第707話 side:アドフ

 もはやハレナエの教会のいざこざや、『竜狩りヴォルク』どころではなくなっていた。

 唐突に大地が割れた謎の災厄に、そして聖堂の上に現れた謎の鎧姿の巨漢。


 アドフは呆気にとられ、遠くのその鎧の男を見つめていた。


「なんだ、あの男……! 先の災害と、何か関係があるのか?」


「あ、あの巨大な白銀の鎧……胸部の獣の浮き彫り……。石板の一節にて目にしたことがあるが、まさか……」


 司祭が鎧の男を、呆然とした面持ちで眺めていた。


「知っているのか、司祭殿!」


 アドフに大声で訊かれ、司祭は苦々しい表情を浮かべたが、すぐに口を開いた。


「……とある石板に、叙事詩として記されておる。どれだけ昔のことかは想像も付かん。〖白銀の巨鎧アルビオン〗……それを纏うは、古き勇者アーレス。圧倒的な力によって世界統一を試みて、聖神様にその力を畏れられて封印された……と」


「まさか、アレが……?」


「わ、わからん、そんなこと……。もも、もしや、聖神様が勇者不在の地上を哀れんで、古代の勇者様を解放してくださった……?」


「そんな都合のいいことが……」


 それに、アドフの目には、どうにも鎧の大男が禍々しいもののように映っていた。

 少なくとも、男が現れたと同時に国の一部が吹き飛ばされたことは間違いないのだ。


「そもそもが、叙事詩に従えば、世界を牛耳ろうとして神に封じられた暴れ者ではないのか?」


「フ、フフ、だとすれば、ハレナエは貧しい砂漠の小国から……かつて存在したという、強大なハレナエ帝国へと返り咲くのではないのか? ああ、そうか、全てがわかったぞ、全てが……! あの御方に、付いて行きさえすればよいのだ……!」


「司祭殿……何を、都合のいい妄言を!」


「かつて聖神様は、この大地を死の砂漠へと変え……我ら人類に苦難を課した……。以降五百年……あまりに長い年月の果てに、人類は信仰を忘れ、この聖地を守れという、聖神様との盟約さえも捨ててしまった。魔物の蔓延る砂漠の中央に置き去りにされ……聖地ハレナエは、いつ砂塵に呑まれるかもわからぬ、危機に陥った。我々ハレナエの民は、外道に身を窶しても、この聖地を魔物の手から守らねばならんかった……。だが、しかし、ついにそれが報われるときが来たのだ!」


 司祭は最初は自分を納得させるように、ブツブツとそう口にしていた。

 だが、語る内に言葉は熱を帯び、最後には彼の瞳に感涙の涙が溜まっていた。

 正気とは思えなかった。


「司祭殿!」


 アドフが呼びかけるが、司祭に聞こえている様子はない。


『おお、おお……ここに来てようやく、我が絶対なる自我が、僅かながらに戻って来たのを感じる……。わかる、わかるぞ! 如何に変わり果てようとも、ここはオレの生誕した地!』


 アドフの頭に、悍ましい声が響く。

 周囲の兵達は頭を押さえて蹲っていた。


「これは〖念話〗……この規模の!?」


『そうだ……そう……オレはアーレス……この虚ろで曖昧な世界にて、唯一絶対の存在! 神の鎖から放たれたということは、悠久の時を経て、今度こそオレが世界の王となるときが来たということ! 今それを神が望んだということ!』


 鎧の大男……アーレスが、一方的な演説を続ける。


『手始めに、この地を我が国とし、全ての者を我が奴隷とする! 逃げる者は殺す! 従わぬ者は殺す! 役に立たぬ者は殺す! この世界の全ては、たった今より王であるオレのためだけに存在する!』


「な、なんだと……?」


 アーレスに救済を見出していた司祭だったが、彼の演説を聞き、さすがに蒼褪めていた。

 聖堂の上に立つ魔人は、明らかに救世主たる存在ではなかった。


『オレの再臨を祝う祭儀を執り行う! 全ての民はオレの許に集い、七日七晩不眠の賛美を送り、日に千の心臓を捧げて偉大なるアーレスの名を称えよ! 歓喜せよ! 蟻に等しき定命の貴様らが、未来永劫に続く世界帝国のその始まりを祝える、その限りなき幸福に!』


「なんなんだ、あの魔人は……。正気じゃない」


 アドフは頬に汗を垂らした。


「聖神様や……我ら人の子は、見限られたのか? それともこれが、我々に与えられた救済だとでも……?」


 司祭は膝を地に突いたまま、ただただ呆けたようにアーレスを見上げていた。


『我が血よ! 兵となりて、愚民共を束ねよ! 〖分離獣〗!』


 アーレスは腕を前に出し、鎧の関節部に刃を突き立てた。

 赤黒い血が飛び散ったかと思えば、その血飛沫の一滴一滴が広がり、膨れ上がり、赤黒い異形の化け物へと変わった。


 目は虚ろに窪んでおり、大きな口は耳近くまで裂けており、異様に長い不気味な牙が並ぶ。

 それらは血溜まりより何体も現れ、あっという間に数十もの軍勢となった。


『これしきの血ではこの程度か。まぁ、充分だろう。行け、グラトニー・グールよ! 愚民共に、我が再臨の祝祭を上げさせよ!』


 アーレスの〖念話〗が響く。

 それと共に、赤黒い異形の鬼……グラトニー・グールが、聖堂よりハレナエ全土へと広がっていく。


「なんだ……あれは。ここは地獄なのか?」


 アドフには目前の光景が、とても現実だとは信じられなかった。


 だが、一つ、わかったことがあった。

 大男の出現と共に起きた、ハレナエを二分したあの災厄は、やはりあの魔人が引き起こしたことであったのだ。

 最初はそんな馬鹿なことがと否定したが、血を撒き散らしただけであの男は百の軍勢を生み出したのだ。

 たった一振りで国を斬ったとしても、もはやそれが有り得ないことだとは思えなかった。

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