第36話 人ごみの中で
ゴールデンウイーク中という事もあって、遊園地は人だらけだった。帰るときにはどれだけ疲れているだろうとハルミはため息をついた。せっかくの連休だから、本当は家でゆっくりしたい。けれど、たまには子供達にサービスをしなければ。
子供達に目を向けると、兄の文昭(ふみあき)は、楽しそうに笑っている。その様子に、思わずハルミも笑顔になる。そして、弟の義則(よしのり)は、周りの状況に戸惑っているように笑顔もなく、困惑したように、指をしゃぶって兄の後をついていく。
二人の違いに、ハルミはくすりと笑った。父親は同じなのに、こんなに性格に差が出るなんて。兄の文昭は活発なのに、義則はのんびり屋。しかも、三歳なのにまだ指しゃぶりをやめられない。
「ほら、汚いでしょ」
ハルミは顔をしかめ、義則の口から親指を引っこ抜いた。ハンカチで指を拭く。まあ、こんなことをしても、またすぐに始めるから意味はないけれど。義則の右手の指は、しゃぶりすぎているせいで皮膚が荒れているぐらいだ。
「ねえねえ!」
文昭がハルミの手を引く。
「僕、あれに乗りたい!」
そういって、観覧車を指さす。
「じゃあ、行こっか! 人が多いから、迷子にならないようにね!」
ハルミが二人と手を繋ぐと、文昭は驚くような強さで駆け出した。
注意していたはずなのに、恐れていたことはあっさりと現実になってしまった。いつの間にか、義則がいなくなっていた。園内のショップで、少し目を離した隙(すき)に。
「義則! 義則、どこにいるの!」
文昭も、小さい口を一杯にあげ、弟の名を呼んでいる。
大声をあげるハルミ達の近くを、たくさんの人達が不審そうな顔をして通り過ぎている。
こうしておろおろしていても仕方がない。取り敢えず、今まで立ち寄った所を探してみることにした。
手間の掛かる子だ。それでも、自分の子なのだから。そう、大切な大切な……
園内を流れる楽しそうな音楽、ポップ・コーンの匂い、けたたましい笑い声を立てる女の子五人組、お父さんの背中で眠っている子供。
そんな中をかき分け、動く柱のような人々の向こうに、ようやく義則の姿を見つけた。
噴水の近くで、何に夢中になるわけでもなく、ただぼうっと突っ立っている。
駆け寄ろうとしたハルミの足は、なぜか止まってしまった。
何かが、おかしい。
行きかう人々の間から見える義則は、髪の色も、顔も、着ている服も、遊園地に入った時と同じだった。でも、何か違和感があった。あれは、私の子供ではない。心がそう言い張って譲らない。
その違和感の正体はすぐに分かった。手だ。あの子はいつも右手をしゃぶっていた。でも、あの子がしゃぶっているのは、左手だ。
『『ニセモノの子』って知ってる?』
まだハルミが幼いとき、母が言った言葉。
『デパートとか、遊園地とか、人の多い場所にいるお化けでね。子供が親からはぐれるのをじっと待っているの』
確か、母はそう言っていた。
『それから、その子に化けて、本物が見つかる前にお父さん、お母さんの前に現れるのよ。本物と入れ替わっちゃうの』
聞いたその時は、きっと自分を迷子にさせないために脅かしているんだと思ったけれど。
女の子が、とことこと『義則』の前を横切ろうとする。そしてぽてっと転んでしまった。
すばやく『義則』が駆け寄って、女の子を助け起こした。
ハルミは、それを信じられない思いで見ていた。普段の義則だったら、驚いた顔をするものの、ただボーッとみているだけなのに。
そう、いつも何を考えているか分からない瞳をして、もう赤ん坊でないのに、指しゃぶりもやめられなくて。うじうじとして、はっきりと自分の考えを言えなくて。
女の子の両親が、『義則』に何か言った。女の子がバイバイ、と手を振る。『義則』も手を振って応えた。
その拍子にこちらに気づいたらしく、彼はぱあっと笑顔を浮かべる。賢そうで、喜んでいるのが一目でわかる目だ、
『義則』ハルミに駆け寄ると、ぎゅっと抱きついた。子供特有の高い体温が、ズボンの布地を通して伝わってくる。
「ああ、ヨシ君、よかった!」
ハルミは、『義則』の頭をなでた。
隣で文昭が息を呑む音がした。
「ね、ねえ、お母さん、それ、本当に義則? なんか変じゃない?」
囁かれたその言葉に、ドクンとハルミの心臓が高鳴った。
「な、なに言ってるのよ。どっからどう見てもヨシ君じゃない」
焦ったように『義則』を抱き上げると、傍(そば)にあったホラーハウスを指さす。
「ほら、あれ、面白そうだよ、行ってみよう!」
『義則』が駆け出すと、文昭もためらいながらも後に続いた。フミアキも、なんのかんの言ってまだ子供だ。『義則』にもすぐ慣れるだろう。子供の順応力はすごいものだから。
『ねえ、『ニセモノの子』はどうしてそんなことするの?』
『さあねえ。寂しがりなのかも知れないねえ』
『でも、置いてかれた本当の子はかわいそうだね。たくさんの知らない人の中に、一人で』
『そうだよ。だから、お母さんのそばを離れちゃだめよ』
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