第144話

 辺りに緊張感が走る。

 赤蟻達は、俺の周囲をゆっくりと囲んで行く。

 一方的に俺が不利になっていく膠着。

 勝つのが目的なら許容していい状況ではないが、今は命を懸けた時間稼ぎだからな。

 囲みきるまで大きく動かないでくれるのなら、俺にとっても好都合だ。


「クチャァッ!」


 緊張感に堪えきれずか、一体の赤蟻が飛び出してくる。

 それに釣られてか、背後からも赤蟻が地を蹴る音が聞こえてきた。 


「グルゥオオオオオオオッ!」


 俺は吠えながら腰から身体を捻り、腕を大きく伸ばして振り回す。

 飛び込んできた二体を、踏ん張りの効かない宙でぶん殴ることに成功する。

 二体は死にはしなかったが、かなり遠くまで飛んだ。

 どちらもひっくり返り、身体を痙攣させている。どうせ〖自己再生〗ですぐ回復するのだろうが。


「クチャッ!」「クチャ、クチャッ!」


 仲間が二体ブッ飛ばされた光景に触発されてか、今までゆっくりと動いていた赤蟻達が騒ぎ立て始める。

 すぐにでも飛びついて来そうな雰囲気だ。

 一体ずつでも力任せの運ゲーなのに、立て続けに来られたら対処しきれねぇぞ。


「クチャァァツ!」


 一番大きな赤蟻が、大きな声で鳴いた。

 挑発や牽制、自らの鼓舞が目的ではなさそうだ。顔が俺ではなく、天井に向けられている。

 そいつが鳴いたのをきっかけに、周囲のざわめきが、すっと止まった。

 アイツが赤蟻の暫定ボスってところか。隊長格くらいの。

 多分、まだ上がいそうだけどな。Bランク相当以上の。


 赤蟻達は冷静さを取り戻したらしく、俺を警戒しながらゆっくりと囲んで行く。

 向こうさんとしても、滅茶苦茶に動いて犠牲を増やしたくないってところか。

 俺としても玉兎を逃がしたいから利害一致だな。

 一番お互いに損がないのは、俺も見逃してくれることなんだけどな。


 ちらり、背後へと目をやる。

 回り込んだ赤蟻の確認が目的だったが、ついその更に遠くへと焦点を向けてしまう。

 そろそろ玉兎達は逃げた頃だろうかと、どうしても気になってしまったからだ。


「ぺふっぺふっ!」


 アイツ、まだ逃げてねぇじゃん!

 それどころか、逃げる素振りすら見せていない。

 何やってんだよ! 俺が時間稼いでいる意味ねぇじゃん!

 ニーナもいるんだろうが!


『……ヤ、イヤ』


 玉兎は顔を床に向け、掠れ気味の〖念話〗を飛ばしてくる。


 ……おいおい、このままじゃ、全員仲良く全滅じゃねぇか。

 クソッ、どうにか、どうにかなんねぇのかよ!


