第712話 side:アドフ
アドフは床に倒れ込んだまま、オルトロスを見上げる。
「グゥウウ、ガアアアアッ!」
オルトロスは左の頭は苦しげに喘ぎ、右の頭は忌々しげにアドフを睨みつけていた。
「一矢報いてこそやれたが、これが俺の限界……か」
アドフはその先を失った自身の左肩を見て、力なくそう口にした。
『いや、なかなかの余興であったぞ。か弱き人の身で、一撃与えるために片腕を差し出すとは』
アーレスは楽しげに拍手を送る。
「カァッ!」
オルトロスの左の頭が、血と折れたアドフの剣を吐き出した。
「グゥウウ」
右の頭が吠えると、左の頭を中心に魔法陣が展開された。
左の頭の苦しげな表情が和らぐ。
「〖レスト〗の類か……」
アドフの与えた決死の一撃さえ、呆気なく回復されてしまった。
アドフは床へと俯いた。
命を張ってアーレスへ挑んだのに、本人にはまるで相手にされず余興に用いられ、配下相手に手も足も出ない。
悔しいがこれが現実であった。
あまりに力の差が大きすぎる。
『何を悔しそうにしている? か弱き人の身で、我がオルトロスに一撃与えることができたのだ。充分な戦果ではないか。それを輪廻に旅立つ慰めとするがいい。まさか、本気でこのオレに敵うなどと、馬鹿げたことを考えていたわけではあるまい』
「敵うわけがないとは思っていたさ。だからこそ、他の奴は逃げさせた。……ただ、どうせならお前の方に一撃叩き込んでやりたかったものだ。隙を見て石でも投げてやりたがったが、腕がこの有様とはな」
『オルトロス、余興の幕を引け。気に入ったぞ、お前達は一口で殺してやる』
アーレスの言葉に従い、オルトロスがディランの方へと歩み出す。
「クソッたれ……何も、成せてねぇじゃねぇか! このまま死ぬわけには……!」
ディランは懸命に剣を握るが、まともに持ち上げることさえできていなかった。
『人の身でオルトロスを倒せるとでも思っていたのか? 身の程知らずな……。たかだか数人でこいつを倒せるニンゲンなど、せいぜい神聖スキルの保持者くらいだろう』
オルトロスは左右の頭の口を開く。
ディランの上半身と下半身を、それぞれ別の頭で喰らうつもりであった。
ディランは迫るオルトロスの顔を見上げ、己の顔が恐怖に歪むのを、歯を喰いしばって耐えた。
「畜生……畜生っ!」
ディランが大口を開けて叫ぶ。
オルトロスがディランへと喰らいつく、まさにその瞬間であった。
聖堂のホールの上部に設置されている大きなステンドグラスが、音を立てて派手に割れた。
ガラス片が辺りへと飛び散る。
ステンドグラスを割って飛び込んできた男は、ディランのすぐ横へと着地した。
長い銀髪の、半裸の大男であった。
細身の長い、黄金色の剣を手にしていた。
「お、お前は……?」
アドフは銀髪の男へと声を掛ける。
「そ、その銀髪に、金色の瞳……まさか!」
ディランは己の怪我も忘れたかのように、呆けた顔で男に見入っていた。
『今日は慌ただしい闖入者が多い。このオレの御前であるぞ。粋と認めてやりたいところだが、さすがにこうも立て続けに無礼を起こされては民に示しが付かんというもの……。踊り喰いにしてやれ、オルトロス』
アーレスが呼びかけた、正にそのときであった。
オルトロスの二つの首に赤い線が走る。
両の頭が床へと落ち、身体が呆気なくその場に倒れ込んだ。
『なんだと……?』
アーレスが驚いた声を出す。
ハレナエの民の間からもどよめきが上がった。
「た、只者ではない、この剣士……!」
アドフは目を丸くする。
「まさか、本物の竜狩りなのか!? そ、そうなんだろ? 竜狩りの他に、こうも容易く上級モンスターの首を容易に叩き斬ってみせる奴なんざ、いるわけがない!」
ディランが興奮げに口にする。
銀髪の大男は『竜狩りヴォルク』であった。
最東の異境地での聖女リリクシーラとの戦いの後、神の声が現れて四体の〖スピリット・サーヴァント〗を放ち、イルシアとアロ、トレントを別の世界へと連れ去ってしまったのだ。
その後、神の声も消え、残された〖スピリット・サーヴァント〗は各々に別の地へと去っていった。
イルシアと神の声の話より、神の声の目的がイルシアの旅してきた都市の破壊にあると考えたヴォルク達は、〖スピリット・サーヴァント〗を追ってこのハレナエの地へとやってきたのだ。
『まさか人の身で、オルトロスを……。興が乗ったぞ、名乗るがいい』
ヴォルクはアーレスの問いには答えない。
ただ、剣を振るって〖衝撃波〗を飛ばした。
〖衝撃波〗はアーレスの横を通り抜けて、聖堂の外側の壁に大穴を開けた。
「動ける者は逃げろ。じきにここは死地となる。あの化け物なら、極力は引き付けておいてやる。保証はせんがな」
ヴォルクはこの場に捕らえられている民達へとそう告げた。
民達は戸惑いながらも、ヴォルクの言葉に頷き、恐る恐ると移動を始めた。
『おい、お前……このオレの言葉を無視して、馬鹿にしているのか? このオレはこの世界の王となるべき存在……勇者アーレスであるぞ。このオレが関心を向けてやっているのに、不敬だとは思わないか?』
「アーレスか。旅の道中に、地方のおとぎ話で耳にした覚えがある。太古の勇者……力に溺れ、神罰を受けて罪人として封じられた、と。貴様が本物ならば、なるほど確かに納得が行く」
ヴォルクがアーレスへと剣を向ける。
『このオレを随分と舐めてくれているな。よかろう、久々に剣を振るいたい……手頃な戦いになる相手が欲しいと願っていたところだ』
「伝説の剣士と戦い……もう剣士としての目標とすべき相手がいなくなってしまったかと思ったが、すぐに神話の剣士と戦うことになるとはな。世界は広いというべきか、それとも狭いというべきか。だが、貴様らが化け物なのは知っている。真っ当に挑むつもりはない」
ヴォルクの破った頭上のステンドグラスより、直径八メートル近くはある、巨大な岩塊がアーレス目掛けて落ちて行った。
『つまらんことを……』
アーレスはそれを避けようとするが、岩塊が彼を追尾するように動いた。
『それをつまらんと言ったのだ』
アーレスが大剣を振るう。
『〖衝撃波〗!』
巨大な岩が粉と化して爆ぜる。
いや、それだけでは終わらなかった。
大きな聖堂の、天井の大部分が消し飛んでいた。
僅かに残る天井の骨組みに、人間の上体を持つ大蜘蛛の魔物……アトラナートの姿があった。
彼女が大岩を落として糸で操っていたのだ。
「……なるほど、史上最強の勇者アーレス、これは骨が折れそうだ」
ヴォルクは天井を見上げ、額に汗を流した。
さすがにここまでの馬鹿げた威力を平然と放つのは、想像だにしていなかった。
『このオレを畏れ、崇めよ。オレに挑む罪は寛大な心で許してやる。相手にしてもらえたことを、魂に刻み込んで輪廻の果てまで誇るがよい。だが、このオレを蔑ろに扱うことは許さぬ。お前達全員、弄んで捻り潰してくれるわ。楽に死ねると思うなよ』
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