第709話 side:アドフ
古の勇者アーレスのハレナエ襲撃より五日が経過した。
アドフはこの間、ハレナエを駆け回って戦える者達を束ねて民の救助に当たり、国の最北部の区域の家屋にて救助した者達を集めて匿っていた。
幸いアーレスは、アドフ達の活動にさして気を留めていないようであった。
聖堂に集めた民達に自身を崇めさせて満足しており、初日以来派手な動きはない。
「アドフの兄貴よ……本当にこの活動、意味があるのか? 倒した化け物は、すぐに倍の数で補充されちまうだけだ」
避難区域にて、偽ヴォルクことディランが、アドフへとそう問うた。
ディランはアドフに説得され、彼に命を助けられた恩義もあるため、結局ハレナエに残って彼の救助活動に参加していた。
ただ、アドフの方針に疑問を抱いていた。
「アーレスだかは、あの馬鹿げた祭儀は七日七晩ぶっ続けでやるって口にしてた。今アイツがあの化け物共に任せて本体がまともに動かないのは、そのためだろう? それを過ぎたら、この区域まで押しかけてくるんじゃ……」
「ディラン、お前、自分が逃げたいからって、士気を下げるようなことを……!」
その場にいた兵士の一人が、ディランへと剣を向けた。
「い、いや、確かにそれもあるが……それだけじゃない! ハレナエの端だって、人が集まってりゃその内にアーレスの奴が来る! そうなったら結局全滅だろうが!」
ディランは黙らず、そう続ける。
剣を持った兵士が、殺気立った様子でディランへと近づいた。
「な、なぁ、アドフの兄貴よ! 誰もがお前みたいに高尚な意志を持ってるわけじゃない! そうだ……お前らハレナエ兵の中にも、逃げたい奴がいるはずだろ! それは俺様らが助けた奴らだって同じはずだ! 口には出せないが、思ってるはずだ! なんで俺らを連れて、とっとと逃げてくれないんだろうってな!」
「こいつ……!」
「だからこそお前ら、躍起になって俺様を否定するんだ! 別に俺様だって、この期に及んで我が身可愛さだけで言ってるんじゃない! 作戦中に隙を見て逃げればいいだけなんだからよ! だがな、このままじゃ全員無駄死にだろうが! この辺りで引き上げるべきだ! アドフの兄貴に、恩があるからこそ言ってやってるんだ! なんか間違ったこと言ってるか!」
「ぐだぐだ息巻いて……! 一人で逃げる罪悪感に耐えられないから、俺達を巻き添えにしてるだけだろうが! 俺達はハレナエに忠誠を誓った戦士だ! ペテンの流れ者め! 逃げたければ、言い訳してないで一人で行きやがれ!」
「ペ、ペテンだとぅ!? 小国の犬の集まりが! アドフの兄貴ならともかく、お前達に後れを取るつもりはないぞ! やってみるか! おお!」
ディランもまた、彼らに脅しを掛けるように、剣の柄を握った。
「止めろ、お前達。ディランの言う通り……引き際を見誤っては、全員命を落とすだけだ」
アドフが兵士達を諫めた。
「し、しかし、民を見捨てて、逃げるということですか!」
「理想だけでは人は救えん。兵士の意地に、民まで巻き添えにするわけにはいかんだろう」
「……それは、そうですが」
「助けた民からアーレスの話を聞いたが、やはり奴を倒すのは不可能だ。睡眠も食事も行わない。生物が生きる上で発生するはずの、一切の隙がないのだ。言葉もちぐはぐで、どうやら説得どころか対話さえ叶わんらしい」
アドフはアーレスのいる、聖堂の方へと目を向けた。
今、アーレスは聖堂の奥に籠り、聖堂の周囲に人を集めて自身を崇めさせている。
「司祭殿の見解だが、恐らく純粋な古の勇者ではなく、何者かに魂を縛られて人形と化しているようだ。代々の聖女が有する術に掛けられた魔物と状態が似ている……と」
ハレナエの司祭は聖女の〖スピリット・サーヴァント〗についての知見があった。
