【完結】蒼雷のオデュッセイア~黒き獅子王と紅き吸血姫は月下に舞う~

黒幸

第一章 機械仕掛けの騎士

一級怪異襲来

第1話 世界が軋む時

 西暦20XX年。

 人類は未曽有の危機に瀕していた。

 最初の異変は誰も気に留めない小さなものだった。


 夜明け前のまだ薄闇が支配する通りを男が千鳥足で歩いていた。

 ぼんやりした頭でふと視線をやるとゴミ集積場に茶色い毛並みの大きな野良犬が一匹いるではないか。

 男はまだ覚めやらぬ頭で面白半分に石ころを蹴飛ばし、ゴミ漁りに熱中している犬を驚かしてやろうか。

 そんな下らないことを思い立ち、石を蹴飛ばそうとした男と振り返った野良犬の視線が交錯した。

 それは犬の目ではない。


「なんだ、人間。用が無いなら、ほっといてくれないか」


 人の目をしたソレは人の声ではっきりと人の言葉を発したのだ。


 人面犬。

 旧世紀、都市伝説と呼ばれる事象で語られた怪異の一つだ。

 人間の頭部と犬の胴体が合成されたいわゆる合成獣キメラの一種だが、不気味な見た目をしているだけで実害はない。

 オカルト愛好家や物好きがせいぜい、騒ぎ立てる程度で済んでいた。

 それだけなら、かつてブームとなっていた都市伝説が再ブームの時を迎えただけの話で終わっていただろう。

 人面犬は始まりに過ぎなかった。

 かつて世間を騒がせたモノどもが再び、世を賑わし始めたのだ。


 怪異により引き起こされた異変は世界を確実に蝕んでいく。

 不可解な殺人事件が多発し、天変地異とでも言うべき異常気象が世界各地で発生した。

 そして、ヤツらが姿を現す。

 悪魔。

 神話や伝承に姿を伝えられる邪悪な存在にして、人類の天敵。

 圧倒的な力の前に人々は逃げ惑い、繰り広げられる虐殺ショーを前に逃げ場などなかった。

 人類の未来を彩るのは絶望いう名の底知れぬ闇色で塗りつぶされており、光の見えぬ暗いトンネルの中にあったのだ。

 そんな時、一筋の光明が射し込まれた。

 光宗みつむね博士によって提唱された二足歩行型機動兵器・装甲機兵アーマードマシナリー

 全高はおよそ八メートル。

 直立歩行が可能な人の形をした機動兵器であり、搭乗者が乗り込む戦闘用ロボットである。

 最大の特徴は人と同じ五本の指を備えた腕部マニピュレーターだ。

 専用に開発された遠距離用の兵装である銃火器や白兵戦用の兵装である近接武器を戦場や用途に応じて、換装が可能になっていた。

 先行試作機AM-00プロメテウスが実戦に投入され、驚異的な戦果を挙げたことから、世界各国で装甲機兵アーマードマシナリーの開発競争が激化することとなる。

 短期間で急速な進化を遂げる装甲機兵アーマードマシナリー

 それが世界の歪みの一つであることに気付くことなく、人類はその歩みを止めようとはしない。




 K県A湖。

 奈良時代、周辺を荒らし回った強大な力を誇りし怪異・九頭竜が調伏された湖である。

 観光地としても有名な同地は日中であれば、賑わいを見せる観光客の姿や遊覧船が見られたことだろう。

 天空に銀色の優しい光を投げかける月が顔を覗かせている時間ともなれば、話は別だ。

 静まり返った黒き森に夜行性の動物や鳥類の声が時折、木霊している。

 不気味なほどに凪いだ湖面には月が照らし出されていた。


『……ザッ……ザザー』


 男は耳障りな音を流し続ける通信機に苛立ちながらも冷静さを失っていないのか、無言でハッチを閉めると小隊に一層の警戒と哨戒しながらの進軍を命じる。

 激化した開発競争の過程で生まれた異形の装甲機兵アーマードマシナリーカルキノス。

 この機体が英雄に踏み潰され、倒された逸話を持つお化け蟹の名を付けられたのは偏にその見た目に依るところが大きかった。

 三百六十度旋回が可能な主砲塔を一門、前部と後部に対地・対空が可能な連装型機銃を配した戦車を連想させる車体からは六本の脚が生えており、蟹に似ているからだ。

 制式名こそ、縁起の良くないカルキノスだが、従来の人型装甲機兵アーマードマシナリーより大きな機体を活かし、様々な機能を盛り込んだことで多くの国々に制式採用されていた。

