ヨルシカLIVE TOUR2022月光再演 ライブレポ
SAM-L
2022.3.31 東京公演 前半
【始めに】
“これを読んだだけでライブに行ったような感動を。”を目標に出来るだけ詳細に描いたライブレポです。
長くなりますがお付き合いいただけると嬉しいです。
恐らく円盤化される為、内容は再び見ることができると思われるので、いち観客視点で、どんな時に何を思っていたのかを分かり易く共有できればなと思います。
このページには、n-bunaさんの語り全文の他、僕の個人的な感想が多く含まれます。
気になる方はブラウザバック推奨です。
また時々興奮により語彙力が海の底へと沈んでいることがありますがご了承ください。
【前提/世界観】
入場時、特典として一枚のポストカードが配られた。
これがこの”月光”というライブがどのようなものなのかを物語ってくれる。
そのポストカードから引用する。
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音楽を辞めた青年からエルマという人物に向けて届けられた木箱。
そこに収められた無数の詩と手紙を元に描かれた「だから僕は音楽を辞めた」
ある日、エルマの元に届いた木箱にはスウェーデンを旅する青年からの手紙と詩が入れられていた。
彼の後を追うように、彼女は手紙に書かれた異国の街へと旅立つ。
エルマの記した日記帳とその楽曲群からなる「エルマ」
絡み合った2作のコンセプトアルバムの楽曲から構成されるコンセプトライブ「月光」
青年が最後の手紙と詩を書き終えた、その後の一瞬の話。
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(青年:以下エイミー)
【メンバー】
・suis(Vo.)
茶髪のボブカットに白の柄入りワンピースでエルマを彷彿とさせる格好だった。
前回の盗作の時よりも更に力を込めるような歌い方で、その姿がエルマと重なるタイミングが何度もあった。
前日の公演で倒れて(正確には座り込んで?)中断したということもあり、時々心配が頭をよぎったが、無事に最後まで歌い切り、感動と共に安心もあった。
・n-buna (Gt.)
髪は茶髪でマッシュ。めちゃくちゃサラサラで揺れる度に動いていた。前回の盗作ライブでは被っていたハットを今回は被っていなかった。
上下黒でボタンがついたシャツにスラックスを着用。
殆どの時間立って動き回りながら弾いていた。
使用機材はゴールドのストラトとサンバーストのテレキャス。どっちもfenderだと思われる。
・下鶴光康(Gt.)
すっかりお馴染み(?)のセンター分けでやはり表情は良く見える。
キタニさんやsuisさんと時々目を合わせたりして楽しそうに弾く姿が印象的だった。
使用機材はGIBSONレスポール、fenderのジャズマスにストラト(これは使っていたか曖昧)とMARTINのアコギ。
・キタニタツヤ(Ba.)
脚が長い。とにかく脚が長い。YouTubeラジオでn-bunaさんが言っていた事は事実だった。確実に公演ごとに脚が伸びてる。
暴れまくって髪を靡かせる姿が印象的。
スラップとかめちゃくちゃ格好良かった。
使用機材はfenderのエレキベースくらいしか分からなかった。
・平畑徹也(Key.)
演奏時の緩急のつけ方が凄かった。
ヘドバンをしたり、跳び回ったり、と思ったらしっとりと弾き切ったり。
後述もするが、”踊ろうぜ”の時のサビでは暴れ回って、アウトロのソロでは超絶プレイをサラッと弾き切る姿はめちゃくちゃ格好良かった。
周りを明るく照らしてくれる存在。色んな意味で。
・Masack(Dr.)
