第三章『少年』
「おはようございます」と僕が挨拶をしても誰も応えない。
当たり前だ。ここは僕の家のリビングなのだから。
僕は窓の外の景色を見ながら「はぁ」とため息をついた。
何が楽しくて朝っぱらから憂鬱になるのかわからない。
「お兄ちゃん、また寝坊?」と台所の方から妹が歩いて来るのが見えた。彼女は中学一年生になったばかりなのだが背がぐんと伸び、今では同じ目線だ。しかし顔はまだ幼く、可愛いというよりは『綺麗』の方が合っているかもしれない。その少女は手にしていたマグカップを机の上に置くと言った。
「朝食の準備、出来ているから食べちゃって。お母さんは先に会社に行ったよ」
「ああうん」とだけ返事をして椅子に腰かける。テーブルの上に並べられたトーストを手に取って口に運びつつ妹の方を見ていると、彼女が首を傾げていることに気がついた。どうやら様子がおかしいと思われているらしい。そこで仕方なく「最近どうなんだ」と聞いてみた。
しかし帰ってきた答えはあまり芳しくないもので、なんでも『いじめ』というものが流行っているのだとかなんとか。学校に行ってから友達に聞いた話らしく、僕には心当たりが無い。ただでさえ退屈だというのに余計なことを吹き込まれてしまったようだと思い、ますます気が重くなった。
僕は食べるペースを落としながらぼそっと言う。
「そんなもの気にしなければ良いんじゃないかな。ほとぼりさえ冷めればみんな忘れると思うし、何より、そんなのにかまけていて大切なことを見失って欲しくないなあ……」
妹は何を言い出すのかという顔をして僕を見ていた。「例えば?」と言われて困ってしまう。なんだろうと思いつつも「勉強とか部活かなあ……」などと言ってみる。ところが、彼女はそれを鼻で笑った。
「そんなんじゃ甘いんだよ」と呟く彼女の目からは『この甘ちゃんが』という侮蔑の意志がひしひしと伝わってくる。その視線に堪えられず、また「う~ん」と誤魔化すしかなかった。
「ははは」という乾いた笑いと共に立ち上がると「ごちそうさま」と言って部屋に戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、どうしてあんなふうに育ってしまったんだろうと残念に思う気持ちもあるが、一方で『仕方ないか』という諦めの感情もあった。それは多分、あいつが悪い訳ではないからだ。
あいつは悪くないし正しいし強いのだけれど、それでも、僕ら家族にとっては敵以外の何物でもないのだ。僕は残りのパンを口に放り込みミルクを流し込むと鞄を背負って立ち上がったのであった。
それから数分後には、僕らの家は完全にもぬけの殻となったのである。
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