第21話「凍てつく」
レジュラスの筆頭騎士達が乗り込んで私たちを救出に来たと思われる船に対して、ジェルダンが手配したこの船は、こんなに強い追い風が吹いているというのにやけに進みがのろのろとして遅い。
大きな船を取り巻くように白く凍っていく海水のせいかと思えば、それだけではなさそうだった。
すぐ後ろに居たラウィーニアに肩を叩かれて促されるままに空を見上げたら、大きな帆は見るも無惨な様相でズタズタに引き裂かれていた。そして私は風の騎士が作り出すことの出来るという、何でも切り裂く空気の刃の噂話を思い出した。眉唾ものだと思っていたけど、その威力をこうして目の前にすると何も言えずに圧倒されてしまうしかない。
いくら……こんなにも強い風が吹いていたとしても、風をはらみ船を進ませるはずの帆がこんなに酷い状態であればこちらは思うように進めない訳だった。
そのままこちらにぶつかってしまう程の勢いで迫り来る船が、ほんの少しの距離を残し速度を緩め始めた。いきなりぴたりと止んでしまった風が、彼らがそれを意図的に起こしたものだということを端的に示していた。
「ラウィーニア! あれって、コンスタンス様じゃない? 貴女のことが心配の余り、こんなところまで自ら追いかけて来てくれたのね」
私は、本来なら王宮で一番に守られるはずの彼を見て、思わず大きな声で叫んでしまった。我が国の王太子であるコンスタンス様が、ランスロットが凍らせたと思われる白い海面に颯爽と降り立ったからだ。
それは普通に生きているだけであれば決して見ることの出来ない、とてもとても不思議な光景だった。
そもそも、よっぽど寒い地域でないと海面ってこんな風に凍らないと思うし。何かの必要に迫られたとしても……コンスタンス様のような美男子は、あんなに薄着では歩かないと思うし。うん。
「……コンスタンス。こんなところにまで追いかけて来るなんて。危険なのに……あら。ランスロットも、当たり前だけどこちらに来るわね。ついでに、クレメントも」
ラウィーニアは楽しげに笑って、彼らを指差した。
歩き出したコンスタンス様に続いたのが、ランスロットで。それに続く何人かの騎士達の中には黒髪のクレメントも居た。私たちを助けに来てくれたのに、ついでなのは可哀想な気もするけど。彼が過去にしたクズな行いを考えると、それは仕方ないと思う。
海面から船の甲板は高さがあり、すぐ近くに停泊していると言えど、まだ少しの距離があるために、私たち二人はこちらに向かってくる彼らの表情までは窺い知ることが出来ない。
良く知ってるからこそ、遠目でも彼らだと言うことがわかると言うだけ。
そして、これはこの目に映っても信じられない光景だし何度でも確認したいんだけど、二隻の周囲にある海水は見事なまでに凍ってしまっている。筆頭騎士……凄い。
筆頭騎士の噂というか戦場において彼らが向かうところ敵無しという噂は、レジュラスでは国民たちの間では自慢も込め良く語られていた。
大国が抱える数多くの戦闘部隊の中でも極小数で最強を誇る彼らの強さは……こうして目の当たりにするまで多少の誇張も含まれているのではないかと思ってはいたんだけど。この状況を見れば、それはまぎれもない真実だったみたい。
破れ被れになったジェルマンが、自暴自棄になって誰かに指示をしたのか。危なげなく凍った海面を歩いて来る彼らに何本かの矢が飛んでいった。けど届く前に、何か透明な壁のようなものに阻まれて、それは呆気なく落ちた。
何人かの騎士たちに最も守られるべき存在のコンスタンス様が、先頭を切ってこちらに歩いてくるのだから。何かの魔法で守護されていると考えるのはのは、当たり前のことなんだろうけど。
そうしようと思って先頭に居るのかは私にはわからないけど、ジェルマンの罪状には王太子への加害行為も含まれることになるだろう。
そして、私たちはこちらに着々と近付いてくる彼らの表情を見て、自分たちは救助される側だというのに……守ってくれるはずの彼らに、なんともおかしなことだけど背筋がぞくっとするような冷ややかな恐怖さえ感じてしまった。
もしかしたら、こちらに向かってくる一行を全体を取り巻くような怒りが可視化されて見えてしまうんではないかと思う程に、その表情が物語るものは雄弁だった。
「……怒ってる」
私が思わず震えてしまった声でぽつりとそう呟けば、ラウィーニアは自らの二の腕を摩るようにして言った。
「それは、怒る、でしょうね。ジェルマンは、国を裏切った挙句に、二度も私を狙ったことになるし……コンスタンスは、絶対に許さないでしょう」
「王太子殿下にこれほど愛されるって、とても大変ね。ラウィーニア……」
従姉妹に真っ直ぐ向けられた大いな愛を身にしみて感じて、私は大きく息を吐いた。周囲が凍って気温が下がっているせいか、冬に外でそうした時のように息が白い。
「あら。それは、こちらの台詞よ。ディアーヌ。見て……あそこに居る船員たち。きっと、彼らは私たちを人質に使って、彼らを脅そうと軽率に思ったのかも知れないけど……」
