第5話「訳」

「……いいえ」


 真意を問い正すような言葉にランスロットは短く答えて、表情が見えにくい彼はまるで何かに耐えるように眉根を寄せた。


「……クレメントの存在は、あの告白に全く何の関係もないと?」


 言葉少なな彼に対し私はもう一度、問いを重ねた。


「ありません。ですが、彼が僕のことをあまり良くは思っていないことは、事実です」 


 その言葉の内容を不思議に思って、私は首を傾げた。だって、そうだとすると目の前に居るランスロットは、ライバルと言われているクレメントの事を別に何とも思っていないように思えるから。


「あの……二人は、仲が良くないんですよね……?」


 それはまだ親しいとは言えない関係の私達の間ではあまり良くない失礼な質問だったかも、知れない。でももう、出来るだけ率直に聞いて置きたかった。元彼クレメントとの確執が原因で、私に手を出そうとしたのなら、ランスロットとの関係はここでもう終わりにしたかった。


 彼がどんなに美形で人気がある騎士だろうが、そんな二人の間にあって取り合われるぬいぐるみみたいな役割は絶対に嫌だった。


 それに、生まれて初めて失恋したばかりという気分は独特で、もうどうにでもなれ、みたいな勢いがあるやけっぱちな気持ちが心のどこかにあった。


「色んな人からそう認識されて噂されている事は、知っています」


 なんとも意味深でどうとも取れるような答えに、私はムッとした。ランスロットにも、それはすぐにわかったと思う。憂いを帯びた視線が、見て取れたから。


「ランスロット様。もうこの際、はっきりと言います。私に対して、何か……前に付き合っていたクレメントの事でも何でも。純粋に恋愛感情以外で他に含みのあるような事があるのなら、もう関わらないで欲しいの。二人の争いに巻き込まれて、何かに利用されるなんて……絶対に嫌だから」


 このところ自分の中でもやもやして思い煩っていた事をふり切るようにキッパリと言い切りランスロットの美しい目を見上げた私に、彼は軽く吹き出して笑い声を上げた。それを見て、ポカンとしてしまった。


 鉄面皮のはずの氷の騎士に似つかわしくない、とてつもなく可愛い笑顔だったから。もし彼が普段もそんな表情で居たならば、あんな二つ名を付けられることもなかったかもしれない。


「真剣な話をしている最中に笑ってしまい、すみません。まさか。思ってもみなかった事を言われたのと……率直な物言いが、意外だったので」


 ランスロットは思わず笑ってしまったことを誤魔化すように軽く咳をしつつ、私を見た。そう。私は生まれ持った外見のせいだと思うんだけど初対面の人からは、凄く大人しくて乙女っぽい性格だと誤解されやすい。


 きっと、彼もそう思っていたんだろうと口を尖らせる。


「……いいえ。私は良く人に誤解されるんですけど、外見と中身が合ってないんです。本当はお喋りだし皮肉も言うし、上手くはないけど冗談を言うのも好きです……きっと、ランスロット様が想像していた人とは全然違います」


 ランスロットの中にもし彼にとっての理想的な私が居るとしたら、それはこの世には存在しない幻想なのだと、早い段階で理解して貰う方が良いのかもしれない。


 クレメントと付き合っていた時期には、確かにかなり自分を殺して無理をして彼に合わせていた自覚はあった。思い返せばラウィーニアがこの前に言っていた事はかなり的を射ていたし、なんなら別れた今、確かに悲しいは悲しいけれど、もう自分の中にある色んな気持ちを誤魔化して気を使わなくて良いんだなとほっとする自分も居る。


