俺たちはきっと、長生きできない。
上衣ルイ
おはよう、テンダーチルドレン
Episode 1-1
──雨が、降っていた。
窓硝子を強く何度も不規則に叩くようにして、梅雨の涙が降り注いでいた。
雨音は未だ終わる兆しを見せることはなく、それがかえって頭の奥に重しを与えるようだった。
雷雲が嘲笑うように空を覆う。
俺たちは頭を締めつける鈍痛からの救いを求め、縋る先もないまま祷る。
ファッキンジーザス。
お前なんて「くそくらえ」だ、神様とやら。
〇
『コード:1011344 開錠』
『人格構成プログラム・リモデリングスタート』
『削除/再構築/編集/削除/再構築/編纂/削除/再構築』
『バイタル安定、メンタル指数不安定』
『リモデリングに伴うメモリー保管機能編纂に誤差2.1%のバグが発生中』
『リモデリングプログラム・オールグリーン。再起動します』
『Hello,World』
〇
ぱちり、と
じっとりとした空気が周囲に満ちている。やや黴た部屋の匂いは、自室から漂うものだ。
久芳は呻きながら、ベッドの上で身を捩る。
枕元の目覚まし時計を見やれば、時刻は夕方の4時過ぎ。にも関わらず、窓の外はやたらと暗い。
雨が降っているからだ、と気づいたのは、頭を揺らすような鈍痛と、体の節々の痛みのせいだ。
耳をすませば、ざあざあ、と不快な水音の大合唱が聞こえてくる。
「あーくそ、痛ぇ……」
毒づきながら、眠っていたベッドから起き上がる。
時は2008年──、開閉タイプの携帯電話が流行の時代だ。枕元には、買い与えられたばかりの二つ折りケータイが転がっていた。
通知用のランプが緑色に明滅している。重たい瞼をこじ開け見れば、それぞれ着信とメールの履歴。
カコカコ、とボタンを操作しながら、メールボックスを開いた。
久芳がこの「
人口は約10万人ほど。名前に反して内陸に位置し、四方を高い山で囲まれている。
市の特色は、一年を通しての降雨量の多さだ。
越してきてからというもの、久芳はこの地で青空というものを拝んだことがない。
雨は、ほぼ毎日のように降り注いでいる。小雨のものから雷を伴うものまで様々だが、雨が止むことは大変に珍しい。
地理上の問題のようなものだし、生活する上で問題はないと聞いているが、毎日夜のような日々を過ごしていれば、陰鬱にもなってくる。
「……早く就職先見つけねえとなあ……」
小さくぼやきながら、ぼんやりと携帯画面を見つめた。日付は六月の下旬を過ぎていた。
久芳は、共に暮らしていた祖父母が死亡して以降、病気の弟を伴い越してきた。
父とは連絡が取れず、母は失踪して十年が経っていた。祖父母の援助と、自身もバイトで食い繋いでいた。祖父母が交通事故によりこの世を去ったことで、彼等が莫大な借金を抱えていたことを知った。
久芳たちを助けてくれたのは、ある慈善団体だった。
身寄りのない子供達に就職先を探したり、経済的に困っている若者たちを支援をしているらしい。
母は昔、この慈善団体に所属しており、上層部に属する西澤という男と親しい仲だったという。西澤は東院家に起きた不幸を知り、手を差し伸べてくれた。
「私も昔は、君のお母さんの世話になったからね。恩返しがしたいのさ」
とは西澤の談だった。
その恩に乗るかたちとなり、久芳が安定した収入源を得るまでは、その慈善団体の世話になることになった。
代わりに条件として、保護者のいない未成年の少年少女らと集団生活を送り、監督してほしいと提示された。久芳は数少ない成人した青年であったためだ。
久芳はこれを承諾し、弟の入院代や治療費も肩代わりしてもらえることになった。
唯一、「奇妙な新興宗教」を信仰している以外は、自分達にとって益を与えてくれる身寄り先だ。