ラウィーニアが目を向けた先には、屈強に見える船員たち数人がもがくようにして動いていた。私はそれを見て、すごく不自然な動きだったので不思議に思った。
けれど、その足元をよくよく見ると。
「嘘。床面が凍っていて、彼らは足止めされている……? もしかして、ランスロットが?」
というか、現在この船の中では、私たち二人以外は自由に動けなくなっている状態のようだ。通路の奥にある広い甲板の上でも、床に伏せてのたうち回っているような黒い人影が多く見える。
通りでこういう時に、物語で良くある首にナイフを当てられる展開にならなかったという訳。氷の騎士。彼の持つ、その異名の理由……とても良く、理解することが出来た。
「彼の持つ魔力は、聞きしに勝るみたいね。船の中に居る者ほとんどが身動きが取れなくなるなんて……ディアーヌ。自分の恋人で有能過ぎる氷の騎士の力を、こうして目の当たりにした感想はどう?」
「……彼からは、何かで口喧嘩して、走って逃げてもどうやっても絶対に逃げられなさそう」
先ほどまですぐ傍に居た真っ黒な死の恐怖が立ちどころに消えてしまったのを感じて、私たちは顔を見合わせて笑い合った。
迎えはすぐそこで、悪事を企んだジェルマンは報いを受け地獄に堕ちることになるだろう。
◇◆◇
凍った海面を歩いて来た彼らは、とても簡単にこちらの船に乗り込んで来た。
近くの手すりに手を置いて様子を見ていた私たち二人を見つけ、コンスタンス様とランスロットは素早く近付いて来た。
なんていうか、感無量という言葉はこういう時に使うんだと思う。
こちらにやって来るランスロットに無意識に駆け寄り、その勢いのままで彼に抱きつけば、大きな身体はちっとも揺らぐこともなくぎゅうっと強く抱きしめ返してくれた。
「心配した」
耳元で聞こえた掠れた声に、泣きそうになった。その響きだけでどれだけ私の事を心配してくれていたか、良くわかったから。
「助けに来てくれて、ありがとう。私たちもう、二人で海に飛び込んで命を断つしかないって……そう思っていて」
私の言葉を聞いたランスロットは、痛いくらいの力を込めて抱きしめた。そして、鍛えられた自分の力ではいけないと、気がついてくれたのかすぐに緩めてくれた。
「そうか、良かった。僕たちも……もしかしたら、間に合わないのではないかと……最悪の事態も考えた。本当に良かった」
「ねえ。ランスロット。どうやって、私たちがここに居るってわかったの? それが、すごく不思議で……」
表情が読みにくいランスロットの顔を、私はまじまじとして見上げた。彼は何かを迷っているようにも、見える。私の見当違いの見間違いで、なければ。
「……それは、また後で詳しく説明します。殿下、我々は安全を第一に考えて船を移りましょう。せっかく奪還した御令嬢方に、万が一があってはいけない。ジェルマン捕縛についてはボールドウィンとクライトンが、上手くやるでしょう」
ランスロットが淡々とそう進言したので、私は何気なく自分の背後に居たコンスタンス様とラウィーニアを振り返れば彼らは熱いキスの真っ最中だった。
流石に身内のこんなところを観察するのは無理だった。顔を熱くした私は、パッと視線をランスロットの胸元に戻した。
「わかった……ラウィーニア。行こう」
そうして、コンスタンス様はラウィーニアを抱き上げた。私の従姉妹はお姫様抱っこされたままで、海面を移動することになりそう。あまりしない経験だと思うし、末代まで語り継いでも良いと思う。
コンスタンス様って、騎士と比べてしまうと細い体躯の王子様だけど、結構力あるんだ……軽々とラウィーニアを運ぶコンスタンス様の背中を見て、そんな余計な事を考えたりした。私はランスロットに手を引かれて、彼らが不思議な力で甲板まで上がってきた場所にまで歩いた。
「……ねえ、ランスロット。彼らは、どうなるの?」
無言の彼に手を引かれている私は、厳しい雰囲気を崩さないランスロットに聞いた。
さっき、ジェルマンの捕縛はと彼は言った。この船に残る事になる大勢の船員たちは、どうなるのだろうか。
「……聞かない方が、良いですよ。国を治めている王族を狙うのは、レジュラス……いえ。ほとんどの国家でも重罪です。ここに来るまでの殿下の怒りを思えば……反逆者ジェルマンに雇われただけの彼らのためにも、ある意味では温情と言える処置なのかも知れません」
ランスロットは、皆まで言わなかった。けど、私にも何となくはわかった。
ジェルマンの企みを知った上で加担していたのか、どうなのか。それは、もう。あまり問題ではないのかもしれない。
ただ、ラウィーニアを攫った。攫おうとした。それだけで、怒りを買うには十分だ。だって、コンスタンス様は次の王座を約束された人だもの。
法により、とんでもない事をしでかした重罪人は裁かれるだろう。
ランスロットが先を行っていたコンスタンス様から目で合図を受ければ、見る間に海面から白い氷が嘘のような速度で積み重なり船の上に居る私たちを迎えに来た。
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