第46話 ライン峠の戦い 前編

「ストーン兄ちゃん、急がないと。山岳地帯に放っていた子分たちからの連絡だと、リオニアの別働隊がライン峠をめざしてやってきているらしい。ラグナロクを挟み撃ちにするつもりじゃないかってよ」 

レパルが新しい情報を伝えて来た。


「そうか。急ぐぞ!!」


「待たれよ! ストーン殿」軍師を務めるラウザナが制止した。

「それなら慌てて行くこともありませんな。やつら挟み撃ちのために、その援軍を待つため、戦いを長引かせるでしょうから。まずは、こちらも軍を整えて」


「なるほど。だが、ルカニオスたちは、そこまで持たない。追い詰められて完敗を喫するよりも、戦えるうちに出来る限りの攻撃に勝機を賭ける男だ。生き残ることより敵を倒すことしか考えていない。手遅れになる前に、急ぐぞ!」


「そうでありますか。やれやれ戦士たちはどうも気が荒い」

ラウザナは引き下がった。



「騎竜剣、起動。たのむ、ピティ」

 光り輝くドラゴンが舞う。それにまたがるストーン。「これなら間に合うだろう、先に行ってるぞ」


 竜が羽ばたく、みるみるうちに天高く舞い上がる。

スカーレットブルクの街が小さくみえる。鳥たちがずっと下のほうを飛んでいた。

ストーンは手綱をしっかりと握り竜から離れないように気を付けた。

「ここから落ちたら、悪運強いこの俺でも絶対に助からないな。親父たちは平気で飛んでいたのか、竜騎士も危険な仕事だ」


 眼下には街道や森がみえる。前にリオニアに行くときに通った道だ。ほんの数時間で移動できてしまう。もうライン山脈はすぐそばだ。山脈の西端が下にみえた。

「もうすこし。待っていてくれよ、ルカニオス」


 その時、ライン山脈の西端の麓のほうに何かの行列が連なっているのが目に入った。ストーンは手綱を操作して竜の飛ぶ高度を下げていった。「どこの軍勢だ? もう少し、近づけるか……。気付かれるなよ」

竜は羽ばたくのを止めて滑空する。速度は落ちるが静かになった。羽根は動かさず、風の流れを読みながらそっと飛ぶ。


「新手か? レパルの言っていた情報のやつらか。黄色の軍旗に鎧兜、リオニア兵に間違いはない。千人近くいるのか、迂回してルカニオスたちを挟み撃ちにするつもりだろうが……そうは、させるかっ! 」


ガルルルルルルルルル……

「くらえっ!! ドラグーンサンダーブレス!!」


 竜が吠えた。吐息というレベルは超えているだろう、周りを渦巻くエネルギー波が稲妻になって大地に叩きつけられた。続いて衝撃波が襲う。

地面がえぐられて近隣の木々はそぎ倒されてしまっていた。そこに居たはずのエリオット軍は跡形もなく消え去っていた。もう少し制御すべきだったとストーンも竜も自分たちの未熟さを反省していた。山の形が変わってしまったかもしれない。


 ここまでの飛行と今の一撃で体力を消耗したのか、竜は自由落下に任せて降下していく。「しまった、オーバーヒートか」


 地上に降りたストーンは竜が消えていくと騎竜剣を鞘に納めた。

「ここから徒歩でライン峠まで行くよりも、後続を待って馬で行くほうが早いな」

小高い丘を見つけると木陰に腰を下ろして昼寝をはじめた。「ウィリウィリたちめ、まだ姿も見えん。寝過ごしたら洒落にならんが、休める時には休んでおくか」


 ほんすこし夢をみた。風のすみかで剣の練習をしていたころ、休憩時間に木陰でよく昼寝をしていたことを思い出していた。ピティちゃんがおやつを持ってきてくれるころだ……ムシャムシャムシャ、美味しいなぁ……、ピティちゃん……。夢うつつだ。眠るストーンの手に握られた騎竜剣も、心なしか安らいでいるようにみえた。



