第7話 図書館慕情 ⑥

 鐘楼からの眺めをしばらく堪能し、そろそろ報告を兼ねてエーレンツのところに戻ろうと決めた。

 まだ見ていたい気持ちもあるが、くるりと体を反転させ、螺旋階段を下っていく。魔法陣のある小部屋を抜け、長い階段をホウキに乗って、滑るように一気に下りていく。

 館長室に戻ると、エーレンツはすっかりと冷静さを取り戻していて、部屋に入ってきた私の姿を確認すると、「おかえりなさいませ」とやや形式ばった声で迎えてくれた。エーレンツが仕事用の顔で応対してきたと感じながらも、それでも私は態度も声音も変えることなく、ソファーに腰かけながら、


「終わったわ、エーレンツ。これからもしっかりと本と魔法陣の管理を頼むわ」


 と、事務的な内容を口にする。


「もちろんでございます。それで他にシェリア様から何かご要望はありますか?」

「特にないわね。図書館のことに関しては、エーレンツ、あなたのことを高く評価しているし、信用もしているわ。まあ、でも、そうねえ……次、同じような問題を起こしたら、あなたの好きなコーヒーか紅茶に下剤効果のある魔法で仕込もうかしら」

「ご勘弁ください。それに、あのような失敗は繰り返しはいたしませんよ」


 エーレンツは頭をきながらいつもの調子でガハハと笑い、エーレンツの仕事用の鋭さを感じる表情は緩んでいく。


「それではシェリア様。この後のご予定はどのように?」

「何も決めてないわ。このまま帰ってもいいのだけれど、せっかくここまで足を運んだのだから、宰相さいしょうか議員かどこかの物好きにおいしいものを持ってこさせるというのもいいかしらね」

「宰相閣下を小間使こまづかいにしようとは、いやはや」

「まあ、そこは誰だっていいのよ。それに街に出れば、きっとここの人たちはこぞって私に何かを渡してくるでしょう? 前に来たときは食べ物やアクセサリーに、服をしつらえさせてくれないかとも言われたわね」


 記憶の中の人々を思い出しながら口にする。それは善意からの行動で、このストベリク市を守る魔女への感謝の気持ちなのだろう。だけど、食べきれないほどのパンや果物を渡されたり、身に着ける予定のないアクセサリーをおくられたりするのは違うと思ってしまうのだ。もちろん私が自分の意思でふらりと訪れて、気に入ったものをくれるという分には喜んでもらうのだけれど。


「それだけ、みながシェリア様には感謝しているのですよ」

「知っているわ。だからこそ、私にとって程よい距離感で接せれる人を選んでいるだけだもの」

「本当にシェリア様はお優しい。では、今晩は私にご馳走ちそうさせていただけませんかな? 我が家で、家内の料理となれば、気を遣うことなくゆるりとくつろげるでしょう?」

「そうね。なんだか、そうやって前回も乗せられた気がするわね」

「そうでしたかな?」

「そうよ。まあ、エーレンツがその歳でも体型を維持できるくらいにはおいしい料理なのだし、今回も期待しているわ」


 エーレンツの提案を受けながら笑うと、エーレンツもガハハと笑いながら自分のお腹をさすっていた。


 それからエーレンツの仕事が終わるまでの暇つぶしをすることにした。

 最初のうちは館長室のソファーでだらりと横になって、本を読んでいたが、エーレンツがこちらの気配をうかがう気配に落ち着かず、人目がない所を求めて、鐘楼へと辿り着いた。最上部に自分の家から空間魔法で転移させたソファーをどっかりと置き、いつものようにそこに横になって本を読みふける。ときおり吹き抜ける風を感じながら、遠くから聞こえてくる人々が生活を営む音を背景に、本の世界へと深く深く落ちていく。

 どれくらい時間が経っただろうか。気が付けば日が暮れだしていて、本が読みにくくなったのでそろそろランプを用意しようかなと思っていると、誰かが近づいてくる気配がした。正確に言えば、最上部の螺旋階段に続く扉を押し開ける音、そして、階段をゆっくりと上がってくる足音。

 その階段の登ってくる先に視線を向けて待っていると、そこにやってきたのは図書館で転んでしまいそうになったところを助けた少年だった。彼は私の姿をその両の目でとらえると、緊張したのか表情を強張らせる。

 そんな少年の様子をよそに、私は立ち上がりソファーを魔法で片付け、鐘楼の壁に寄りかかる。


「そんなところに立ち尽くしてないで、こっちに来なさいな」


 私の言葉に少年は素直に従い、近寄ってくる。


「せっかく苦労してここまで登ってきたのだから、ここからの景色を眺めないのは損よ」


 少年はおそるおそるといった風に顔を出し、外を眺めた。それに合わせて私も隣から同じ景色を眺めることにした。

 吹き抜けた強い風に一瞬あおられ、目を開けたときに目の前に広がった景色は、この大きな街を一望でき、遠くに見える山の向こうに沈みゆく太陽もはっきりと見え、空にはこれから巣に帰るであろう鳥たちが羽ばたいていた。

 そんな光景を前にして、少年は歳相応に目を輝かせ、感嘆かんたんの声を漏らすので、私の口元は自然と微笑ほほえんでしまう。

 自分にとっては高い場所からの景色というのは、見ようと思えばいつでも見ることができるほどにありふれたものだ。しかし、空を飛ぶことができない普通の人間にとっては珍しいものなのだろう。

 この鐘楼のような高い建物を作ったり、山など高いところに登ろうとするのも、上を目指そうとする人間本来の渇望かつぼうゆえかもしれない。

 そんな哲学的なことが頭に浮かんでしまうほどに、少年の目はどこまでも澄んでいて、輝いていて、とても美しかった――。

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