「こうして、二人で話してみて……想像だけの時より、より良いと感じました。貴女は、本当に素敵な女性です。ディアーヌ嬢」


 ランスロットの言っている言葉自体は嬉しいし、普通ならとてもとても甘く感じるはずだ。けれど、彼の淡々とした喋り口と無表情のせいで、全部台無しになっている。


 どうか普段通りの私なら絶対しない事であると信じて欲しいんだけど、今は失恋の痛みにちょっとおかしくなっている自覚があった。


 私はおろむろに腕を上げて、彼の整った顔にある両頬を摘んだ。それは、もちろん生きているから柔らかいし、彫像のような造作だとしても動かない訳でもない。


 そして、何度かむにむにと摘んだところで、特に反応せずにされるがままになっているランスロットに気がついた。


 彼は特に不快な何かを思わせる訳でもないけれど、まさか上品である事が尊ばれる貴族令嬢がこんな事をするとは思っていなかったせいか。あまりの驚きのために、ランスロットの動きは微動だにせず固まっている。


 当たり前だ。


 出会いの場である夜会に来て美形騎士に、熱心に口説かれている。乙女の誰もが夢に見るような憧れの場面なのに、彼の両頬を摘む貴族令嬢、居ます? ここに居ます。


 無意識にとんでもない事をしていた事に気がついて、慌ててパッと手を離す。


「ごめんなさい。もしかしたら、動きにくいのかなって思ったら……無意識に。本当に……もう言い訳も出来ないけど、失礼をしてごめんなさい」


 私の顔は、とても赤いと思う。今はもう、恥じらいを全面に出して許しを乞うしかない。主に、先程せっかく甘い雰囲気を出してくれようとした彼に対し。


「いいえ。すみません。自覚はあるんですけど、どうしてもどうにもならなくて。こうして僕の表情が動きにくいのは、家系なんです。現在のグラディス家の人間は、嫁いで来た母以外はこうした顔をしています」


 彼のような表情の動き難い人たちが、集う晩餐。どんな風に会話が進行するんだろうと、思わず想像してしまった。


「あの……家族構成を、お聞きしても?」


「父母と、兄が三人居ます。下には妹が」


 グラディス侯爵家は、建国からずっとこの国に仕えている、王都近郊に大きな領地を与えられた由緒ある家柄だ。彼の長兄にあたると思われる、若い現グラディス侯爵はこの前に家を継がれたと噂話に聞いた気がする。


 けれど、僭越ながら乙女を代表して私の興味はそこにはなかった。彼の上にも、こんな美形の兄が三人も……? とても気になる。


「お兄様が、三人も居るんですね」


「……ええ。全員既婚者ですが」


 きっと性格が真面目なんだろうランスロットは、彼にとっては意図のわかり難いだろう私の質問にもきちんと答えて頷いた。


 そして、二人ともなんとも言えない顔で、視線を合わせる。銀色の長い睫毛に烟る、水色の目が美しい。


 ランスロットの表情はすごくわかり難いだけで、こうして間近と言える程にまで近くで見ると、彼が今どういう気持ちなのかがわかるような気もする。


 但し、それは恋仲と言えるほどにまでに、近距離でにいないと難しいのかもしれない。


 私は思わず彼以外の三人の美男子の存在を予感して舞い上がった気持ちを誤魔化すように、コホンと咳払いをした。


「あの……ごめんなさい。私のせいで、少し話が逸れてしまったんですけど」


「いえ」


「本当に、私の事を?」


 それを聞けばランスロットは、一度大きく息を吐いた。


「僕の気持ちは、この前にお話しした通りです。ディアーヌ嬢が色々と思うところがあるというのは、理解できます。ですがどうか、お願いします。本気であることはこれからの僕を見て、見極めてください」


 彼の目は真剣だったし、時間をかけて隅々までまじまじと観察しても疑うべきところは何も見当たらない。


 だからと言って、世の中には私だけは大丈夫騙されないと思い込んで、あっさりと騙される人は沢山いる。でも、悪い可能性があるものを全て選択肢から外してしまえば、その手には何も残らないだろう。生きていくためには、立ち止まっている訳にはいかない。


 時間を掛けて自分の真意を見極めて欲しいと彼に言われれば、もう私はそれ以上、何も言えない。確かに、出来る従姉妹のラウィーニアの言う通り、もう別れてしまったんだからクレメントの事は自分の中で終わりにすべきだ。


 ひとつ失恋した後で、また新しい恋を出来るまでの時間はどのくらいなんだろうか。誰か、統計を取って教えて欲しい。


 私が今、知りたいから。

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