――――リオニア=スコル国境 ライン峠


 夕陽が照り始めた。血の色の光がラグナロク傭兵団の真紅の鎧をさらに赤々と染めた。リオニアの大兵団が、まるで瀕死の動物に群がるハイエナのように周囲を取り巻く。

 「ティグリス閣下、日没までにもう時間がございませぬ。そろそろ、仕留められてはいかがかと……」と参謀らしき男が将軍に声をかけた。


 「早まることはない。ここまで追いつめたのだ、明朝を待っていっきに叩きつぶす。それに今慌てて仕掛けると我らも被害がかさむ。なにせ相手はあのラグナロク」ティグリスは冷静だった。


 「はっ、油断はできぬとおっしゃられるか」参謀が合鎚を打つ。

リオニアの猛虎と異名をとるティグリス将軍がただの猛将ではなく、冷静に戦いの流れを読んでいる知将でもあった。

念には念をいれるために近くに駐屯していた国境部隊に援軍を要請していた。国境部隊からは、すでにエリント師団長の率いる 八百人の兵たちがこちらに向っているはすだ。遅くとも明日の正午までには援軍として駆けつける手はずになっていた。


「エリント軍が背後から取り囲めば、ラグナロクたちに逃げ場所はない」

現状でティグリスの軍勢千騎余り。ラグナロクたちの兵力は甘く見積もったとしても三百騎も残っていないだろう。三倍の戦力差が、明日には六倍になる。

いかにラグナロクとて、アリの這って出る隙間もあるまい。

「獅子は兎一匹を仕留めるにも手を抜くことはしない。完膚なきまでに叩き潰してやるぞ、ルカニオス」

ティグリスは自らの名声をさらに高めることになる手柄を目前にしていた。史上最強と謳われるあの傭兵騎士団を仕留められるかと思うと功をあせる気持ちが大きいのも確かだったが、それだけに用心を怠らず勝利を確実なものにしたかったのだ。

絶対に勝てる条件を作り出してから戦う、それが無敗を誇るティグリスの流儀だった。


「隊長……。とうとう予備の水も尽きちまいました。塩は、まだいくらかありやすが、水なしじゃ何日も持ちやせん」ヨハンがルカニオスに申し出た。彼はもう年老いていたが長年にわたりルカニオスの副官を務めていた。


「瀕死の者がいたら、こいつをやってくれないか」ルカニオスは自分の水筒を投げてよこした。そこには満杯の水が入っていた。


「隊長、まさか、一滴も飲んでなかったのですか」ヨハンは驚嘆した。

本来、ルカニオスの地位は騎士団長だから、という呼びかけはおかしい、ヨハンたちがという呼び方をしているのは昔からの敬愛を込めた愛称のようなものだ。


「それよりヨハン。すぐに指揮官連中をここへ集めてくれ」とルカニオスは命じた。

「みんな、よく耐えてくれた。このルカニオス、心から礼を言う。俺達は所詮、金のために戦う傭兵だ。アンタレス大公への御恩も十分返せたはずだ。俺が死んだら、その時点をもって投降せよ」


「隊長が?」ハンバールが心配そうな表情で問うた。


「俺か。この首くらいやらねば、やつらも納まりがつかぬだろう。もっとも、ただでくれてやるつもりはないが。敵将ティグリスの首を獲って地獄への土産にしてみせよう」ルカニオスは、ふっと笑った。


「おれも連れて行ってください」小隊長のひとり、クロシスが言う。

「私もお供させて頂きます」歴戦の傭兵・ハンバールも志願した。

「ワシは老い先知れている。いっしょに行こう。道案内くらいにはなるじゃろ」老兵カノンも言う。次々と特攻を申し出る傭兵たち。


「貴様ら。恐怖のラグナロクがいつから、忠誠あふれる義勇軍になったんだ?」そう言ってルカニオスは大笑いした。

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