第5話
兄さんは、無言だった。
夜の闇のせいで、表情がよくわからないから、私は一瞬、兄さんが怒っているのではないかと思った。……幼少時、他の子供よりも極端に背が高いことを気にしていた兄さんは、身長のことを他人にとやかく言われると、不機嫌になることがあった。もしかしたら、大人になった今でも、身長に関する話題は、面白いことではないのかもしれない。
そんな、別に、からかうつもりで言ったわけじゃないのに。
私はそう思い、慌てて謝罪の言葉を述べようとしたが、何も言えなくなってしまった。突然こちらに駆け寄って来た兄さんが、私を強く抱きしめたからだ。
「ローレッタ、よく無事で帰って来た。ここ一年間は、手紙をよこすだけで、一度も顔を見せないから心配していたんだぞ……」
兄さんの言葉には、心からの安堵が含まれており、私が無事に帰って来たことを、本当に喜んでくれているのが、よくわかり、嬉しかった。それと同時に、この一年間、ルドウィンの元には数ヶ月に一度、会いに行っていたのに、実家には一度も戻らなかった自分を恥じた。……まあ、それには一応、理由があるのだけれど。
「ごめんなさい、兄さん。家に戻ると、また父さんと喧嘩になっちゃうから、しばらくは戻らない方がいいと思ってたの」
ルドウィンとの婚約を勝手に決めてしまったことからもわかるように、私の父は強引で、一家の長である自分には、家族についての重大事項を全て決定する権限があると思い込んでいる、旧時代的な人物だ。
そのため、私はしばしば父と言い争いを引き起こし、一年前の帰省時には、これまでで最大の親子喧嘩をやらかしてしまったので、しばらく実家に帰らないようにしていたのだ。
兄さんは小さく息を吐き、しみじみと言う。
「そうか、そうだな。……ふふ、一年前の大喧嘩は、確かに大変だった。あの気の強い親父に対して一歩も引かないんだから、お前も大したもんだよ。さすがは『聖女』様だな」
そこで兄さんは、私を抱いていた腕を離すと、凛々しい瞳を細め、気恥ずかしそうにはにかんだ。いきなり私を抱きしめた自分の行動が、今になって照れくさくなったのだろう。
闇の中でも映える金色の髪に手をやり、少しだけ頬を染めた兄さんの顔は、まるで初心な少年のようだった。つられて、私も赤くなり、ちょっとだけはにかむ。久方ぶりの穏やかなやり取りが、なんだかとても心地よかった。
「それで、どうしてまた、急に帰って来たんだ? 休暇が貰えるとしても、まだ先の話のはずだろう?」
私は、事の経緯を順序だてて兄さんに説明した。
あまり愉快な話ではないが、ルドウィンに続いて、本日二回目の説明なので、一回目の時より上手に話すことができた気がする。
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