凍結イチゴの納涼依頼 19

 大久保雄大が倒れたまま運ばれてきた。

四肢は欠損。由人さんの回復魔法により繋ぎ合わせられて、五体満足に見せかけられている。

酸が思い切りかかってしまったのだろう。見える範囲では、顔の半分以上と首元が焼け爛れているように見える。

それはきっと、皮膚や肉が溶けた痕。


 西洋風の甲冑に、何者かに齧られた跡がある。

どれだけの力で噛み砕かれたのか分からないほど無残に。

きっと瀬名さんや由人さんは、そのまま食べられるはずだったその四肢を、死に物狂いで回収したのだろう。

そういうことだけが、私にも分かる限界。


 彼のその意識は既に無く、息をしているのかさえ分からない。

息を探そうにも、やたらと気が散る。

ただ、ひたすらに、五月蠅い。


 夏の暑さに意識が揺らぐかのような、奇妙な視界の歪みに襲われる。

ぐわんと耳鳴りが酷くて、職員さんの慌ただしい声も、周囲の戸惑う声も。

どこか遠くの液晶から流れてくる野暮ったいB級映画の音声のような、ぼんやりと形を成さない耳鳴りとして認識される。

水の中に入った時の、ぼんやりした聞こえ方に似ている。


 ただ、鬱陶しいほどのセミの声も、泣き叫ぶ、聞き馴染んだ声も。

やけにはっきりと、脳を殴るように届くから。


 ただ、ひたすらに五月蠅かった。


「―――メグ!!」

「ヒュッ……!」


 息をするのを忘れていた。

ネアの声が、私を現実に引き戻す。

カヒュッ、と、過呼吸気味の呼吸が喉から鳴る。


 息がうまく吸えない。

座り込み、しゃくりあげる私は、必死に酸素を求めて口を開閉する。

口の端から涎が流れ、それが地面に垂れ落ちても尚、私の身体は息をすることを忘れたかのようだ。


 苦しい。

苦しさに喘ぎ、酸素を求め口を開け、何か言葉を発そうと力んでも、そこから出るのはえづく音。

最早地面に流れ落ちているのは、涎なのか鼻水なのか、それとも涙なのか分からなくなってしまった。

それなのに、まだ呼吸はうまくできない。


「メグ、メグ。大丈夫だ」


 背中を、大きな手で撫でられる。

いつもは荒っぽい手つきが、この時ばかりは戸惑ったように優しく撫でるから。


「うっ、うぅっ、うぅーっ」


 呼吸を忘れた身体は、滂沱のように涙を流す。

それでも必死に息を吸おうと頑張る身体を、一回りも、二回りも大きな身体が包み込む。


「大丈夫。雄大はまだ生きている。呼吸もしている。大丈夫」

「言っだもん……! 無事で帰ってっでぇ……! 言ったもん……!!」

「そうだ。そうだな。雄大は約束をちゃんと守るよ。信じよう」


 ネアが父のように優しく声をかけるから。

母のように優しく包み込んでくれるから。

私はただ、転んでしまった子供のように、彼の胸で泣き続けた。




「……それじゃあ、僕らは探索者協会に報告してくるから」


 気遣わし気な視線を向け、由人さんは私を車から降ろす。

さっきまでずっと握られていたネアの手を、名残惜しく解いた。


「お願いします」

「恵美ちゃん、大丈夫ぅ?」

「私より、瀬名さんの方が重傷じゃないですか。ちゃんと、報告の後病院行ってくださいね」

「わかってるわよぉ」


 助手席から瀬名さんが顔を出す。

その頭にはきつく幾重にも包帯が巻かれていた。


「僕としてはすぐにでも病院に行ってほしいんだけど」

「できるだけ多くの目撃情報が欲しいって話でしょぉ? わたしなら平気よぅ」


 気遣わし気に包帯に触る由人さんに、満更でもなさそうな瀬名さん。

ナチュラルにいちゃつき始める二人から視線を逸らし、後部座席、さっきまで隣に座っていたネアの顔を見る。


「すまないな。本当は一緒にいてやりたいんだが」

「おねえちゃんいるから平気。それよりも、凍結イチゴのことよろしくね」

「ああ。金額は口座に、さっき話していたように言っておく」

「うん、お願い。あ、余剰分、私のやつは要らないからね」


 そう言って彼に、一パック分の凍結イチゴを見せる。

本来ならすべて換金し、パーティーメンバーに均一に振り分けるのが楽なのだけれど、私が無理を言って現物をもらい受けることになったのだ。

当然、他のメンバーと同条件だと不公平が出る可能性がある。

そのため、細かく計算をして、当初の依頼達成金額からこの一パック分の金額を抜いた額。

それが私の達成報酬になることになった。


「雄大の面会ができるようになったら連絡する」

「わかった。結衣ちゃんからも連絡が来ることになっているけど、念のためお願いします」


 彼が携帯を振るコミカルな動作をするから、私もそれを真似して振る。


「……気を付けてね」

「ああ。……あ、それと」

「ん? なに?」

「あのな、その……」


 ネアが口ごもる。

なんだなんだと近付いてみると、彼は意を決したように口を開く。


「俺の初恋は別に、カナタじゃないからな」


 ほんのりと赤く染まった耳。

隠すように、隠れるように慌てて扉を閉めた彼は、にやつく瀬名さんに何事かを揶揄われ、顔を真っ赤にして対応している。

苦笑いを浮かべた由人さんがアクセルを踏むと、車はゆっくりと発進する。

 やがてその姿は見えなくなる。

私はずるずると、地面に座り込んだ。


「あー……。だめだ」


 私、多分、ネアが好きだ。

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