パンツの国〜下衣文化の異なるイケオジに溺愛されて目のやり場に困ってます〜

micco

パンツを拾う→パンツの国に行く

 庭に見知らぬ男のパンツが落ちている。面積の少ないタイプビキニパンツだ。赤い。

 無駄に広い庭には時折洗濯物が流れ着く。けれどこういったパンツは初めてだった。ゆらふわり、と僅かに風に浮くものの、何処かへ飛ぶ様子がないのを拾いあぐねる。時折ツツジの植え込みに引っ掛かってみたり、サルスベリの枝に引っ掛かって擬態してみたりするが庭からは出ない。物がモノだけに、コーヒーを飲んでいても部屋を閉め切ってテレビを見ていても気になる。さぁもう飛んでったか、どうだ、と二階の窓から眺めると赤はひらり、とこちらを見上げている訳だ。


 私は夫に先立たれ独り暮らし。三十五でのんびり余生、というほどでもないけれど慣れた勤めに出ながら楽に暮らしてはいる。化粧っ気もなくお洒落も苦手な質で、夫の三回忌を目前に新しい相手を、なんて考えられるほどの柔軟性はない。そこにきて男物の赤いビキニが庭に落ちている、まさか新しい男かしら、なんてご近所さんに噂されたら……。私はだんだん落ち着かなくなってきた。

 我が家のモノと思われても困る! と半日泳がせた末、とうとう回収を決意した。もう名乗り出られても困るし処分だ、とゴム手袋で思い切って持ち上げようと触れた、刹那。

 カッ──! とパンツが虹色に輝き光がほとばしった。ごう、と虹色から強い風が起こり肩までの髪が巻き上がる。あり得ない眩しさと吹きつける風に思わず目を瞑った。ぐら、と突然平衡感覚を失う。倒れる! と身を縮こませて数瞬、穏やかに足が地に着いた感覚が戻ってきた。目蓋まぶたに残る虹色をそのままに、貧血でも起こしたのだろうかそれとも何か悪い病気? と、恐る恐る目を開けるとそこは、パンツの国だった。


 突然、外国に来てしまったのだと思った。石畳とレンガの街並、明るい髪の人達。昼食の片付けをした直後のピンクのエプロンにつっかけ姿の私。

 つっかけがカコ、と石畳に鳴った間抜けな音でハッと我に返った。そして道行く人々──ただし男性に限る──のパンツ姿に、私は改めてあんぐりと口を開けた。

 温暖な気候、パンツ、ヨーロッパ風の街並、パンツ姿……。不思議なことに話し言葉は通じる。

 呆然とパンツ姿の人達を眺めていた私が「あれはまさか」「赤いわ!」「あぁなんて神々しい」という周囲のざわめきに気づいた頃、

「そ、それはオズワルド様のビキニ狭衣じゃないか! あ、あんた早くお届けするんだ! あぁこんな近くで伝説の狭衣ビキニを拝めるなんてありがたいことだ!」

 と、親切で強引な街の男性──もちろん緑の長衣ボクサーブリーフを身に着けている──に拝まれ、人だかりに拝まれ、あれよと言う間に大きなおやしき邸の門をくぐっていた。自分の受動性の高さを初認識したことは余談だ。

 私が素手で握る──ゴム手袋はどんな仕組みか、影も形もなくなっていた──ヒモほどに細い赤いクロッチ部分を見た黒い中衣トランクスの家人は、泡を食ったように私を中へ迎え入れた。どうやら、赤の狭衣ビキニはこの国では相当身分のある男性──官位が高いほど面積を狭めていいらしい──が湖に落とした大事な物で、それを拾って届けようとした私は命の恩人ならぬ下衣パンツの恩人なのだという。

 そうして持ち主に会うまでどうか滞在して欲しいと家人に懇願され、件のオズワルド様持ち主との対面を待っている。なんのこっちゃ。

 

 三十五も半ばで、驚きすぎると思考が停止するようだった。いやさっきまで庭にいたのに、と思えば、あまりに非現実的な状況に「これは夢だ」と思う他なかった。

 実際、ここに来てから「はぁ」とか「はい」とか「これは拾ったんです」の台詞しか発していないのは、状況について行けず動揺しているからだし、それを見た家人が「随分落ち着いておられますね」と評するほどキョロキョロしなかったのは下衣パンツ姿の彫刻が飾られすぎているからだろう。

 これが夢だとすれば、私は相当な欲求不満かパンツ好きということになってしまう。

 内心ビクつきながら家人に連れられ、建物のまるで外国のお城のような広さに度肝を抜かれた。黒い中衣トランクスをチラつかせる家人の恭しく一礼する動作からも、赤い狭衣ビキニの持ち主がタダ者ではないことを窺わせた。

 そしてありがたくも宛がわれた部屋──日本であれば二十畳ほどの洋室──で大人しくしつつ、現代日本と明らかに異なる文化を目の当たりにして、私は不安と孤独に身をさすった。一体ここは何処なのだろう。本当に現実なのだろうか。

 家のことばかり考えてしまう。あのパンツを拾うためにガラス戸の鍵は開けっ放しだしテレビも点けっぱなしのはずだ。両親もおらず夫の係累も僅か。私の突然の不在に気づくのは誰だろうか、泥棒に入られたら……。