 優れた通信機能に加え、電子戦にも対応が可能な点、多脚による踏破性能の高さを買われ、小隊、中隊を率いる指揮官機として重宝がられたのである。


 男――小暮一等陸尉――はスクエアタイプの眼鏡を神経質そうに直すとカルキノスの車内で思索に耽っていた。

 当地には自分の部隊である小暮小隊を含め、装甲機兵アーマードマシナリーを擁した四小隊が派遣された。

 にも拘らず、自部隊以外とは連絡が取れない状態になっている。

 何らかの敵性体の襲撃を受けたと判断せざるを得ない状況だが何れの隊からも救援要請がないまま、途絶えているのだ。

 反撃や連絡の暇もなく、撃破されたのであれば、敵性体は相当な難敵ということになる。


「それに何だ……この季節外れの寒さは」


 今年の夏の暑さも例年通りの猛暑であり、日が沈んでからも蒸し暑さは続いている。

 分厚い鋼の塊で構成されたカルキノスは熱が篭りやすく、真夏の機内は灼熱地獄と言ってもいいほどだ。

 それが嘘のように暑さという物を感じない。

 それどころか、肌寒さを感じるほどなのだ。

 幾度もの修羅場を乗り越えてきた小暮一等陸尉だが、明らかに異常な事態に全身から、冷や汗が出た。


 小暮小隊の布陣はカルキノスを中心に置き、その周囲を計五機の装甲機兵アーマードマシナリーAM-08NSゼファー・ナイトストライカーが固めていた。

 ゼファー・ナイトストライカーは形式番号でも判別出来るように世界でもっとも普及した量産型装甲機兵アーマードマシナリーAM-08ゼファーを局地戦用に改修した機体である。

