4 DEAD OR ALIVE

 東尾佐右衛門ひがしおすけえもん邸では、秋祭りが行われている。広い庭には周りの百姓がところせましと集まり、的屋が菓子や甘酒をしきりに勧めている。

 庭の中心では、シンポウチが法螺貝を響かせ、甲高い口上を述べている。赤熊をかぶった棒振りが、器用にひょうきんに持った棒を跳び越えて悪魔を祓う。能装束をまとった子どもたちが、腹に締めた太鼓を打ち鳴らし、輪になって踊っている。

 呑めや歌えや、タガの外れた笑い声が絶える間もなかった。

 喧しい先庭に反して、屋敷の中庭は静かだった。東尾美代ひがしおみよは縁側に腰かけ、読本にふけっていた。齢二十手前、きめ細やかな白い肌、艶やかな肢体、黒い髪、長い睫毛──美人と呼べる類の女だった。が、腹のあたりが不自然なほど丸く膨らんでいた。

 彼女の歳の離れた弟たちが、中庭に駆けこんできた。狐の面をかぶり、長細い柴を刀に見たてて打ちあい、キャッキャと笑っている。本から目を上げ、美代は微笑した。

「お嬢」背後から声がかかった。低くかすれた声だった。

 美代は振りむいた。肩幅の広い男が、腰を折って立っていた。額に刀疵が走っている。顔のつくりにも凄みがあった。

 男は続けた。「大旦那さまが、お呼びでございます」

 美代は目を伏せ、うつむくと、口を結んで鼻から息をついた。本を閉じ、傍に置くと、丸く膨らんだ腹をやさしく抱え、ゆっくりと腰をあげた。男の顔を見あげ直し、「すぐ行きます」目はどこか哀しげだった。

 広間では、東尾佐右衛門が腹心たちと談笑していた。東尾佐右衛門は五〇半ば、がっしりした堅太りの男だった。型にはめたような四角い顔をしている。頭髪は後退しているが、太いもみあげと豊かな口髭はまだ黒い。一見すると豪放磊落な好々爺だが、目の奥には、冷たいしたたかさがあった。

「いまは外にしか物が売れん時代だが」佐右衛門がぶちだした。「いまにこの日本でも物が売れるようになる。そうなると、あれば便利なものがある──なんだと思う、守岡?」

「はあ」守岡宗兵衛は頭をかいて、「得意先でしょうかね、昔からの」

「それもそうだ」佐右衛門は微笑んだ。「が、ちがう。さあ、なんだと思う」

「人、でしょうか」藪下和之進やぶしたかずのしんがいった。

「それもある。が、違う」

「ではなんです?」永野一太郎ながのいったろうが訊ねた。「我々では、大旦那の知恵に敵いますまい」

「そうかそうか」佐右衛門は満足げに笑った。「では教えてやろう」右の人差指をたて、前後に振る。「汽車だ。いや、もうすこし細かくいえば、路線だ。網目のように張り巡らされた、線路が必要になる。むかしのように、儂や儂の親父殿がしたように、行商では、人の足ではさばける数がかぎられてくる。なるほど、儂らは汽船は持っておる。だが、汽船は山を登れん。国の隅々まで物を売ろうとすれば、やはり汽車だ」

 おお、という溜息があちこちから洩れた。

 佐右衛門は続けた。「全国のあちこちで鉄道を作る企てがある。儂も負けてられん。まずはこの湯田に鉄道を走らせる。そのために、諸君らの協力が不可欠なのだ」

 歓声があがった。佐右衛門は微笑み、両手を広げてそれにこたえた。

 美代が広間に入ってきた。

「まあ、次が本題だが」佐右衛門がいった。

 笑みを浮かべたまま娘を見て、「それは誰の子だ、お美代?」

 周囲の腹心やくざたちのまなざしが娘に集まった。美代はたじろぎ、立ちどまった。目が、微笑みを浮かべる父でも、下卑た表情の貸元たちでもない、何かを探しもとめるかのように動いた。唇がわずかに開いたまま震えていた。

「どうした? 言ってみなさい。難しいことは訊いていないはずだ」

 美代は、立ちすくんだまま黙っている。

 佐右衛門はくつくつと喉を鳴らした。「そう身構えるな。儂は初孫を喜んでおる。べつに、腹から赤子を引きずりだして煮て食ってしまおうなど、そんなことは考えておらん」左肘を肘掛にかけ、前のめりになる。「ただ、その子の父となる男、儂の義子となる男が誰なのか、知りたいだけだ。だから、な? お美代」ゆっくりと、柔らかな声で、「その子の、父親は、どこの、誰だ?」

