第5話 距離感。

 あの日の夜、桐藤さんの車に乗って家に帰ってきた。

 でも、俺は眠れなかった。桐藤さんに噛まれた首筋がピリピリする…、その感覚とくっついていた時の感触に自分が怯えていたからだ。血蘭学院の噂だった吸血鬼の存在をこの目で確かめたから、俺はどうすればいいのかよく分からなかった。


 ドラマや小説を見ると、そうやって結局死んでしまう展開になるから緊張した。

 桐藤さんはそこまでしないんだろうと、一人で考えながら眠る夜。そして馬鹿馬鹿しいと思うけど、生徒会室の中で桐藤さんに噛まれていた時…。俺は一瞬だけ、どきっとする。くっついていた時の感触と香りに少しだけ、動揺していた。


 一方的にやられるのは初めてで…、その記憶が頭の中から消えない。


「…バカか俺は」


 そして次の朝、首筋に残っている桐藤さんの歯形を隠して学校に向かう。


「おはよう。星!」

「裕翔!」

「あれ?何その首?怪我したか?」


 昨日、桐藤さんに噛まれたところを隠すために絆創膏を貼った。

 裕翔がそれに気づくなんて意外だ…。


「あ…、まぁ…。掻きすぎたかもな」

「そう?ちゃんと管理しないと痕が残るぞ」

「うん」

「おはよう。井上くん」


 席に着いてからノートを取り出す。そしたら、ちょうど教室に入ってくる桐藤さんが俺にあいさつをしてくれた。その一言に周りのクラスメイトたちがざわめく、それは桐藤さんが他人に声をかけるのが初めてだったからだ。もちろん、俺も初めてでびっくりした。


「…おはよう、桐藤さん」

「うん」


 そう言って自分の席に座る白羽。


 桐藤さんが俺にあいさつを…?机を見つめながらぼーっとしていた。

 なぜ俺に声をかけてくれたのかを考えてみる。昨日のことを気にしているのか、あるいは吸血鬼に狙われたりしているのか…?ちゃんと話したら許してくれるんだろう…?後で話をかけてみようか、俺が一方的に誤解しているかもしれないから。


「…難しい」


 後ろから悩んでいる星をちらっと見て、白羽が微笑んでいた。


「ところで星、今週の日曜日は空いてる?」

「日曜日?うん…、バイトがあるかも」

「お前またバイトかよー」

「仕方がないだろう…?」

「久しぶりに遊びたかったぁー」

「時間が空いたら連絡する。それでちょっとトイレ行ってくる」

「おう〜」


 俺も余裕があったら、裕翔と遊びに行きたいんだぞ。でも今は勉強とバイトで精一杯だから、たまには裕翔とのんびりしたいな…と思ってる。ゲームとかしてさ。

 それから教室を出る時、ある女の子が俺を待っていたように声をかけてくれた。


「あの!」

「うん?」

「話がしたいですけどいいですか…?先輩」


 この子は確かに昨日の…、あ…!俺に告白した一瀬さんか。

 話ってなんだろう…、トイレ行きたいのに。


「後じゃダメ…かな?」

「はっ…!も、もしかして邪魔になりますか?」

「いや…、邪魔じゃないけどね。一応…」


 トイレに行きたいんだけど…、これはさすがに言えないよな。


「あれ?星?何してんの?」

「あ、裕翔。1年生が俺に用があるみたいで…」

「おおおー!女か、早く行ってこい!」


 いや…、俺はトイレに行きたいから。


 でも、一瀬にそんな目で見られたら変な雰囲気になってしまうんだろう。それと教室の中からクラスメイトたちに睨まれてるし、仕方がなかった。とりあえず話くらいは聞いてあげようか、せっかくここまで来てくれたから。


「分かった。じゃあ、少しだけなら…」

「は、はい!」


 そして星をどこかに連れて行く奏の姿を白羽は見つめていた。


「……」


 人けのない場所で一瀬は話した。


「先輩は…どうして、付き合わないんですか?」

「えっ…?それを聞くために呼び出したのか」

「いつも断ってるから…、何かあったかなーと思って」

「別に、何もないけど?ただ付き合わないだけ、それ以外に何もない」

「…ずるい。私だって先輩のことが好きなのに…」

「こんな俺に好きと言ってくれてありがとう一瀬さん。でも、俺には彼女なんていらないから…、ごめんね」

「これ…、あげますので」

「あ、あり…がとう」

「やっぱダメ、私は先輩のこと…。諦めないから!次は絶対先輩の彼女になります!」

「あ、うん…?えっ?」


 手作りのクッキーを俺に渡した一瀬がこの場から立ち去る。

 明るい声だったけど…、少しだけ見えてきた一瀬の泣き顔に心が痛くなる。人に自分の気持ちを断れるのがどれくらいつらいのか分かっているけど、あの人たちはその気持ちを断る相手の立場など、全然考えてくれない…。


 多数の人に同じことを言って、言われて…。こっちも疲れてしまう。


「あー」


 それから教室に戻ると、裕翔が俺に声をかける。


「お、星!あの可愛い後輩とどうなった?」

「何もなかったぞ。昨日断ったから…。」

「へえ、そうか?」


 ちらっと俺の手に持っているクッキーを見て、にやつく裕翔が背中を叩いた。


「なになに?後輩に手作りのクッキーをもらったのか!」

「まぁ…、最後にこれだけ渡してくれた…」

「も、モテ期…?」

「んなわけあるか!早く準備しろ。体育の授業だから」

「おう〜!」

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