはない。誰にも会わないまま、そっと学校を離れる。


 クラスメイトたちが教室に来てびっくりする顔が見たい、そんな気持ちは確かにあった。しかし、それまで待っていたら、やることすべてを終わらせることができない。


 ヨウスケに残された時間はおよそ十二時間。

 家族、そして親友へ大切なことを伝えるために、思い出の地から一歩外へ出た。

 早朝となれば、早起きした人、夜勤明けの人など、普段見ない人達をぽつりぽつりと見かけた。


 学校と自宅。その二か所を往復する生活をしていたヨウスケにとっては、そんな人たちがいるこの場所は新しい世界のように見えた。


 どの人達も生きている。

 今更生きている人を恨むことはない。いつかは自分と同じように、死がやってくる。

 そのときに彼らは何を思うのだろうか。

 彼らにも同じように七日間を与えられたら、どのように過ごすのだろうか。

 死んだことを恨むか。それとも好きな事をするのか。はたまた、何もしないのか。


 すれ違いざまに考えるが、答えはない。

 でも確かに思うことがあった。

 彼らもまた、大切に思う人がいて、大切に思われている人なのだと。


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