遠目から見て髪型がいかついイメージだった。前回のライブでは位置の関係上ドラムが見えなかったので、今回はしっかりとその姿をを目に焼き付けてきた。激しかったり、繊細だったりする演奏を安定感抜群に叩いているのがめちゃくちゃカッコよかった。
【本編】
——会場に入るとそこには、深い藍のバルト海が広がっていた。どこからか波の音が聞こえ、月光が辺りを照らす。正面に伸びる桟橋が人々の視線を惹いている。
ホールの中はスモークで満たされ、ステージ上には街灯や石畳、石の階段に掛かる雑草などスウェーデンの街並みを思わせるようなセットが広がる。
荷物を置いた後、不安になって手洗いに立ってから席に着いた。
これからここで起こるであろう事に思いを馳せ、日記を開く。
行きの電車で読みきれなかった分を少し焦りつつ読み、その時が来るのを待つ。
無事読み終えて安堵していると、諸注意のアナウンスが流れいよいよかと身構える。
ブーーーーー
というブザーが鳴り少しするとホール内が徐々に暗転していく。
一瞬の暗闇の後、ステージの上方にあるスクリーンに海底からの景色を思わせるような、鮮やかなエメラルドグリーンの海が広がる。
《01.Poetry -海底にて-》
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僕らは深い海の底にいる。
僕らは深い海の底にいる。
真下には言葉の砂漠が広がる。
遥か上には表現の波が泡立つ。
自由に息は出来ない。口だって動かせない。
僕らは深い海の底にいる。
使えるものなら何でも良かったんだ。
表現欲に終わりなんて無い。
僕らは深い海の底にいる。
ずっと深い海の底にいる。
水圧にやられて押し潰されそうな体で僕は浮かんでいる。
水面の月光に手を伸ばし続けながら其処に浮かんでいる。
僕らは鯨だ。
ずっと深い海の底にいる。
僕らは鯨だ。
言葉のオキアミを飲み込んでいる。
想像力という名の海を深く深く描き泳ぎながら。
いつだって。
欠けてしまった何かを探している。
3月31、東京ガーデンシアター、ヨルシカです。
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ポエトリーが読み上げられる最中、海底の美しい映像が一瞬切り替わり、
Vocal: suis
Guitar: n-buna
Guitar: 下鶴光康
Drums: Masack
Bass: キタニタツヤ
Piano &Keyboards:平畑徹也
というクレジットが黒地に白文字で画面の方々に順番に映し出される。
読み上げられているポエトリーは殆どが画面上に文字起こしされており、視覚と聴覚でその内容を頭に入れ込む。
そうか、僕らは深い海の底にいるのか、と思った矢先、
『欠けてしまった何かを探している。
3月31 東京ガーデンシアター ヨルシカです。』
で一気に身体中が熱を帯びる。
ついに始まってしまった、と思う間もなく最初の曲のイントロが流れ始める。
《02.夕凪、某、花惑い》
原曲にはない激しいフレーズで始まり、チッチッチッチというハイハットの後に掻き鳴らされるギターが轟音で響く。リードギターが勢いよく入って最初の曲が始まる。
そして聞こえてくるsuisさんの歌声。Aメロでは優しく、少し震えるようだった気がする。拳でリズム(?)をとりつつ歌っていた。
この日、最初に圧倒されたのが、この曲のサビの歌の破壊力。上手いのはもちろんとこと、圧倒的な声量がマイクの性能を上回ってしまっているように感じた。マイクからの出力が天井についてしまっているような状態だ。(これは結局、この公演で何度も感じる事になる。suisさん恐るべし。)
そしてもう一つ印象的だったのが照明だ。
サビなどでは眩しいほどの光量でステージの右から左へと移っていくような印象の照明など、その音に合わせてさまざまな変わっているのを覚えている。
バックの映像は手書きの歌詞に(これは全ての曲であった)、夜の東京の街並みを映していた。
《03.八月、某、月明かり》
間を置かずに
「何もいらない」
と歌われ、勢いの良くギターが入ってくる。
夕凪、と対になるこの曲を二曲目に持ってくるという神セトリに感謝。これはどっちもアップテンポで熱量を上げやすいからかなとか思ってる。
八月、は唯一原曲と比べてキーが下がっていた。理由は色々憶測されているが、正確な事はわからないので妄想を膨らませたい。
この曲もサビになってからの叫ぶような歌が魅力の一つだと思うが、
「想い出になんてしてやるもんか」
