第15話 普通ってなんだろう?


「野良ちゃん、今日までだとわかっていたんじゃないでしょうか? だから私たちに早く歩くように急かして……野良ちゃんのやり残したことは、ヨウスケさんのお手伝いなんですよ。だって最期に鳴いたとき、目を細くして、凄く満足そうな顔をしていましたもん」


 そうだったのだろうか。

 顔を野良に埋めていたヨウスケには分からない。

 でも、そうであってほしいと思った。


 あの野良の遺体は見た。神社の裏で、寂しく一匹で息を引き取った。

 誰にも看取られず、残された野良の体は虫を惹きつけた。どんな理由があって、野良が死んだのかはわからない。


 きっとネコの中でも大変な人生を送った方だろう。

 どんな理由があって、ネコが死んだのかはわからない。

 病気だったのかもしれないし、事故に遭ったのかもしれない。

 どちらにしても、大変な人生を送ったのだ。

 だから、来世は。

 だから、来世こそは。

 来世が野良にあるのであれば、平和で安全で、幸せな生活を送れますように。


 そう思って、静かに手を合わせた。


『ありがとう』


 言葉にしないが、心の奥でそう呟いた。

 一、二分の静かな黙祷後、ヨウスケはゆらりと立ち上がる。その目には涙はない。


 野良はきっと、ここよりももっといい場所に向かったのだと信じたからこそ、涙は流れなかった。


 それでも、喪失感はある。

 生きている時だけではなく、今回のように死後にも、いつかは別れがやってくる。先に逝った野良だけではない。エミリやイツキ、ミヤビとの別れも今後待っている。


 ネコと人。同じ命ではあっても、別れの時はおそらく違う反応をするのではないかと思いながら、先を重んじた。

 