〖スピリット・サーヴァント〗のスキルで囚われた者は、食事や睡眠といった本来生存のために必要な行動が不要となり、主に対して一切の反抗を行えなくなる。
行動が縛られ、命令の邪魔になる思考や精神性が削られ、歪められる。
今のアーレスは、世界の支配という本来持っていた欲望と攻撃性を、神の声の命令に沿って歪められ、それ以外を心から切り離された状態にあった。
司祭もそこまでは理解できなかったが、アーレスの状態が〖スピリット・サーヴァント〗、或いはそれに類似する何かであることを見抜いていた。
「ここが限界だ。兵士も何人も死んでいるし、お前達の士気も日に日に下がっている。今日、救助した民を引き連れて、砂漠を渡って他国へと逃げる」
「そんな……」
兵士達が項垂れる。
兵士達も自覚はあった。
自分を誤魔化して鼓舞していたからこそ、ディランの言葉を否定することに躍起になっていたのだ。
「チッ、俺様が言ったら散々馬鹿にして騒いでくれた癖に、アドフの兄貴が言ったらあっさりとしょげやがって。誰が言うのかって大事だよな。だから俺様も竜狩りの名前を借りてたんだ」
ディランの言葉に、周囲の兵士が一斉に彼を睨み付ける。
「じ、事実だろうがよ! 俺様を責めるより、自分の弱っちい心を責めろ! 今回ばかりは、俺様は謝らんぞ!」
「確かにアドフ様の言う通りかもしれません。ですが、俺の家族が、まだハレナエにいるはずなんです……」
兵士の一人がそう口にした。
「……この大人数で、歩いて魔物の蔓延る砂漠を越えるのだ。なあなあで戦力を分散させるわけにはいかん。ハレナエに忠誠を誓った身ならばこそ、わかってくれ」
「しかし、ここで見捨てれば、俺の家族は確実に死んでしまう。こんなの……俺が殺すようなものです。俺一人だけでも、ここに残してください……」
兵士がなお、頭を下げる。
「無謀だ。兵士の意地に、民を巻き添えにするな」
陰鬱な空気の中、アドフが聖堂を振り返った。
「ただ、お前達の指揮こそ引き受けたが、俺はとうに国を裏切って亡命した身だ。悪いが、これ以上ハレナエに尽くす気はない」
「アドフ様……? それは、どういう……」
「俺は単身で聖堂へ向かい、アーレスに一騎打ちを挑む」
「アドフ様!?」
兵士達が驚いた顔でアドフを見る。
「これは俺の意地だ。もし勇者イルシアの死が勇者アーレスがハレナエへ出向いてきた理由ならば、俺には責任がある。それに剣士として終わる前に、最後に派手な戦いがしたいと思っていた。その相手が古の勇者ならば不足はない」
「アドフ様……そんな……!」
ただの言葉遊びに過ぎないことは、他の兵士にもわかっていた。
アドフは残された民を、ただ見殺しにすることはできなかったのだ。
兵士の意地に、民を巻き添えにするわけにはいかない。
だが、捕まっている民を見捨てて逃げるような真似もできない。
そして自身が戦いに赴けば、他の兵士達も付いて来て、肝心な民を他国へ逃がすための戦力も分散してしまう。
アドフの出した答えは、ハレナエの兵士ではなく、一人の剣士としてアーレスに挑むことであった。
「お前達は兵士の使命を全うし、民と共に逃げろ」
「アドフ様……」
残された者をただ見殺しにしたくないと願う兵士のためにも、アドフは一人残ることを決めたのだ。
彼の覚悟に口を挟めるわけがなかった。
「待てよ、アドフの兄貴。その理屈なら、俺様が残ることにも一切問題はないよなぁ?」
ディランがアドフの前に出た。
「お前……! 一番ここから去りたがってたじゃないか」
アドフが驚いた顔でディランを見る。
「これ以上、しけた小国のために気張ってやるのは止めることにするぜ。俺様が恩があるのは、アドフの兄貴の方だからよ」
アドフの雄姿に真の義を見たディランは、彼と命を共にすることを選んだ。
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