は耳が割れんばかりの声量で叫び、(円盤では音が少しマイルドになっていた)
「気持ちよくて仕方がないわ」
は裏声で歌っていたのが原曲通りだ!と思って感動した。
そして
「そんなの欺瞞と同じだエルマ」
で完全にノックアウトされ、最後の
「今も、愛も、過去も、夢も、——」
ではよく間違えないな余程練習したんだろうなと考えていたら曲が終わった。
バックで流れていた映像は夜の東京の街(歌詞中の関町や小平など?)を自転車で駆け抜けるような主観の映像だった。
《04.Poetry -関町にて-》
———————————————————
つまらないものは嫌いだった。
だから僕自身も嫌いだ。
関町で暮らす生活にも段々と慣れたが、君の居ない暮らしには慣れない。
花を買う余裕もない。
生きるためにするバイトにも正直もう飽きている。
現実は湿地帯。出来れば音楽だけで生きたい。
でも僕にはどうやら何かが足りない。
夕暮れを見ていた。僕はずっと歩いていた。
富士見通りは商店街。駅前のロータリー茜色。
バイト先から帰る道の途中で僕は歌を聞いた。
頭の中で鳴った。君の弾くピアノが鳴った。
もしも僕の寿命が残り一年だったなら。
今から何をするんだろうか。
人生の価値は終わり方。
だとしたら生まれてきた意味を残したいが。
特別な何かが欲しい。
結びの弱い小説ほどつまらないものはない。
そうだ。
僕は僕の人生で作品を作ろう。
エルマ、君に遺す何かを作ろう。
何処か遠くの国へ。
旅した場所で、詩を書いて。
そして、手紙と詩を君の元に送ろう。
この一年だ。
この一年が僕の一生だ。
僕は僕の人生で作品を作りたい。
君に遺す何かを描きたい。
作品の題は決めてある。
「だから僕は音楽を辞めた」
夕暮れを見ていた。僕はずっと歩いていた。
富士見通りは商店街。駅前のロータリー茜色。
バイト先から帰る道の途中で僕は歌を聞いた。
頭の中で鳴った。君の弾くピアノが鳴った。
—————————————————————
このパートでは物語の始まりが語られた。
最初のポエトリーでもそうだったが、後ろで流れるインストに合わせ、韻を踏むような語り方をする。MOROHAの歌に近いような感じだ。
「現実は湿地帯。
出来れば音楽だけで生きたい。
でも僕にはどうやら何かが足りない。」
のように韻を踏むように読み上げていたのを鮮明に覚えている。
そして手紙で何度も読んできた
「この一年だ。この一年が僕の一生だ。」
を生で聞けて感動する。
「作品の題は決めてある。
『だから僕は音楽を辞めた』」
で鳥肌が立つ。そして「夕暮れを見ていた—」が再び読み上げられてポエトリーが終わった。
バックでは関町の日常の風景が切り取られ映されていた。
《05.藍二乗》
ポエトリーの余韻に浸っていると、気がつけばこの曲が始まっていた。間髪入れずにという感じ。
物語の始まりを語るポエトリーからの、関町に住んでいた頃、物語内で言えば一番始めに書かれたこの曲が歌われるという激アツ展開に興奮が止まらない。
曲が始まって少しの間赤いレーザーが扇状に膜を貼るように放たれていたのだが、そこにかかるスモークが雲のようになって感動する。(インクを溢した様と言っている人もいてなるほどなぁとなった)
照明は全体的に”藍”ということもあってか青系ものが多かった。
n-bunaさんがリフを弾くギターが原曲よりも歪みが大きかった気がする。
Live前世のアレンジとは違う原曲verを生で聴ける喜びが凄かった。
バックの映像はYouTubeにもあるオリジナルMVがフィルム調に加工されたものだった。
《06.神様のダンス》
どこかで聞いたことがあるようなピアノのフレーズが鳴り、何の曲だろうと思っているとギターが特徴的なイントロが流れ出した。
神様のダンスだ!と分かる。
この曲はギターのリフが好きすぎるということもあり、ずっと双眼鏡でメンバーの手元とsuisさんの表情を見ていたので詳しい演出はあまり覚えていない。
イントロのハイポジションのリフは下鶴さん、コード弾きはn-bunaさんで、ソロではリードとバッキングが入れ替わってn-bunaさんが弾いていた。
そしてここで初めてn-bunaさんのハモリが入っていた。サビの部分、suisさんの歌声を邪魔しない心地いいハモリだった。
「月明かりを探すのだ」
で月明かりをイメージした様な黄色のスポットライトがsuisさんに当たっていて感動した。
suisさんは特に、揺れながら下を向いたり手を伸ばしたり拳を握ったりと様々な歌い方をしていて見ていて楽しかった。
後は「胸も痛いままで」の前のピアノガーーンは痺れた。(伝わってるかな?)
