第9話 不幸の手紙
マユロウ家は、今でこそ「伯爵」という地位は持つが、もともとこの辺りを力で手に入れた豪族が祖先だ。
ハミルドと縁ができたきっかけとなった隣領のエトミウ家との争いも、原因はまことに些細なことで、武力衝突に至るほどのものだったのかと眉をひそめる程度だった。本当の原因は、双方の当主一族の血が騒いだからだろう。
我がマユロウ家は、そう言う猛々しい血族だ。いや、この辺りの領主貴族は同じ民族だから、色素の薄い都の優雅な貴族たちとは根本的に全く違う。
今も、都の貴族であるアルヴァンス殿は優美な貴族らしい服を着ているのに、父は「豪族」の名にふさわしい実用本位な服を着ている。壁には手入れが行き届いた武器が飾られていて、そのほとんどが父の愛用のもの。
そんな中にいる父は、マユロウ伯という名より、傭兵隊長というほうが似付かわしい。
またアルヴァンス殿は、服装だけでなく身のこなしも優雅そのもので、これぞ都の貴族という姿だ。
母君が絶世の美女と名高かったと聞いているが、私の祖父の従弟にあたる男が、出会ってすぐに全霊で守らなければ!と心に誓うほどたおやかな貴族令嬢だったらしい。
気の毒にもご両親は早くに亡くなっていて、アルヴァンス殿は母君の家を守る形で都の貴族の一人となっている。
完璧な都の貴族の外見だから、野蛮な傭兵隊長もどきの父と気が合うようには見えないが、今も意外なほど仲がいい。父が都に行ったときも、アルヴァンス殿がこの館に来たときも、放っておけば夜が明けるまで酒を酌み交わしている。
それを考えると、都で名高い優美な貴公子は、本質的にはマユロウなのかもしれない。
そんなことを考えている間に、父とアルヴァンス殿は酒談義を始めていた。
どこまで酒好きな男たちだろうか。私はうんざりしながらイスに座った。呼び出されたのは私なのだが、こうなったらしばらく待つしかない。
そう決めた私はテーブルに載っていた果物を取り、ナイフで二つに切ってそのままかじりついた。甘い果汁が口に広がり、さわやかな香りが室内に散る。
その香りに、アルヴァンス殿が振り返った。果肉に大胆にかじりつく私を見て、眉を優雅に動かした。
「……ライラ・マユロウがすると、どんなことでもお美しく見えますね」
「素直に、はしたないと言っていいんですよ?」
私は少し笑って言う。
父はもっと笑った。
「こういう娘だから、婚約者に逃げられるのだ。それなのに、お前を求める男はいるから不思議だな」
父はそう言って私を手招きした。
私は嫌な顔をしたと思う。私が呼ばれた理由を悟ったからだ。
残っていた果肉を素早く食べ尽くし、部屋の隅にあった水差しから鉢に水を移して手を洗う。いつものように布巾を使わなかったのは、心の準備の時間稼ぎだ。
でもそのおかげで、父の前に立った時には覚悟が決まっていた。
案の定というべきか、父が示したのは書簡だった。美しい紙に立派な封印を押しているものが、執務机の上に三通も並んでいた。
……なんてことだ。想定よりひどい。
「見ろ。夫候補が三人も現れたぞ!」
「三人とは、さすがライラ・マユロウです」
私がうんざりしている横で、アルヴァンス殿は褒め言葉らしいことを口にした。残念ながら、私は少しも嬉しくならなかった。ため息をつきそうになるのを堪えて、私は手近な一通を手にした。すでに封を切ってあるので、そのまま開いて書面に目を通す。
横にいるアルヴァンス殿は、興味を隠さない。父はそんな再従弟に内容を教え始めた。
「エトミウ伯がな、逃げてしまった元婚約者のかわりを用意してくれたのだ。私も会ったことがあるが、華奢なハミルドよりもよい男だったぞ」
「ハミルド君の代わりというくらいですから、エトミウ伯の血族ですか?」
「うむ。エトミウ伯の姉君の子だ」
「ライラ・エトミウのお子とは、確かに素晴らしい人物ですね」
アルヴァンス殿は笑った。私は笑うどころではない。逃げられた元婚約者の従兄が夫候補というのは、エトミウ伯の誠意の表れだろう。しかしエトミウ伯と直接交渉した経験のある私としては、高度な皮肉なのではないかと勘繰ってしまう。
エトミウ伯と父とどこか似通っている。どうにも食えない人物だった。
「……ハミルドの件はもう解決しています。それを今更蒸し返すとは」
エトミウ伯からの書状をアルヴァンス殿に渡しながら、私はうんざりとため息をついた。
しかし父マユロウ伯は、あまり品のよくない笑みを浮かべた。
「そう言うな。このエトミウ伯の甥御殿のことはよく知っているが、お前のような女にふさわしい豪傑だぞ。彼を婿に出す気があると知っていれば、こちらから欲しいと言うべきだった。あれはいい男だ」
冗談とも本気ともとれる言葉に、私は何か言い返したかった。
しかしまだ二人も夫候補が残っている。父に文句をいうのは後回しにして、気力が残っているうちに先に書簡に目を通すことにした。
アルヴァンス殿の強い好奇の視線に押された、というべきかもしれない。
次の書状には、カドラス伯の紋章があった。
カドラスとは境界を接していないのであまり馴染みはないが、領地に中央街道が通っているという点では我がマユロウ家と共通している。規模としても似ているはずだ。
少し興味を持って文字を追った私は、そこに記された名前と敬称を見て首をかしげた。
「父上。カドラス伯の庶子、と書いている気がするのですが」
「……珍しいな。正統なライラ・マユロウの相手に、庶子を推すとは……」
マユロウ家もそうだが、この辺りの貴族には庶子の存在は珍しくない。
しかし家督は嫡出の子が優先して継ぐし、格の面でも嫡出系より一段下がることになる。そういう庶子を、次期当主の夫候補に推すのは確かに珍しいことだった。
だから私だけでなく、アルヴァンス殿も首をかしげた。
しかし父は、全く気にしていない様子で機嫌よく口を開いた。
「よく名前を見てみろ。カドラス伯の庶子ではあるが、そやつの母君は大商人パイヴァー家の出だ。カドラス家が急激に潤った原因とも言われる、あのパイヴァー家だぞ」
「……ああ、なるほど。ライラ・パイヴァーの御愛息でしたか。顔は知っています。確かに彼ならば悪くないどころか、素晴らしい相手でしょう」
眉をひそめていたアルヴァンス殿は、笑顔に戻ってそう言うが、私には少しも素晴らしいと思えない。
嫡出の相手ではなく財産持ちの庶子を差し出してくるなんて、カドラス家の意図がびしびしと伝わってくるではないか。
「……我がマユロウ家と結んで、中央街道での利権を守ろうというわけですね」
「そして我がマユロウ家は、パイヴァー家の財力を手に入れることができる。お前の夫を世話してくれるだけでも有り難いのに、我が家にはよいことばかりだろう?」
父はまた笑った。椅子に背が軋むほど体を逸らしているなんて、いくらなんでも笑いすぎだ。
でもそれを咎める気力がわかないほど、どうしようもないほどうんざりしてしまった。
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