 それでもその日は温かな食事と立派な寝床、清潔な着替えを与えられ、安堵の中で夜を越えたのだった。



「君が拾ってくれた狭衣ビキニはこの家に代々伝わる宝だ。本当に君が拾ってくれなかったら大変なことになっていた……感謝する、マイ」

 宝とか本気か、と私は口を歪めぬようにできる限りの微笑を浮かべた。あの赤い狭衣とお邸の持ち主であるオズワルド様は、恐らく四十くらいの男性だった。髪を撫でつけて、精悍な顔つきをした所謂イケオジ──外国の人は皆かっこよく見えるからかもしれない──だ。落ち着いたオリーブの瞳に日本にもいそうな濃い茶髪、ここの文明レベル──恐らく明治時代くらい──故か健康的に引き締まった体。そして赤い短衣ブリーフ。短衣だ。

 もう何度も反芻していることだけれど、驚くべきことはこの街の男性が下半身薄着パンツ姿であることだ。反対に女性はくるぶしまでの長いスカートを履いている──私は流行のマキシ丈スカートを履いていた──のには心底安心している。三十五にもなって下衣パンツ姿でガタガタ言いたくはないが、赤いブリーフって、と突っ込みたくなる気持ちを発散出来ないことの苦しさ。このまま耐えていられるだろうか。

 

 金属細工が精巧で高級そうなカウチに腰掛けている彼は、対面に座る私の視線の高さだと上衣シャツ──絶妙な長さで下衣を強調するシャツ──の隙間からばっちり赤が見える。彼は恥ずかしげもなく、いや日本の男性が概ねそうであるように自然に足を広げて座っている。どうしても赤が視界に入る。

 私は視線を彷徨わせた末、十年以上前の面接時の心得『視線は首元』を思い出し、彼の喉仏が上下するのを眺めながら話を聞いた。権力のありそうな人と目を合わせ続けるのもはばかられたから。

「本当ならすぐにでも礼をすべきだったが遅くなってしまい、申し訳なかった」

 オズワルド様は柔らかなテノールで申し訳なさそうに呟いた。そう、私が初めてこの世界に来てから既に七日が過ぎていた。

 慣れとは恐ろしいモノでこの国に来た三日後には、目の前の男性がトランクス中衣でも気にならなくなった。いや、視線を下ろさなければいいのだ、と学び実践している。その心境の変化と一向に元の世界に帰れる気配のないことに私は帰ることを半ば諦め始めていた。そう、何度寝て起きても自分の家に戻ることはなかった。

 そして異なる世界での孤独に苛まれてはいたものの、どうやってここで暮らしていくのか、という不安に押し潰されそうになっていた。不安を打ち明ける人物もいない。

 だから私は彼の低姿勢に心底ホッとして思わずふぅ、と息を吐いた。こんな大きなお邸を持ち、大勢にかしずかれる人物だからどれほど高慢か、と想像していたからだ。もしかしたら詳細を話せない以上、盗んだと誤解されるかもしれないとも思っていた。安心から視線を落としてしまいすぐ戻す。赤かった。さすがに赤は気になる。

 

 相手が黙っているので勝手に返事をしていいものか、と思いあぐねたが、顔を上げ少々余所行きの声で応えた。

「こちらこそ滞在させて頂いて本当にありがとうございます。オズワルド様の寛大なご配慮に感謝しております」

 オズワルド様は一つつ瞬きしそのままスゥ、と目を細めた。なぜか彼はおもむろに姿勢を正した。

「君の真っ黒な髪色は珍しい。それに相当学のある女性と見受けられるが……どこから?」

 ピッと空気が変わった。何かまずいことを言ってしまっただろうか。目を伏せる。

「……情けないことですが、よく覚えていないのです。何者かにこの国に連れ去られて来たようで……」

 これは昨夜の間に捻り出した言い訳だ。オズワルド様は殊更目を細めて私を見たようだった。ちりちり、と頬に視線が刺さる。

「では君は連れ去られた者達から逃げた先で、私の下衣パンツを見つけたと?」

「……えぇそうです」

 少々反応が遅れてしまったが、余計なことは言わぬようただ肯定した。何がどうなるか分からない。だってここはパンツの国だ、同じ人間に見えても私の常識は通用しないのだ。視線は感じ続けていて目を伏せたくなるが、下は赤だ我慢。

「そうか……では君はこれからどうするつもりだ?」

「……分かりません。……本当なら、元いた故郷に帰りたいと思ってはいますが、それが何処なのかも分かりませんし……」

「そうか」と息を吐くように応えたオズワルド様は顎に手を掛けて何か思案しているようだった。ぼんやりと首を見ているのに飽きてしまった私は、赤が見えないように自分の膝に視線を落とした。するとオズワルド様が「では」と切り出した。

「君へのお礼にまずはこの街で仕事を斡旋する、というのはどうだろう?」

 願ってもない! 私は勢いよく顔を上げ、思わずオズワルド様を直視した。オリーブ色が驚きに開いたのを見た。私はわななく胸に湧く興奮で頬が熱くし、礼儀に構わず立ち上がって、

「ありがとうございます! お礼を申し述べるのは私の方です。本当にありがとうございます、オズワルド様!」

 と頭を下げた。そしてしっかり赤い短衣とそこから伸びる筋張った脚を見てしまい、そっと目を閉じた。



 続く

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