第2話「警戒心」

「あ。そうなんだ。やっぱりね。私、ディアーヌとクレメントとはいずれ別れると思ってた」


 母方の従姉妹で小さな頃から仲の良いラウィーニアは、終わったばかりの恋をあっさりと評した。幼い頃から気心の知れている彼女は、触れれば危険の失恋したて乙女に対しても全く遠慮などはない。


 クレメントに失恋して、すぐにランスロットに告白されたのは昨日だ。


 泣き明かす予定の夜がいつもと同じように明けて、とてもすっきりとした気分で朝早く目を覚ました。


 そして、小さな頃からの習慣付いている日記の昨日の部分を読み返して、あの庭園での出来事が夢や幻ではないと確認した。そしてようやく色々と実感した私は、仲の良い従姉妹ラウィーニアを、午後のお茶を一緒にしようと手紙を書いて呼び出すことにした。


 突然の失恋をしたばかりの私は、散らかった心の整理などもまったく出来ていない。今正常な判断が出来る状態であるとは、とても言い難い。冷静な第三者の意見が必要であると、思ったから。


 涼しげなしたり顔をして、向かいの席に座っている私を見つめているラウィーニアは、私のお母様の姉の娘。我がハクスリー伯爵家よりだいぶ格上となるライサンダー公爵家の令嬢。


 彼女の母イザベラ伯母様は、日頃から磨き上げられた美しい容姿を持つ上に、頭もすこぶる良い回転を見せる優秀な女性で、当時一番人気の貴公子だった現ライサンダー公爵を見事に射止めた手腕の持ち主。


 そして、その娘であるラウィーニアが射止めた人物は。きっと、誰もが驚きの。


「自分は王太子さまと正式に婚約が決まったからって、言って良いことと悪いことがあるわよ。ラウィーニア」


 私がそう言うと、彼女は表情を変えずに優雅な仕草でお茶を飲みつつ肩を竦めた。要するに、私の母方の従姉妹はついこの間、まだ内々にであるもののめでたく未来の王妃になることに、正式決定した。


 我が国の王太子の周囲には幼い頃より、彼女を含め身分の高い令嬢何人かが「王太子妃候補」として集められていた。


 それは必ず血筋を残さねばならない王となる身分も考えて、正妃の他にも側妃を娶ることも想定してのことだったとは思うんだけど、王太子が選んだのはラウィーニアただ一人だけだった。他に側妃を娶るのは、彼女との間に子どもが出来なかった時のみという破格の条件付き。


 他の令嬢達はお払い箱になるとは言え、美しく高い身分を持ち、もしかしたら王妃になるかもしれないと施された教養も兼ね備えている。


 彼女達はこの先良い縁談には、決して困らないだろう。


「だって、付き合ってからもう一年も経っているっていうのに、ディアーヌはクレメントの前で猫被ったままだったでしょう。お茶会だって夜会だって、向こうの機嫌を窺ってばかり。言いたいことも言えずに素が出せない恋愛関係なんて、いずれ破綻するわよ。もし結婚すれば同じ家に住んで、四六時中一緒なのよ。生涯ずーっと猫被るなんて、絶対に不可能だもの」


 ラウィーニアの指摘は、いつも鋭く的確だ。


 彼女が未来の王妃に選ばれたのが、良く理解出来る。だからと言って、その忠告を私がすんなりと理解して聞き入れられるかと言えば、それはまた別の問題で。


「……素を出せば、きっと嫌がられると思ったの。クレメントは、女の子っぽい方が好きみたいだったから。いつもの私みたいな感じだと、すぐにフラれちゃうかもって」


「私が見たところ、あの俺様クレメントには、もっとはっきりと物を言った方が良かったと思うわよ。でも、あの男の事は既に終わった事だし、もう良いじゃない。ところで、失恋して心の整理がまだ付いていない段階で、ディアーヌが私を呼び出すって事は、クレメントと別れた以外でも何かあったんでしょう?」


 流石、未来の王妃に以下略。幼い頃から一緒に居て、何でも話し合うラウィーニアには、私の動向なんて何もかもお見通しみたいだ。


「ランスロット・グラディスに告白された」


 彼女に促された通りに白状すると、いつも冷静なラウィーニアにしては、とても珍しくぽかんとした表情の後。机に両手を付いて勢い込んで、私に聞いた。


「いつ? 何処で?」


「クレメントと別れた直後、別れたお城の庭園で」


 ラウィーニアは的確に彼女が知りたがった疑問に答えた私に対し、少し考えた後でこう言った。


「ランスロットとお試しでも良いから、付き合ったら良いじゃない。美形でも名高い氷の騎士は、次期王宮騎士団長候補でもあるし……それに、コンスタンスのお気に入りよ。絶対に出世するわ。求婚相手には、願ってもない好条件ばかりよ。後、大事なのは彼と実際話して、性格が合うかどうかでしょう? 他に、何を考えることがあるの?」


 ちなみに我が国の王太子のお名前は、コンスタンス様。王子様という身分を持つ人に対する期待を裏切らない、金髪碧眼の美男子だ。ラウィーニアは、彼の唯一の婚約者かつ幼馴染で気心も知れている。その彼女がそう言うなら、間違いない情報だ。


 氷の騎士ランスロットって、王太子のお気に入りでもあったんだ。クレメント……彼とライバルとは言われているものの、その時点で負けてない? ううん。別れてしまった私は、彼とはもう無関係なんだけど。