 美代は口を結び、首をちいさく横に振った。鼻と顎は震えている。

「そうか」佐右衛門は鼻から息をつき、上体を起こした。哀しげに眉を八の字に寄せ、「言えんか」ゆっくりと首を振る。太い唇の間から息をつき、「そうかそうか」鼻から大きく息を吸いこみ、上を向いて吐きだす。「なら仕方ない」廊下のほうを向き、「おい」手を打ち鳴らす。娘のほうに向きなおって、「おまえが言えんなら仕方ない。ならば──」

 襖が開いた。美代はそのほうを見た。切れ長な目がすこし開く。

「おまえでない人間に言ってもらうしかないな」

 廊下には女中が立っていた。両脇を若く屈強なやくざが固めていた。女は哀願するような目で美代を見ていた。

「可哀想だとは思うが」佐右衛門がいった。「おまえが口を割らんのでは仕方ない。いまからこのお吉に喋ってもらう。なあに、スズメのように喋ってくれるだろう。指を一本ずつ折ってゆけばな──おい」右手をひらひらと振る。

 若いやくざたちはうなずき、女中を抑え、床に膝をつけさせた。女中はしきりに、わたしはなにも知りません、と訴えた。が、誰も聞き入れなかった。くぐもった音がして、右の人差指が手の甲のほうに折れ曲がった。とてつもない叫び声があがった。

 美代は顔をしわくちゃにして目を伏せた。佐右衛門はうっとりした表情で、煙管に煙草を詰めている。

 女中の中指が折れる。お嬢様、お嬢様、と叫んでいる。

「お美代」佐右衛門が声をかけた。紫煙をくゆらせ、「哀れだと思わんのか? おまえのおしめを替えていたお吉のことが。おまえがひと言、父親の名を言うだけで良いのだ。お吉を救うことができるのは、神や仏でもない。おまえだけだ」

 美代は黙っている。やくざの骨ばった手が、女中の薬指を握った。お嬢様、お嬢様、お助けください、と、何度も繰りかえしている。

 美代が口を開いた。

「伊村さまです」

「聞こえんな」佐右衛門は目を細め、耳のうしろに手を当てた。「もっと大きな声で言ってくれんか」

「伊村寛治さまです!」美代が叫んだ。目から涙があふれ出ている。「ここに身を寄せておられた、伊村寛治さまです! お吉をはなしてください! お願いです! お父さま!」

「そうか」佐右衛門はうなずいた。素っ気ない声だった。煙管を振って、「おい」

 やくざたちは侍女を離した。侍女はそのまま倒れこんだ。

「美代、おまえはもう下がってよろしい。祭りの最中に悪かったな」そう言うと、美代の背後にひかえていた男を煙管の先で指し、「連れてゆけ」

 男はうなずき、侍女に駆けよろうとする美代を押さえ、引きずっていった。

 佐右衛門は煙管をくわえ、肘掛けに身をあずけ、うつむいた。「そうか、伊村か」口元だけが微笑んでいる。歯で吸口をカチカチと鳴らし、つぶやく。「そうかそうか……あれほど目にかけてやったというのに、あの──」震える指で煙管を唇からはなし、「あのっ、恩知らずめッ」火鉢に煙管を力いっぱい叩きつける。煙管は砕け、灰が飛び散った。顔から微笑みが消え、憤りが浮かんでいる。顔をあげ、腹心たちを見まわす。怒り声で、「あの自由党のクソガキをふん捕まえてこい! くたばってようがいまいが、どっちでもかまわん! あの糞ったれの外道め! 肥壺の中に隠れていようが、必ず見つけだしてぶち殺してくれる! あの強姦魔を連れてきた者には、一〇万圓くれてやる! 腕だろうが髪の毛だろうが、首だろうが、なんだっていい! 奴をここに連れてこい! 布告を出せ! 逃げ場をぜんぶ潰してくれる! 覚悟しろ畜生め! かならず儂の前に跪かせて素っ首叩っ落として、首の穴に糞を流しこんでやる! バーカ!」

 癇癪はしばらく続いた。

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