「ウチらも明日、ああなるんかなぁ……」


 あんなにはしゃいでいたエミリがとたんに静かになっていた。

 すっかり見えなくなった光の粒を見送る様子は、どこか愁いを帯びた顔をしているように見える。少なくとも、幼い子供のような覇気はない。


「あ、エミリさん。今日が……六日目でしたね……」

「うん、そだよー。イツキも一緒にね。明日には、うちらはここにいれなくなる」


 エミリとイツキは今日が六日目。残されたのはたったあと一日しかない。

 もし、ミヤビの言うような七日というタイムリミットが存在しなければ、焦ることはない。

 でもタイムリミットがないとは言い切れない。明日が終わったときに二人がどうなるかによって、死後の魂だけこの世に留まる期間がはっきりとわかる。


 明日には消えてしまうおそれのある二つの魂。

 別れがすぐそこであることを悲しんでいるのはミヤビだけで、当の本人であるエミリとイツキにはそこまで悲しむ様子は見受けられない。


「もう、明日で最期だからさ。一生の終わり? 生きてないけど? だからこそ、派手にやりたいじゃん?」

「うん、そうだね。最期だからこそ出来ることをやろう。それから、満足して僕たちは終わりを迎えよう」


 自分たちの死を受け入れ、消えることも受け入れているのか、二人は目を合わせてコクリと頷いた。

 ほとんど歳は変わらないというのに、行動と言動が全て大人びていて、ヨウスケは彼らをかっこいいとさえ思った。


 決して自分ではそうならない。未だに死を受け入れることも、わずかな期間しかこの世に残れないことも気に食わないし、納得いかない。

 だから、残された時間をどう過ごすのかなんて想像できない。


 いずれかはやってくる、自分の最期。

 ヨウスケにはまだ猶予はあるが、果たしてこの二人のようにすんなりと受け入れられるのだろうか。

 どうやって二人は受け入れることができたのだろうか。

 やりたいことをやったからだろうか。

 ヨウスケ自身のやりたいことは何か。

 いくら自分に問いかけても答えはでなかった。


 自分は誰かに見送られて空に昇ることになるのだろうか。寂しいだろうか。誰か一緒にいてくれたら、気持ちは変わるのだろうか。

 死して尚、悩みは尽きることがない。


「やるからには大真面目にやらなきゃね! 男子は男子で準備してちょ! ウチらはウチらで、めちゃくちゃ準備するから! 見違えるほどレディになるからね?」

「えー……どうだかねえ。女子はまぁ色々あるかもしれないけど、男は何でもよくない? このままでもいいんじゃない?」

「よくなーいっ! 服から式場の装飾まで、全部完璧にやらなきゃダメっしょ。最期は華々しく散ってけって、ウチの今作ったポリシーに反するから!」

「なんだ、今なのね。エミリらしいや」


 意気込みだけは感じられる。あっけにとられたが、エミリの言うとおりでもあった。


 生きている人生こそ終わっているが、その後の最期を素晴らしい式で飾る。もうこの世に未練はない、そう言えるようになるためにも、準備に力が入るのだ。

 しかし何を準備して、何をしたらいいのか。

 そんなことすらわからない男性陣は、軽い足取りで閉ざされた式場の門をすり抜けていく女性陣の背中を静かに見送った。


「ヨウスケくん。男ってどうしたらいいのかな? タキシードでも用意する?」


 ふざけ半分、本気半分のイツキの提案。

 どう答えたらいいかわからずに、「そうっすねぇ」としか言えない。


「もう日が暮れて暗いし、とりあえず中に入って考えようか」

「考えつくかわからないっすけどね」

「ふふふ。確かに」


 物に触れることができない体で、一体何が出来るというのか。触れなければ、ドレスを着ることもできないというのに。


 頭の中ではどうせ何も出来ることなんて無いと決めつけていたヨウスケたちだったが、もしかしたら式場の中に入ったら思い浮かぶかもしれないというわずかな期待を持って、式場の門をすり抜ける。


 薄暗い中、目の前に広がったのは、月明かりに照らされた綺麗なチャペルと、傍にある緑満ちあふれた小さな水辺。水辺には月が写り、ゆらゆらと歪んで見えた。

 近々使用する予定がないからのか、それとも営業時間外だからなのか、人気はなく、建物内は真っ暗だった。

 門からチャペルへと続く道は、白いレンガでできていて、その上をアーチ状に装飾がついている。いかにも結婚式場という雰囲気に、ヨウスケの気分が上がった。


「いいね、結婚式場って。今だけじゃなくて、未来への夢とか希望がある場所だよね。僕らには無関係の場所だってずっと思ってたし。でも来てみると、やっぱりいいなぁ」


 チャペルの中へ入り、イツキは呟いた。

 結婚式場と無関係。

 誰にでも結婚という可能性があるのに、無関係ということはどういうことなのだろうかと思ったヨウスケは、またしても素直で、デリカシーのない踏み入った質問をしてしまう。


「何でですか? ほら、エミリさんと付き合ってるんだから、生きてたら結婚式挙げようとかちょっとは考えるんじゃ?」


 その質問を聞いて、イツキは眉を下げてヨウスケを見たかと思うと、すぐに正面を向き、真っ直ぐ前を優しい瞳で見つめる。


「ヨウスケくんには、僕たちが付き合っているように見えた?」


 目を合わさないまま、アーチをくぐり抜けながら問われる。

 過去形の聞き方に、違和感を覚えながらヨウスケは答える。


「え? 見えますけど……違うんすか?」


 イツキとエミリ。

 初めて水族館で出会ったときから、二人は仲がいいカップルだと思っていた。

 自由奔放、自分の意見を素直に伝え、言動には、はつらつと元気溢れるエミリ。

 そんなエミリとは対照的。先に行ってしまうエミリをセーブするためにも、冷静でそして落ち着いた思考をするイツキ。


 性格は正反対であるが、だからこそピッタリはまっているカップルなのだと。

 しかし、今のイツキの言葉では、二人が付き合っていないということを暗示しているようにしか聞こえない。

 そんな風には全く見えなかったため、ヨウスケの思考が停止する。


「僕たち。付き合っていないよ」

「えええええっ!? マジで!? いや、マジっすか?」


 声が静かな夜に響き渡る。想像よりも大きな声が出てしまったことに、焦ってヨウスケは口を両手で押さえたがもう遅い。


「あははっ。ヨウスケくんも、すごくいい反応するよね。面白くていいなぁ」

「そりゃ、ビックリしますって。マジで付き合ってないんですか?」

「うん。正真正銘、僕たちお互いに付き合っていないって思っているよ」

「でも、でもっすよ? マジで付き合っていないのなら、何で結婚式やりたいなんて言い出したんです? 普通、付き合っていないならそういうこと言わないと思うんですけど……?」