「クチャッ!」


 ちょうどそのとき、一体の赤蟻が玉兎へと走って行った。

 リーダーらしき赤蟻がそちらへ目を向けて「クチャアッ」と鳴く。

 恐らく、リーダー赤蟻は膠着状態を保ち、俺の周囲を完全に覆うまでは俺を刺激したくなかったのだろう。

 だが、走りだした赤蟻は止まらなかった。


 玉兎が火の玉を投げつけるが、赤蟻は避けようとすらしない。

 赤蟻の体表に触れた火の玉はすぐに消滅し、焦げ痕ひとつ残らない。

 このままだと玉兎が危ない。


 俺は思いっ切り息を吸い込む。

 赤蟻達が一斉に身構え、そのために動きを止めた。

 俺は首を回しながら、通路内に〖病魔の息〗を吐き散らす。

 淀んだ瘴気が、辺りを襲う。


「クチャッ!?」


 俺は赤蟻達が戸惑った隙を突き、尻尾で周囲を薙ぎ払う。

 そのまま赤蟻を掻き分けて玉兎の方へと駆ける。

 丁度、赤蟻が玉兎に向かって大口を開けたところで、その背に喰らいつくことができた。


「グチャッ!?」


 背に牙を喰い込ませたまま、強引に宙へと持ち上げ、壁に放り投げる。

 赤蟻は肩を壁に打ちつけて身体を砕き、床に落ちる。

 だがすぐさま〖自己再生〗で回復し、俺へと突っ込んでくる。

 赤蟻の大群も、俺を追いかけて走ってくる。


 赤蟻は二体いたらタイミングをずらしての攻撃が怖いが、一体だけなら怖くねぇ。

 単体で飛びついてきた赤蟻を殴り飛ばし、玉兎を口に入れ、とにかく追ってくる大群から逆方向へと逃げる。

 とはいえ出入り口が大ムカデで詰まっている以上、俺が向かってるのは袋小路なんだけどな。

 それでも逃げずにはいられねぇ。


 やっぱ〖病魔の息〗、スキルレベル上げた方がいいかもしれねぇな。

 そっちはそっちでデメリット高いんだし、嘆いててもキリねぇんだけどさ。


「ギヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィッ!!」


 案の定、出入り口は大ムカデの馬鹿のせいで封鎖されている。

 もう駄目かと思ったが、なぜか大ムカデが猛スピードで後退している。

 完全に詰まっていたのかと思いきや、退くことはできたらしい。

 赤蟻の大群を見てさすがにビビったらしい。


 よかった。

 これなら、大ムカデが出た瞬間俺も逃げられるかもしれねぇ。

 助かった。なんとか助かったぞ。本気で死を覚悟した。


 ……にしても、なんか変な退き方だな。

 俺には足をもがかせているようにしか見えないんだけど、よくあれで退れるもんだわ。

 それになんか、鳴き声に悲壮感があるっつうか……。

 ま、とにかく、今は休戦で頼むぜ大ムカデさんよ。


 俺は身体を丸め、猛スピードでバックする大ムカデを追い掛けて〖転がる〗で通路の中を駆ける。

 さすがに通常状態よりは遅いが、かなりのスピードで退がってやがる。

 ひょっとして俺が今まで頭だと思ってたのが尻で、尻だと思ってたのが頭なのか?

 いや、さすがにないか。

 ケツからビーム撃ってましたとか嫌すぎる。

 そもそも先頭から人間喰ってたな。


「ギヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィッ!」


 大ムカデの巨体が、通路から完全に抜ける。

 俺は右側に抜け、地上へと逃げ切った。

 ほっとしたのも束の間のことで、直後に恐ろしい光景を見ることになった。


 大ムカデの尾の方に、三十体近くの赤蟻がしがみついている。

 どうやら外に出掛けていた赤蟻が集まり、大ムカデの尾を引っ張って巣穴に蓋をする不届き者を追い出そうとしていたらしい。


 俺はそのまま全力疾走で真っ直ぐに走って逃げた。

 距離を取ってから背後を見ると、巣から俺を追い掛けて走ってきた赤蟻も、大ムカデと交戦を始めていた。


「ギヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィッ!」


 大ムカデが暴れようとするが、尾にくっついている赤蟻がそれを押さえ込む。

 赤蟻達は大ムカデの噛みつき攻撃から逃れるため右と左の側面に分かれ、大ムカデをリンチしている。

 とりあえず体表は後回しにし、足を噛み千切るのに専念しているようだ。

 赤蟻マジ怖ェ。


 大ムカデは身体を曲げたり尾を振り乱したりしているが、なかなか赤蟻を引き剥がせないでいるようだった。

 尾にくっついている団体様が重すぎて、スピードがかなり落ちているのが一番問題だろうな。


 大ムカデは口許に赤い光を溜め、〖熱光線〗の準備を始めようとしたが、赤い光はすぐに口許で小さな爆発を起こし、消滅した。

 大ムカデよ、俺にMP使い過ぎたな。

 そらあんだけ〖熱光線〗ぶっ放してりゃMP切れ起こすわ。

 砂漠の支配者さん、蟻相手に手も足も出ずボコボコじゃねぇかよ。


「ギヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィィッッ!!」


 大ムカデが大声を上げて鳴いた。

 なんとなく恨みがましく、哀し気な声であるような気がした。


 せっかくだから決着を見守りたくもあったが、いつこっちへと標的が移るかわかったものではない。

 俺は〖転がる〗のスピードを上げ、それからは一度も振り返らなかった。


 じゃあな、大ムカデ。

 いつか倒すとは誓ったけど、別に生き延びなくてもいいぞ。

 俺が倒すまで死ぬんじゃねぇぜとか、別にそういう熱い展開は一切ねぇから。

 恨みはあるが友情はねぇから。

 むしろここでくたばってくれ。

 穴に頭突っ込んで出られなくなったところで集られて死んだ間抜けなモンスターとして未来永劫語り継いでやる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る