けれど就職活動がうまくいっているわけでもなく、時折西澤から頼まれた事務仕事をこなしては、お小遣いを稼ぐ程度の生活。
窓越しに、久芳は己を見つめた。顔の右半分を隠すほどに伸びた前髪。澱んだ翠の目。周囲は久芳のことを美形だのハンサムと評していたが、どうにもピンとこない。
人に比べて端正な顔立ちだとは思ったが、別に何かの役に立つわけでもなし。少なくとも、就職活動に有利に働いているようには思えなかった。
「…………ナツキくんだ。珍し」
メールを開く。
表示された名前は、この町で唯一親しくしている、年下の友人からだった。
黒い髪に、生意気にも金のメッシュを入れ、まるでチンピラのように振舞う。
六歳も年上の久芳を「ヒサ」と呼び捨てにし、敬語など一度も使ったことはない。
数年前にあるネットゲームで出会い、意気投合して以降、時折遊びにいったり食事をする程度の仲だ。
下の名前を呼ぶと「女みたいでイヤだ、やめろ」と怒るので、つい呼んでしまう。
最初は拳が出るほど嫌がっていたが、次第に諦めたらしく、弟と口をきけないこともあって、久芳はこの名月という少年とつるむことがなんだかんだと楽しかった。
『件名:今日夜暇か?』
『本文:明日でもいい、連絡寄越せ。お前に話がある。お前の母親の件でだ』
『PS:無視したら宅配サービスでお前の家に馬糞送りつけてやる』
相変わらず簡素で可愛げのないメール。
だが、その内容にひっかかって、久芳は小さく呻いた。
──なぜ名月が母親のことを話題にするのだろう。家族の事に関しては、病気の弟以外、一度も話したことがなかったはずなのに。
「は~……だる……」
どうやって馬糞を送りつけるか興味はあったが、それよりもメールの内容への興味が勝った。
件名を変えず、「メシ奢ってくれるならヒマ。」と返信。数秒後、『年下にたかんな、クズ』と返って来た。
追撃とばかりに、更に数秒後、間髪入れずにビックリ系GIF画像を送ってくる嫌がらせまでする始末。可愛げがない。
どんなホラーGIF画像を送りつけているか悩んでいると、最寄りのファミレスの名前のみを送りつけて来た。ここまで来い、ということなのだろう。相変わらず横暴だ。
「俺生姜焼き定食ね」とデコメールで送る。返事はなかった。
母親か、と思惟に耽る。
母のアンナに関しては、あまり記憶がない。
人並みに優しく、人並みに愛情があり、波風立てないタイプの人物であったように思う。
そんな彼女が何故、忽然と自分達の前から姿を消したのか、理由は定かではない。
居なくなった理由で考え込んだところで、腹は減るだけだ。思考をやめた。
ただ一つ、思う所があるとすれば──最後に母と会話したのがいつだったか、すら思い出せないことだ。
「なーんでナツキくんが俺の親の話なんてしてくるんだか」
ぼやきながら、ベッドから身を起こす。
着信を見ると、西澤からだった。留守電が一件入っている。
面倒臭い、が再び脳裏に浮かぶものの、一応再生して、内容を聞くことにする。
『やあ久芳くん。明日「
朝八時、この町の講堂でやるんだ。明日こそは君にも参加してほしいんだ。待っているよ』
嫌だなあ、と顔を顰める。
西澤を好きになれない理由があるとすれば、この「天啓の腕」団なる新興宗教団体のことだ。
なんでも彼等は、キリストだのブッダよりも信奉すべき対象がいると考え、それを崇拝しているらしい。西澤はしきりに、この天啓の腕なる教団の教義を聞かせたり、信者たちの身に起きた奇跡とやらを語っていた。
無神論者である久芳からすれば、耳が腐り落ちそうな話題だ。
返信する気にすらなれず、留守電を消去して忘れることにした。
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