「普通、かぁ……普通ねぇ……」


 イツキはヨウスケを見ようとはせず、ただただ真っ直ぐ前を見たままイツキは言葉を続ける。


「ヨウスケくんはさ。普通って何だと思う?」


 返ってきたのは予想外の質問だった。

 日常会話でも使うことが多い『普通』という言葉。その意味を問われるなんて、初めてであった。

 ヨウスケは、頭の中の自分の辞書をフル活動させて意味を考える。もともと学力はよくないヨウスケの頭。すぐには答えがでない。


 ショートするほど頭を使って、やっとの思いで答える。


「多くの人と同じ……? 当たり前? 一般的? 変わっていない? 的なことじゃないですか?」

「うん、そうかもしれない。たとえば、『普通の人ならできる』って言ったときには、大多数の人、ほとんどの人はできるって意味だよね。でもね、僕らは違う。普通ではいられない」


 ゆっくりと目を閉じると、何かを想い、そして考えながらイツキは次の言葉を紡いでいく。


「この日本の社会的にみたら、僕たちは少数派。普通ではない人……一部には異常だって言う人もいるのかな。でも、僕たちは僕たちのことを異常とは思わない。僕たちは僕たちで普通なんだよ」

「ん? すんません。俺には言葉の意味が全然わかんないんですけど……」

「うーん……要するにね」


 イツキは少し考えてから、答える。


「僕らの恋愛対象は、同性なんだよ」


 ブレのないまっすぐな目だった。それに優しさを感じることができる。だけど、どこかにさみしさのような感情が隠されているようだった。

 ヨウスケの広い交友関係の中に、イツキのような同性に思いをよせていることを打ち明ける人はいない。


 テレビでは度々特集が組まれていたり、インターネット上では偏見をなくすような取り組みについて書かれていたりするけれども、それは自分とは関係のないことだと思っていた。


「最近は性的マイノリティを持つ人たちへの偏見は減ってきている。だけれども、まだみんながみんな、受け入れることが出来ているわけじゃない」


 少数派への偏見が存在していることは確かに知っている。

 家族に、友人へと打ち明けたら、気味悪がれるのではないか。嫌われるのではないか。

 プライベートなことまで根掘り葉掘り聞かれたりするのではないか。

 否定されることもあるだろう。その際にどうしたらいいのかなんて答えはない。


 日本では、同性の場合、ほとんどの地域でパートナーとは認められていない。もし、何かあったときに、家族として傍にいることができないのだ。様々な不安を抱いたまま、生きていかなければならない。


「親にも言えない。好きな人にも言えない。言ったら全てが壊れていきそうでね。肩身が狭い生き方しかできなくてね。そんなときにエミリと会ってさ。同じ少数派として、互いに話をしてたんだ。そうしたら一緒に事故にあって、ね」


 本当のことを言えない、それがどれだけ辛いのかなんてヨウスケが完全に理解することはできない。

 なぜならばヨウスケには親友がいて、何でも話してきた。それができないのだと考えたら、少しだけ気持ちがわかったような気がした。


「だから、僕たちは結婚式とは縁のない……やろうと思えばやれるだろうから、なくはないんだろうけど、可能性は低いって意味で言ったんだ」

「あ、その。なんか……す、すみません……した」

「いやいや、何でヨウスケくんが謝るんだよ。僕が話したかっただけだからさ」


 そう言うイツキは、本当に嫌な顔をしているのではなく、むしろ全て話せてスッキリしているようである。


「僕の話はこれでおしまい。僕たちも準備しようか」

「うす」


 チャペルの奥。開かれたままの扉をくぐって、奥へ奥へと足を進める。

 暗闇の通路。月明かりを頼りにすれば、前に進むので何も困らない。

 スタッフオンリーと書かれた部屋、トイレ……そういった部屋には用はないのでスルーしていく。

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