 ゼファーは搭乗者の技量に依存しない扱いやすさと如何なる場所にも適応可能な汎用性の高さに加え、メンテナンス性も優れた名機だ。

 現在、主力をの座を後継機であるAM-09メルクリウスに明け渡したものの未だに派生機や改修機がロールアウトされている。

 ナイトストライカーもその一種であり、ナイトの名の通り、夜間戦闘用のチューニングが施されたカスタム機だ。

 駆動部や機関に使われている部品を厳選し、従来機よりも出力が向上しているのも特徴で格闘性能にも秀でている。

 その為、特殊任務を請け負う小隊に配備されているのだが……


「な、なにが起きた? 一瞬で全滅だと!?」


 たかむら一等陸曹は目の前で起きた出来事に我が目を疑った。

 闇一色で彩られた深い森を風のように微かに動く気配を感じ、目を凝らすと単眼モノアイが赤く輝き、こちらを見ていたのだ。

 それから、十秒も経たないうちに清水三等陸曹、大橋一等陸士長、石川三等陸曹、湯沢二等陸曹。

 信頼する部下達の乗る四機のナイトストライカーが夜の闇と同化した影にあっという間に沈められた。


 隊の中でもっとも若く血気盛んな大橋が止める間もなく、ハンドレールガンを赤い単眼モノアイに向け、乱射した。

 事に当たっては冷静であれと窘めるべきかと篁が目頭を押さえ、軽く自嘲したがその一瞬の隙に事態は大きく、動く。

 ハンドレールガンを乱射していた大橋機の右腕が肩からきれいに切断され、頭が粉々に砕かれていたのだ。

 黒い影は頭部と腕を失い、戦闘力を削がれた大橋機の腹部に鋭く尖った爪を突き立てると動力核を取り出し、次の獲物へと襲い掛かった。


「何だ、こいつは……」


 たかむらは目の前に迫りくる黒い影にこれまでにない恐怖を感じていた。

 至近距離からのハンドレールガンを回避する驚異的なスピード。

 既に沈黙した四機は頭や腕、足を失った無残な姿を晒し、動力核を抜き取られているが搭乗者は全員、無事のようだ。

 つまり、人員を傷つけないように正確に動力部だけを貫いている。

 装甲機兵アーマードマシナリーのマニュピレーターは器用に何でもこなすが特徴だが、あのような精緻な動きは不可能な動きだった。


「それなら、これはどうだ!」


 しかし、たかむらは恐怖にただ怯えるだけの人間ではなかった。

 ナイトストライカーは格闘戦に特化した機体。

 距離を詰めれば、望みはあると闘志を奮い立たせるとサーベルを抜き、両手で構える。

 下段の構えを取り、右斜め下より切り上げると見せかけ、寸前で突きに転じることで相手の虚を付けると判断したのだ。


「な、なんだと!?」


 黒い影はまるでその動きを見切っていたかのようにたかむら機の懐に入り込むとサーベルを持った両手首を軽く掴み、粉砕した。

 微かな衝撃を感じ、機内の電源が落ちる。

 愛機の動力核も抜かれたのだと気付き、脱力するたかむらの胸に去来するのは隊長である小暮の安否だった。




 指揮官機であり、通信機器の強化されているカルキノスが僚機の異変に気付かないまま、動かないのには理由があった。

 ゼファー・ナイトストライカー五機がスクラップになるほんの数秒前の出来事である。

 動かないのではなく、のだ。


「このタイミングでジャミングか。敵さんもやるな。消せるか?」

「隊長……これは!? システムが侵食されています。このままでは……もう駄目だああ」

「何だと!?」


 カルキノスは装甲機兵アーマードマシナリーの亜種だが乗員の構成は戦車のそれに近いものがある。

 車長、操縦士、通信士、砲術手、装填手の五名から成るチームは部隊長であり、指揮を執る車長以外、その道のスペシャリストだ。

 電子戦において、非凡な才を誇る古川一等陸曹は歩く電子頭脳と呼ばれ、まるで機械のように感情がないと揶揄されることがあるほどに焦りとは無縁の男だった。

 その古川が焦燥と恐怖というこれまでに感じたことのない感情に怯えていた。

 高感度レーダーだけではない。

 暗視機能もある外部モニターシステムまでも全てが異常な動作を始め、まともに動いている電子機器が一つもない。


 そして、衝撃音とともにカルキノスの電源も落ち、車内は全き闇に包まれた。

 この危機にあって、唯一体を動かし得たのは隊長である小暮ただ一人だ。

 手動でハッチを開き、彼が目にしたのは背から、悪魔を思わせる翼を生やした黒い影がカルキノスの動力核を抜き取り、去っていく姿だった。




 A湖周辺で作戦行動に入っていた四小隊が全て、沈黙するという異常事態に陥ってから、数刻の後。

 その湖畔に陸上自衛隊の装甲機兵アーマードマシナリーから、動力核を抜き取った黒い影が静かに佇んでいた。

 その周囲には戦利品のように抜き取られた動力核がどういう原理か、浮いている。


 漆黒の影の全身は深淵を思わせる底知れない闇の色で彩られている。

 頭部には左右に伸びる特徴的な角を思わせる装飾が施されており、鋭角的でありながらも曲線を合わせたデザインになっていた。

 その中心部には赤い単眼モノアイが輝いており、その光が光沢感のある美しいボディに映え、どこか美しささえ漂っていた。


 湖面が徐々に泡立ち始める。

 沸騰したようにそれは徐々に激しさを増していき、時折、稲光のように紫や金色の光を水中から、発している。

 間欠泉の如く、大きな水柱が発生し、その中から、大きな一つの光球が出現するのだった。

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