またアウトロのアレンジが良かった。
《07.夜紛い》
神様のダンスのアウトロから直ぐに始まった。
この曲の間、何を考えていたかあまり良く覚えていない。
というのも、曲が始まってからずっと、あれこの曲なんだっけ?夜紛い?いや違う?いや夜紛いだよな。という様なことを考えていたからである。勿体無いことをした……
「がらんどうの心が——」
のところで入ってくるベースが良かった。
そして何と言ってもこの曲の醍醐味はサビ部分だろう。
「人生ごとマシンガン 吹き飛ばしてもっと」
この部分で再びsuisさんの歌声がマイクの限界を突破していた。またここでもn-bunaさんはハモっていた。バッキングのギターを掻き鳴らしながらマイクに向かって歌う姿が格好良かった。
サビ終わりのドラムも良かった。
そしてアウトロなどでn-bunaさんがアームを使っていて、ヨルシカでアームが使われたのを初めて見た気がして、!!!!!と暫く余韻に浸っていた。
《08.Poetry -雨の街について》
———————————————————
六月の梅雨晴れが少し待ち遠しいと思う季節。
僕は一人座る。あるカフェテラス。
人気のないテーブル。詩を書き啜るカプチーノ。
梅雨が明けるまでは此処が僕の特等席。
あの風に吹かれて捨てた紙が転がる。
ぐしゃぐしゃに丸めた僕の詩が一つ転がる。
君はそれを拾ったままぼうと眺めている。
僕はその横顔を見て何かを思っている。
美術館の見知らぬ絵画。
民家から漏れる薄明かりみたいなピアノの音色。
路傍の花が覗く美しさ。
春の日の夕暮れ。
潮風と月明かり。
僕はそれになりたい。
真夏の雲になりたい。
この指で書く詩にその美しさを残したい。
朝焼けになりたい。
それを写す鏡になりたい。
言葉になりたい。
雨の街を歩く。何か一つ考えながら。
カメラのフラッシュのように景色が切り替わっていく。
景色が切り替わっていく。
今日は何を書こうか。そんなことを思う。
鞄から溢れ落ちた紙屑を拾う。
顔を上げると、僕は、雨の滴るカフェテラスにいる。
—————————————————————
エルマとエイミーの出会いに関するポエトリーが読み上げられる。
「景色が切り替わっていく。」のところで本当にカメラのフラッシュを焚くように画面が切り替わる。そんな細かい演出がライブ中いくつもあってその度にうわー!やってくれるな!!と思っていた。
全体的にここまでは立川の日常の風景と共にエイミーの過去や当時の心情が多く描かれていたが、このポエトリーを境に雨の街を中心にしたエルマとの思い出が描かれていく。
会場が暗転した後、明るくなるとステージ上両端にスウェーデンの街並みを彷彿とさせるような幾つものセットが釣り上げられていた。古い建物の窓と壁を模したようなものだ。
《09.雨とカプチーノ》
ポエトリーから何となく予想はしていたが、やはりこの次はこの曲。
イントロのキタニさんベーススラップが爆イケ。ライブとはいえボーカルやギターに比べ目立つことのないベースがここで大活躍。
確かsuisさんの歌がAメロの「灰色に白んだ」の頭でよく出ていなかった気がする。それでもその後直ぐに立て直すあたり凄いな、と感動したのを薄っすらと覚えている。
サビの転調のところで、ふとMVの「カラオケでこの曲歌ったら友達が……」みたいなコメントを思い出して(詳しくはYouTubeにある雨とカプチーノのMVのコメント欄参照。多分上の方に出てくる)やっぱりこの転調最高だよなぁ?などと染み染み思っていた。
n-bunaさんの弾くソロのアレンジが良かった。
映像はMVを実写化したようなもので、丸められた紙やエイミーが何かを万年筆で書く様子が流れていた。
また、雨を思わせるようなプロジェクションマッピングがステージ全体にゆっくりと降り注いでいて完全に世界の中に入り込んでいた。
《10.六月は雨上がりの街を歩く》
ベースを中心とした原曲にないジャジーなイントロの後に流れ出すお馴染みのギターリフ。
もしかしたら……と思っていたが、やはり来た雨繋がりでこの曲。
雨の日の気怠さを連想させるようなテンション感が堪らなく好き。特にイントロのギターリフはもう気持ち良すぎるよね。
Aメロの静かなギターに合わせて優しく歌うsuisさんの声が雨粒みたいに透明だった。
そしてはっちゃんさん(平畑さん)の弾くキーボードが良い。グルーブ感と言えば良いのだろうか。気持ち良い。
そしてここまで来ると揚げ足とりみたいにもなるが、ラスサビ前の無音の部分でギターのミュートに失敗したのか一瞬音が鳴ってしまって、うわあぁぁ、、!!ってなってた。自分もギターを弾くので完璧にミュートするのって何気に難しいのは分かってたりするけどどうしても気になってしまった。(本当にごめんなさいその他は完璧でした!!!!)
この曲ではどんな映像だったかよく覚えていない。ただ青を基調とした雨上がりを思わせるような照明だった。
《11.雨晴るる》
再び雨繋がりでこの曲。
イントロ前にカリンバを使ったような穏やかなアレンジがあった。なんと言ってもワウを使ったギターのイントロが堪らない。
この辺はただただ雨の街を雰囲気に浸っていたので良く覚えていない。
雨が晴れた後がイメージされていたのか青を基調に左上から陽が差しているような照明だった。
画面の映像は黒字に白の手書き歌詞が流れるシンプルなものだった。
(このライブの真骨頂、後半へと続く……!!)
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