第7話「目撃」

 私のとても良く出来る従姉妹のラウィーニアは幼い頃に王太子妃候補の一人として選ばれた時から、毎日城に通い厳しい教師たちに囲まれて勉強漬けだった。めでたく候補ではなく、王太子妃となる事が決まった今でもそれは当たり前のように続いている。


 彼女からランスロットの訓練姿を一度見に行ってみましょうよと誘われたのは、ちゃんとした会話を交わせた夜会から少し経っての出来事だった。


 彼から何通か素っ気ない手紙は来ていたものの。あの規模の大きな夜会となると、社交期でも毎週のように開かれるという訳でもない。そして、正式にお付き合いをしている訳でもない、まだ検討段階の未婚の男女が集う場所はそう多くない。


 私がクレメントと付き合っていた頃には、そんなこと言われたこともなかったんだけど。彼女はランスロットの事を、余程気に入っているのかもしれない。


「あら。可愛いじゃない。新しいドレス?」


 晴れて王太子の婚約者となった彼女のために、用意されている王族の住む内宮に近い部屋を訪ねれば、準備万端だったラウィーニアは早速城中にある訓練場へ行きましょうと目配せをした。


 ラウィーニアが着ているドレスはすっきりとした、光沢のある灰色。黒髪が色っぽさを醸し出す、上品で彼女らしいデザイン。


「そう。この前に、仕立てたところなの」


 私が着ているデイドレスは、明るい黄色で目にも鮮やか。


 三人ほどの専属護衛を引き連れた彼女と並んで歩きながら、ラウィーニアの向ける意味ありげな上目遣いの視線は見ない振りをした。新しいドレスを着ているからって、いつも気合いを入れているとは限らない。


「似合ってるわ。ディアーヌ。もう、王宮騎士団は集まって訓練を開始している時間なの。コンスタンスは、気まぐれでお忍びに観戦しに行ったりもするから。私も何度か一緒に観た事があるけど、本当に圧巻よ」


「……圧巻なの?」


「ええ。流石はこのレジュラスの誇る、主力の面々だわ。訓練場が壊れないようにと筆頭魔術師リーズがいつも結界を張っているんだけど。実戦でもないのに、所属している騎士たちの魔法が余りに威力が強いから。何度も何度も重ね掛けしないといけなくて、人使いが荒くて参るって、この前にぼやいていたわ」


「……そうなんだ」


 私は、それを聞いてからため息をついた。


 王宮騎士団は主力とは言え、実戦に駆り出される事は少ない。何故かというと、彼らはこの国の切り札であり周辺国の抑止力となる存在だから、王の居る王都を離れる事は少ない。


 軍事国家である大国レジュラスに喧嘩を売るような国は少ないけど、それは彼らが居るという理由も大きい。


 彼女の言っていた訓練場は、広い城から出て詳しい特徴を聞いていない私にもすぐに知れた。大きな丸い円錐状の建物。何かを切り裂くような攻撃魔法の音が、中から聞こえたから。


「今日も、激しそうね。ディアーヌ。私達の観戦する場所は、絶対に大丈夫だとは思うんだけど……もし倒れそうになったなら、言ってね」


 ラウィーニアは歩きつつ、私の顔を覗き込んだ。確かに、私はこういった戦闘を観戦するのは初めてだ。けれど、倒れてしまうまでの戦闘……?


「そんなに……倒れそうになるの?」


「見れば、すぐにわかるわ」


 肩を竦めたラウィーニアに続いて、私は大きな訓練場の中へと歩を進めた。私たちが案内された場所は透明な硝子で前方が大きく開かれた、貴賓席のような場所。


「……すごい」


 思わず絶句してしまうほどに、激しい戦闘だった。これって、訓練だったよね……。そう聞いているけれど、実戦さながらに繰り出される攻撃魔法も凄まじく、剣戟の音が鳴り響き、余りに素早くて目で追うのも苦労するほどだった。


 丁度彼らは休憩時間に入ったのか、全員が所定の位置へと戻って行く。


「私も、初めて見た時は驚いたもの。あら。氷の騎士は……着替え中かしら?」


 ラウィーニアが見た方向には、王宮騎士団で有名な筆頭騎士三人が集まって居た。いつもなら、そこに他の二人……ランスロットやクレメントも居たはずだったんだろう。


 ラウィーニアは、訳がわからないという様子で首を傾げて困り顔だ。如才のない彼女がこうして不思議そうにしているという事は、彼女が私に見に行こうと言ったランスロットは、訓練場に来ているはずなのに現在この場所にいないと言うことになる。


