第3話

 次の日の夕刻には、三人が出会った地点から森を西に抜けたところにある小さな村に到着した。

 てっきりルドルフは人の住む場所に着いたら彼らとは別れるのだと思っていたのだが、セオドアは首を横に振った。


「お前なあ、こんなさびれた村に子供の働き口はねえぜ」


 そう言ってセオドアは「オストガルトまで連れてってやるよ」とさらりと付け足した。


「おい、セオドア」


「いいじゃねえか、リード。お前だってわかってんだろ」


 セオドアは笑いながらリードの肩に腕を回し、ぽんぽんと叩いた。

 対するリードの方は鬱陶うっとうし気に眉間に皺を寄せ、ふいっときびすを返して「先に寝る」と安宿の階段を上っていってしまった。


「何、ケンカ? だったら俺は……」


 自分のせいで二人が喧嘩をしたとなれば後味が悪い。

 そう思ってルドルフは立ち上がろうとしたが、セオドアは右手を広げてルドルフを制した。


「ほっとけ、ほっとけ。それよりよボウズ、お前」


「ボウズじゃない」


「えーっと、何だったっけ?」


「ルドルフ」


「島の子供のくせに大仰おおぎょうな名前だよなあ」


「親父がつけたんだ。何か、北の方にいる獣の名前だって」


「ああ狼な。ふーん……旅人にでも聞いたのかね、お前の親父さん」


 セオドアは興味のせたような顔をした後、すぐに人の悪そうな笑みを浮かべて、右手だけでルドルフの頭を押さえつけるようにして、黒髪をぐしゃぐしゃと掻きまわした。


「お前は狼どころか犬コロみてえだけどな」


「やめろよ!」


 ルドルフは自分の頭上にあるセオドアの手首を両手で掴んで押し戻そうとしたが、セオドアはおもしろがって離さなかった。


「まあ、せいぜいロルってとこだな。半分だ」


「勝手に人の名前を縮めるな!」


 二人が騒いでいるところに、宿屋の女主人が洋燈ランプげて近付いてきた。

 日が沈みかけて店内が暗くなってきたため、灯りを持ってきてくれたようだ。


「ずいぶんにぎやかだね」


 少しウェーブした髪を後頭部で一つに丸くまとめており、飾り気のない服装も地味であるが、気風きっぷのよさそうな女性だ。

 この村の宿屋はここだけであり、彼女がここを一人で切り盛りしているらしいことは、ルドルフにも雰囲気でわかった。


「久し振りだねえ、セオドア。連れの色男はどうしたんだい」


「よう、アニタ。世話んなるな」


 セオドアはやっとルドルフの頭から手を離して、そう挨拶した。


「リードなら先に寝ちまったよ。あいつは神経質でいけねえや。ああいう性格だから顔がいいくせに女にモテねえんだ」


「その子は? まさか、とうとう人買いでも始めたのかい?」


「売り物にするなら、もっと可愛げのあるガキを選ぶよ。……まあちょいとワケありでな」


「何言ってんの。カワイイ子じゃない。ねえ?」


 アニタは腰に両手を当てて、ルドルフに向かってニコッと口の両端を上げた。

 それからすぐにセオドアに視線を戻す。


「今度はどのくらいいるの?」


「今回はすぐにつ」


「そうかい。色々と頼みたいことがあったんだけどねえ。……納屋の屋根の修理とかさ」


「おいおい、俺は客だぜ? 仕事も傭兵で便利屋じゃねえよ」


 セオドアの返しに、アニタは「似たようなもんじゃないか」と笑ったが、その瞳の奥に洋燈ランプの光が小さく映り、心許こころもとなく揺らいでいた。


「西に向かうんだ。ついでの仕事があれば紹介してくれよ」


「ひどい男だね、こっちの頼みは聞かないくせに。まあいいけど。マリんとこのおっつぁんがサシャの村に粉をおろしに行くって言ってたから用心棒してやってよ。アンタ達なら知らない顔じゃないから、きっと安心するよ。最近やたらと物騒なんだ。何かさ、魔物かケダモノか出るって、みんな言ってるよ。他所よその村じゃ襲われて死んだ人もいるみたいでさ」


「サシャか……。近いが、ちいとばかし回り道かもな」


「そう。近いから、出るのは朝早くじゃなくていいの」


 アニタはそう言いながら、セオドアとの距離を詰め、彼のたくましい二の腕を包む服の袖を浅く掴む。

 セオドアは少しも驚くことなく、アニタの腰に左手を回すと、更に自分の方へと引き寄せ、アニタの耳の後ろあたりに鼻をうずめるようにして唇を動かした。


「じゃあ、朝のうちに納屋の屋根も見てやるよ」


「ホント!? 嬉しい! あ、屋根の他にも見てほしい所があるんだけど……」


 自分の腕の中で少女のようにはしゃぐ女性を、あやすような手つきで押さえつけながらセオドアは口元の笑みを深くした。


「素直で欲張りな女は嫌いじゃねえよ、俺は」


 そう言ってアニタの首筋に唇を寄せたまま、彼は視線をルドルフの方に寄越し、右手を犬のでも追うように振って見せたのだった。


 追い払われたルドルフはリードの後を追って階段を上がり部屋へと入ったが、寝台にリードの姿はなく、開いた窓から差し込む月光が床を青白く照らしているだけだった。

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