「クレメントとライバルなのは、知ってるでしょう。だからもしかしたら、彼に対する嫌がらせの一環かもしれないと思って……」


 氷の騎士ランスロットと、私の元彼である炎の騎士クレメントの不仲は割と有名だ。確かにランスロットと昨日少しだけ話した様子から想像すると、俺様タイプのクレメントとはどう考えても性格は合わなさそう。


 二人が普段どんなやりとりをしているかは、見たことのない私にはわからないにせよ。そういう関係性は、警戒しておいて損はないはずだ。


「元彼とライバルだからって、なんなの。もうディアーヌとクレメントとは、他人同士なのよ。遠慮なんか、しなくて良いわよ。あんなに美形で出世確実の人、どこを探してもなかなか見つからないわよ。彼がディアーヌが良いって言ってるんだから、一度付き合ってみれば良いでしょう」


 ラウィーニアは、良い意味で計算高いし気持ちの割り切りも素早く出来る。でも、心の整理があまり得意ではない私には昨日まで恋人だった人の事をこうして明け透けにもう他人なんだからと言われると、やはり胸が痛んだ。


 とてもとても今更だけど、やっぱり私はクレメントと別れたんだと心の奥底からじわじわと実感が湧いてくる。


「……でも、告白されたのは別れて本当にすぐよ。あの場所に居たのも、もしかしたら……」


 クレメントに別れを告げられたあの城の庭園は、確かに花が咲く季節に目も楽しめるし散歩をするには丁度いい。現に、散策する人たちは沢山居た。けれど、あんなにタイミング良く現れた彼が、どうしても不思議だった。


 まるで、クレメントが私と別れることをランスロットに、事前に言っていたみたいじゃない。


「私はあまり物を考えない好戦的なクレメントより、周囲を見る余裕のある知的なランスロットの方が良いと思う。それに、性格も真面目だからディアーヌと合ってると思うわ。クレメントと居た時に気を使っていたのは、いつもディアーヌの方だったでしょう? 片方だけが疲れる関係なんて、どうせ続かないわよ」


「そんな……」


「お嬢様。お手紙でございます」


 理路整然としたラウィーニアの言葉を聞いて、口を開こうとしたら、執事のチャールズが部屋へと入り声を掛けて来た。白髪できっちりとした執事服を着ている彼は、お父様のお気に入りの優秀な執事だ。私の家に仕えて、長い。


 そして、いつも通りならば、彼はこんな無作法はしない。


 私がこうして誰かとお茶をしているのなら、その間に届いた手紙は部屋に帰ってから渡してくるはずなのにと首を傾げた。そして、恭しく彼の差し出している銀色のトレイの上にある白い手紙を、そっと手にした。


「ディアーヌ。裏を返して見てみなさいよ。きっと……彼じゃない?」


 ふふっと意味ありげに微笑むラウィーニアは、手紙裏に書かれている差出人の名前に想像はついているようだ。


「……ランスロット・グラディス」


 彼の几帳面な性格を表すように、飾り文字の隅にまできっちりと美しい線で名前が書かれている。


「ほらね。絶対にそうだと思った。告白したんだし、当然かしら。きっと何かのお誘いね……それで彼は、なんて?」


 私は好奇心に目を輝かせるラウィーニアに促されるままに、チャールズの差し出したペーパーナイフで手紙の封を開けた。一枚の手紙に書かれている初めて見る彼の文字は、美しいけれど……。


「……次はどの夜会に出席されますか?」


「それで?」


「それだけ」


 頷いた私がそう言って一文だけ書かれて署名のみの手紙をさっさと封筒に仕舞うと、きっと後に続くはずの甘い言葉なんかを期待していただろうラウィーニアは、顔を顰めてがっくりと肩を落とした。


「流石、氷の騎士。素っ気なさは、噂に違わずね。ディアーヌ、どうするの?」


「どうするって……」


「きっと貴族令嬢に対する正式な求愛の手順を踏むために、夜会でディアーヌに会いたいのよ。彼、すごく良いじゃない。今週末に、コンスタンスが主催する大きな夜会が城の大広間であったはずよ。そこで会いましょうって、返事しなさい」


 ラウィーニアは命じることに慣れている彼女らしく、浮かない顔をしたままの私に段取り良くそう言った。


「……でも。ラウィーニア」


 彼女の言っていることは、いつも正しい。けれど、どうしても気が進まなかった。


 そんな大きな夜会でクレメントと付き合っていたはずの私がいきなりランスロットと踊っていれば、口さがない連中になんて言われるか。


「ディアーヌ。悪いこと言わないから、会ってみなさいよ。別に会うくらいは良いでしょう? 何もすぐに彼と付き合って結婚しろと、言っている訳じゃないわ。夜会で少し、会って話するだけよ。それにクレメントとの事は、もう終わったことよ。早々に忘れなさい。落ち込んで後ろ向きになっていても、何の良いこともないわよ」


「私が別れてすぐに、あのランスロットと踊っていたら……やっぱり、クレメントへの何かあるのかと思われてしまうわ」


 上目遣いで私がそう言うと、ラウィーニアは大きく息をついて言った。


「そう思いたい人間には、思わせておけば良いわ。そんな大したことない噂なんて、三ヶ月も経てば続々と出てくる新鮮な話題に埋もれて、いつの間にか皆忘れられているものよ。名前も知らないような人の言うことを気にしても仕方ないでしょう。それに失恋に一番良いのは、新しい恋よ。古今東西、そういう風に決まっているもの」

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