「あの……私が、ちょっと見て来るから。ラウィーニアは、ここにいて」


 なんとなく、ざわざわと胸騒ぎがした。良くわからない勘のようなもので、虫の知らせがしたと言っても良い。ひどく、悪い予感だ。


 ラウィーニアの応えを聞く前に、部屋を出た私はさっき上がってきた階段を降りて、そこで聞き覚えのある低い声に辿り着くことになる。


「……俺のお古の女と、ようやく仲良く出来ているようで良かったな。まあ……先に目をつけてたのは、確かにお前だったけど? ディアーヌは外見は可愛いかも知れないけど、話しても肯定するばかりでつまらなかった。あんな女と、良く付き合えるな」


「もう二度と、ディアーヌ嬢に近づくな」


「……あー? そんな事、言って良いのかよ。別に俺は、言ってやったって良いんだぜ。俺がディアーヌと付き合ったのは、ランスロットに嫌な思いをさせたかっただけだってな。傷つくだろうなー?」


 あげつらうような言葉に、ランスロットは苦しそうな声で返した。


「……お前の事が好きだった過去は、綺麗なままで居させてあげて欲しい」


 クレメント……本当に、私が思っていたより中身が酷くて驚いた。彼が放った最低な言葉に傷ついているかと言われれば、否だ。私の初恋は今ここで完全に終わりを告げ、なんなら彼との思い出全部全部、暖炉に焚べて火をつけたいくらい。


「ちょっと! クレメント! そんな脅しなんて通じないからね!!」


 剣呑な様子で対峙していた二人は、ここに居るはずのない私の声を聞き本当に驚いた顔をした。


「ディアーヌ?」


 呆気に取られた表情のクレメントが、私の名を呼んだ。出来る限り、心の奥底から湧き上がってくる侮蔑を余すところなく込めて睨んだ。


「本当本当。私も聞いてしまったわ。これは大問題よ。コンスタンスに、炎の騎士の騎士らしからぬ非道な悪行について。お知らせしなくては、いけないわね」


 いきなり血相を変えて飛び出した私を追いかけて来たんだろうラウィーニアは、のんびりとした声で言った。


「ま……待ってください。俺は……」


 騎士らしく凛々しく端正であると言えるクレメントの顔は、目に見えて青ざめた。


 いくら国を守る要となる筆頭騎士で仕事さえ出来ていれば、ある程度の行いは許されるとは言え、王太子であるコンスタンス様もこれを聞けば眉を顰めるだろう。


 人に悪印象を与えるには、持ってこいな非道なる行い。


「貴族が権力を持つ理由はいくつかあるけれど、良識を持ち不届き者を裁く事も含まれているわ。女性を弄び、遊び道具にするようなクズの下手な言い訳など、何ひとつ聞きたくもないわ。クレメント・ボールドウィン。これからもこの国に仕える騎士の一人で居たいなら、もう二度と、ディアーヌの前に姿を現さない事ね。もう、二度とよ。私の言葉が聞こえたかしら? もし……その何もかもが足りないお気楽な頭では、理解が不可能なら。もう一度、ゆっくり言ってあげても良いわよ」


「いいえ。申し訳ありません。ライサンダー公爵令嬢。仰せの通りに致します」


 ラウィーニアは殊更優しい声で言ったんだけど、それがプライドの高い彼には耐え難い事だったんだと思う。苦い表情で跪き一礼をして、クレメントは去って行った。


「ディアーヌ嬢……僕は……」


 ランスロットは、立ち尽くす私に遠慮がちに声を掛けた。


「どうして……言ってくれなかったの!?」


「傷つけると、思った。君は、彼に恋をしていたし……ボールドウィンは、あの時まで別れる気はないと言っていた。傷つけたくなかった」


 ランスロットは、わかりにくくはあるものの。苦い顔をして、辛そうに言った。


「私。そんなに弱くないわ……それに、もっと早く言ってくれたら……」


 私はそこで、言葉を止めた。そうだ。さっきの話を思い返すと、あのクレメントが私に声を掛けて来たの……きっと、この彼。ランスロットが、私に興味を持ったからだと思う。


 なんてことはない。


 このところ心配していた事は、もう起こっていた。一年前の社交デビューの時に、私は既に二人の争いに巻き込まれていた。


 美しいはずだった初恋はどこか遠くに奪い去られ、もう跡形もなく何も残っていない。

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