第四話
この宇宙に存在しないはずだった一日が始まった。
もう学校に行かないと遅刻しちゃう時間だけど、机の上にあるスマホを持っていくかどうかで、かれこれ十分も悩んでいる。
阿雲さんは勘違いをしている。
私もお母さんからスマホを渡されている。けど、壊されたりしたりするのが嫌で、学校に持って行ってないだけだ。
政府の人で、イジメられている私を特定したはずなのに、なんでそれが分からなかったんだろう?
「やっぱり、置いて行こう」
勉強机の上にスマホが二台、兄弟みたいに並んでいる。
新しい制服は昨日までの制服と違和感が何もない。本当に映像なんて撮れるのだろうか?
映像と言えば……もうみんな、昨日のあの映像を見たのかな?
帰り際、阿雲さんは『その動画でしたら、ネットにアップされた分はこちらで削除しておきますので、ご安心下さい』と言っていたが……友人でとかならそう言うのは共有できると聞いた事がある。
一気に体が重くなった。
お母さんはもう仕事に出掛けた……私は家の戸締りを確認して、イジメられる為に学校へ向かった。
学校に着き、昇降口で靴を履き替えようと上履きを触ると湿った感触があった。
昨日の雨でできた水溜まりにでも落とされたように、ほのかに茶色くなっている。教員用の玄関にあるスリッパを借りて、教室へ向かう。
廊下を歩いている最中カメラを探したが、どこにもそんな物は見当たらない。元々、備え付けられている防犯カメラはあるけど。それが何にも役に立たない事は昨日までの経験から既に身をもって知っている。イジメって犯罪じゃないのだろうか?
本当に私は監視されているんだろうか?
教室に入ると、私の顔を見た数名のクラスメイトがくすくすと笑い出した。多分、あの映像を見たんだ。
「松葉ちゃん、来たんだ?」
席に着くと私を見下した声が耳に入り、一瞬で不快な気分になった。
「今日は恥ずかしくて学校来れないと思ったけど。結構、度胸あんじゃん」
私の机の上に堂々とお尻を乗せて、私を見下ろして来る。
「あんな恥ずかしい映像を撮られて平気なんて。頭おかしいんじゃないの?」
取り巻きが後ろから美月のご機嫌を取るような笑い声を上げる。
「それなら、すぐに続編でも撮ろうか? みんなの評判も上場で、松葉ちゃんもヤル気みたいだから」
チャイムが鳴り、先生が入って来た。
美月の話はそこで終わったけど。私が思っていた通り、映像は色んな人に広がってしまっているらしい。
その日も、休み時間になるといつもの様にトイレや人気のない場所へ連れて行かれ、暴力を振るわれたり、悪戯のオモチャにされた。
前には護身用のスタンガンの実験だと言って、気を失ってしまった事もあった。
それでも、美月の命令がない限り、イジメは終わらない。
唯一、美月に命令できるのは学校のチャイムの音だけだ。
成績も優秀で、教師の間では優等生で通っている美月は授業のサボタージュや遅刻などは絶対にしないからだ。
教師の前ではニコニコと良い子ぶる。そして取り巻き達には将軍のように命令を下す。取り巻きは美月の前では良い子ぶり、私には鬼の様に美月の命令を遂行する。
全ての業が私に集まって来るように、この学校では見事な階級が出来上がっている。
放課後、いつも通りイジメられた私の体はボロボロ、全身のあちこちが痛みやアザになっている。
その日は体育館裏には行かず、私は真っ直ぐに家に帰る事にした。
本当に報酬なんて振り込まれているのかが気になった。あんな事を言っていたけど、こんなイジメを受けただけでお金が貰えるなんて、俄かには信じ難い。
あと、昨日の時点で私は死んだ筈だから、本当は存在しない今日という日は、何故か静香ちゃんと会う気が起こらなかったと言う事もある。
家へ戻って、スグに自分の部屋のパソコンを開いて、昨日言われた銀行口座のページを開いた。
「えっ!」
自分の口座の残高を見た瞬間、私は驚いて声が出た。
それと同時に昨日貰ったスマホが机の引き出しの中で鳴り出した。
「も、もしもし」
「本日のお勤め、ご苦労様でした。本日分の報酬を振り込ませていただきました。あと明細の方もメールでお送りしています」
「あ、あの。今、金額を確認したんですけど」
「ん? 何か問題でもありましたか?」
画面に表示された金額は十万円を超える金額が表示されていた。
「こんなに、貰っても、良いんでしょうか?」
「それだけ身を粉にして働いて、たったそれだけの金額というのはむしろ割に合わないと思いますが。金額についてはまだ検討中の段階ですので、現時点ではそれで我慢して下さい」
我慢してくださいって……むしろ私は『貰い過ぎじゃないか』って聞いているのに、阿雲さんは「少ない」ってニュアンスで返して来た。だって、お母さんがこれだけ稼ぐのにどれだけ苦労しているのか、私は見て来たのに。
「では、明日もお勤めよろしくお願いします」
阿雲さんの電話はそれで切れてしまった。
十万円
私は「嘘じゃないか?」を確かめる為に近くのコンビニに走ってATMでお金を一万円だけ、下ろしてみた。
すると、本当に一万円の紙がATMから出て来た。
その後、クレジットカードを試す為に適当な商品をレジに持って行った。ダメだったら、この一万円で払えばいいと、恐る恐る店員にカードを差し出した。
「ありがとうございます」
店員が私に商品とレシートを差し出して来た。
昨日貰ったキャッシュカードもクレジットカードも本当に使えた。
十万円が本当に私のお金になったのだ。
その瞬間、私の心の中に溜まっていた黒い塊が、徐々に溶けていくような感触が全身に広がって行った。
コンビニから出て来る時、私の体は嘘のように軽くなっていた。
これまで明日に何の希望も見出せなかったけど。今日からはイジメられると、こんなにもお金が貰える。
明日、イジメられても、お金になって返ってくる。
そう思うと学校へ行くのが怖くなくなった。美月に何されたって、全部、お金になるんだ。
帰り道、ふと見た商店街のガラス窓に私の顔が映っていてビックリした。
ガラスの向こうの私は笑っていたのだ。
自分の笑顔を見たのは、いつ以来が思い出せないくらい久しぶりだった。
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