第十四章  不倫の恋

食べかけのチキンライスの皿にスプーンを置き、ひとみはため息をついた。

今日、何回目のため息であろうか。


優子は心配で声をかけようと思ったが、何故か、ためらわれてスプーンを口に運んだ。

ひとみの行動はわかりすぎているのだが、時にはそれが切なく思えてくるのである。


他人が見れば、青井とひとみは喧嘩ばかりして仲が悪いように見えるが、入社して以来3年余りずっと行動を共にしてきた優子から見れば、明らかにひとみは青井に恋をしている。

 

それも、今まで田坂等に憧れていたものとは全く別の想いであろう。

ただ、本人同士がそれに気づいているかどうかは分からなかったが。


今も何か青井について言おうものなら、ムキになって否定するに決まっていた。

でも、ひとみの寂しさは痛い程、優子にはわかるのだった。


自分も同じであったから・・・。


田坂課長とは、入社以来その下についてフロアキーパーをしていた。

モバイル時代という事で、課内の者は殆ど自分でワープロ等を打つので、表作成や企画書の手伝いで半ば田坂の秘書のような形で仕事をしてきた。


最初のうちは、ひとみの中年コンプレックスを笑っていた優子であったが、奥様がいるとはいえ、若い男達にない頼もしさやフェミニストな行動に次第に魅かれていった。


ただ、不倫だけはイヤだと思っていた。

どう考えてもリスクが大き過ぎる。


恋愛を損得感情ではかるべきではないのだが、それにしても・・・みんな、家庭を破壊してまでも、よくそんな事ができるものだと思う。


仮に奥様から男を奪ったとしても、又、自分もその立場におかれる気がする。

堂々巡りではないか。


4月の終わりに、ひとみ達4人でレストランで食事した時、田坂から離婚の話を聞いた。 

一年程前から、田坂の行動に疑問を抱いていたのだが。


田坂の苦悩の日々を想うと、涙がにじんでくる程せつなくなった。

それと同時に、優子の心の中で重い鎖が解けていくような気がした。


切なさと心の軽さで、ようやく自分は田坂を愛していると気がついたのだ。

仕事とはいえ、いつもそれ以上に田坂の事に気を配っていた気がする。


そう、今のひとみのように。


あれからよく、ひとみの企画に青井が田坂を連れてきて、4人で食事をしたりする機会が増えた。

田坂も自分の離婚の秘密を分け合う3人には気楽に心を許せる気がして、最近まで見られなかった笑顔で元気良く話すのだった。


もちろん、青井とひとみの漫才のような遣り取りに、二人はそれ程口をはさむひまもなく、ただ笑い時折見つめ合うだけなのだが。

いつしか二人の視線は熱く絡み合い、互いを意識するようになっていった。


この頃ではひとみに内緒で映画を見たり、食事をするようになっている。

先週二人は食事の帰り、腕を自然に組んで歩いていき、公園のベンチで田坂に愛を打ち明けられた。


二人のシルエットが、もどかしげに重なっていた。

ひとみに内緒にするつもりはなかったのだが、何故か言いそびれて現在に至っている。


まさか今でも田坂の事を思っていることはないだろうが、あれ程中年コンプレックスをからかっていた手前、気が引けるのだった。

食後のコーヒーを飲みながら、優子は決心するように言った。


「あのね・・・ひとみ。

怒らないで聞いてくれる・・・?」


そう言いながらも再び目を伏せると、カップをもてあそんでしまう。

ひとみは頬を膨らませて、呆れるように言った。


「あのねぇ・・・あんた、私の事、

いつまでも子供扱いするけど知ってるんだから。

田坂課長とあんたの事ぉ・・・」


意外な言葉を耳にして、優子は顔を上げて言った。


「知ってたの・・・?」


「もうー、当たり前でしょ・・・

って、本当は青井課長に聞いたの。

二人の事はそっとしておいてやれって・・・」


優子はくすっと笑うと、又目を伏せカップを撫でている。


「へえー、そうなんだ・・・・。

青井課長、けっこう見るとこは見てるのね。

田坂さんも内緒にしておくって言ってたのに・・・」


ひとみは意地悪そうに笑いながら言った。


「田坂・・・さん?

ちょっとー、あんた達いったい、

どこまでいったのよ・・・?」


そう言われて、優子の顔が真っ赤に染まった。


「ま、まだ何もないわよ・・・

でも・・・ね、好きだって・・

言われちゃった・・・」


「へえー、いいなあー、優子・・・

って・・・・・。

何よー・・・

人のことアブノーマルだって言ってたくせに・・・」


「本当にごめん・・・。

内緒にしてて・・・ゆ、許してぇ」


手を合わせて顔を赤くしている優子を見て、優しくひとみは言った。


「冗談よ・・・おめでとう、優子。

田坂課長なら、きっとやさしくしてくれるわ」 


「ひとみ・・・」

あなたこそ、がんばってと言いかけて優子はやめた。


ひとみの状況は優子とは違う。

青井には家族がいる。


それがわかっているから、ひとみも時折辛い表情を見せるのだ。

自分も自覚はしていなかったが、それに似た思いを田坂に向けていたのだから。


優子はわざと明るい声で言った。


「ねえ、今日久しぶりに飲みに行こっか。

二人で・・・カラオケ」


ひとみは飲んでいたコーヒーカップ越しに微笑むと言った。


「うん・・・行こっかぁ」


青井のいない寂しさをまぎらすのに調度いいと思った。

今夜はとことん歌いまくろうと思った。


あのライブハウスの歌姫のように、自分は待つしかないと思う。

待っている時間の方が楽しいのだ。


いつしか男は帰ってくる。

そう、帰ってくるのだ・・・。


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