第一章 朝食

花畑がどこまでも広がっていた。

赤や黄色、緑色に交じって白い蝶もはばたいている。


ただし、それらは全て作り物で背景の空も青い紙のようである。

向こうの方から、白馬に乗った王子様風の格好をした人形が走ってくる。


「プリン、プリンー。

プリンセス・プリン、プリーン・・・」


花を頭に飾っていた少女が振り返って答える。


「ボンボン・・・。

やっぱりボンボンだわ・・・。

ああ・・・あなたが王子様だったのね、

良かったぁー・・・」


わくわくしながら、王子が来るのを待っている。


馬の蹄の音が徐々に大きくなってくる。 

少女の胸の鼓動もそれに合わせて激しくなる。


近づく王子の懐かしい姿をよく見ると、何か手に持っていた。

目をこらして見るとそれは・・・


タコ焼きであった。


そしてボンボンの笑った顔からこぼれる白い歯には・・・

青のりが、付いていた。


「そ、そんなの・・・いやぁー・・・」

 

※※※※※※※※※※※※※


球のような汗を額に浮かべて、ひとみは目を覚ました。


4月も半ばを過ぎると急に暖かくなったようで、厚めの毛布と蒲団で寝ていたせいもあってかパジャマがぐっしょりぬれている。


カーテンの隙間から、朝日が招くように細い光を投げかけている。

ひとみは髪をかき上げながら窓辺に立ち、腹立ちまぎれに強くカーテンをひいた。


狭いながらも庭のある家で、一本の桜の木が花の季節に別れを告げ、代わりにもえたつような緑で息づいている。

父がこの家を買った時、一番印象に残って気に入った桜である。


その桜を見るとさっきの怒りが嘘のように静まり、ため息をつくと机の上の写真を見た。

笑っている父を間に挟み、ひとみと母がまとわりついている。


無邪気な表情である。


まだ十歳の時の写真である。

大人になった微笑みを写真に投げかけると、ひとみは囁くように言った。


「おはよう・・・お父さん」


ひとみの父は十一歳の時、事故で亡くなっていた。


写真そのままの優しい父の記憶は、いつ迄もひとみの心の中で生きていて、どんなつらい時でもこの写真を見ると妙に落ち着くのであった。


汗でぬれたパジャマと下着も取り替えて身仕度を整えると、ひとみは一階にあるダイニングルームにおりていった。


部屋に入ると、テーブルの上に朝食の用意がしてあり母のメモが置いてあった。


『今日は早朝会議がありますので先に行きます。

味噌汁は温め直して下さい。

それと冷蔵庫の中に新しい卵がありますから、

おかずは自分で作ってね。

夜も遅くなりそうだから今日は

外で夕食を済ませてください』


ひとみの母、安子は宝石店を経営していた。

 

安子の父と母・・・ひとみの祖父は東北の名士で祖母を含め今も健在である。


父の竜彦が亡くなった時、同居する様に強く勧められたが兄夫婦もいるし、何よりも竜彦と苦労して大きくした宝石店を手放したくなかったので今は断っている。


竜彦は一人息子で両親を早くに亡くしており、親戚もわずかしかいなかった。


上野の問屋街で修業したあと、微々たる元手でブローカーまがいの宝石店を始め、ようやく軌道に乗り始めた頃、安子と知り合い結婚した。

安子の両親には猛反対を受けたが、もちまえのガンバリと安子の協力で店は徐々に大きくなっていった。


ひとみが生まれた頃には、ディスカウントの宝石店を上野の片隅に出していた。

安子の両親も孫が生まれた事もあって、男を見直してくれたが金銭的な協力を竜彦は一切受けようとしなかった。


この家を中古で買ったのは、ひとみが五歳の時であった。


さっきの庭の桜が気に入って、都心にある旧家の払下げの家はバブル前だったせいもあって手頃な値段であった。

築年数は古いのだが、いい建材とアールデコ様式をとったオシャレなインテリアはひとみも友達を連れてくる度に鼻が高かった。


だが、父はもういない。


チェーン店を何件も展開する程、成長した店と愛しい妻と娘を残して、あっけなく昇っていった。

安子は再婚する事もなく、仕事をする事で竜彦と会話をしているような気分がするのか、精力的に働いていた。


もちろん、ひとみの事も可愛がり美しく成長した娘と時折ショッピングする事が何よりの楽しみであった。

ひとみは冷蔵庫の扉を開け、色々物色してキッチンに置くと腕捲りをして言った。


「よし、今朝はソーセージと玉葱入りの

スクランブルエッグ・・・・

それとぉ、ブロッコリーのサラダ」

 

ひとみは朝、しっかり食べていく主義である。

早めに起きて、ゆっくりその日をスタートする。


慌ただしく遅刻したり、朝食を抜いて一日を無駄にしたくはなかった。

フライパンを熱して、バターを一固まり滑らすように落とす。


「ジュー」という音をたてて、香ばしい湯気が一瞬まき上がる。

刻んでおいたソーセージと玉葱を入れると、更に大きな音をたててフライパンがおどる。


頃よく火がとおり玉葱がしんなりし始めた時、一気にといた卵を流し込む。

かき混ぜていると、ゆっくり姿を変えていき固まる寸前に、ワンテンポ早く火を消して皿に移す。


トロトロになって湯気をあげるスクランブルエッグに、特製のケチャップソースを彩りに添え、ガラスの器に盛ったサラダと共にテーブルに置く。

弱火で温めておいた味噌汁と炊き立てとまではいかないが、まだ熱く湯気をたてているご飯を小振りの茶碗によそい、席に着くと一人両手を合わせて、ひとみは言った。


「いただきまーす。

うふっ・・・我ながら上手くできたわ。

どれどれ・・・?」


熱い味噌汁を一口すすったあと、スクランブルエッグを一箸つまみ、中央のケチャップに少しからませて口に含む。

生協で購入しているソーセージは、添加物なしで臭みもなくジューシィーな肉汁が卵とからまって口中に広がる。


小さな口にご飯を詰め込み、ゆっくり噛んで味わう。


母はいつも忙しく、中々一緒に食事はできないのだが休みの日はなるべく家にいてくれ、料理も教えてくれていた。

特に亡くなった父は、何時も非常においしそうに食べるので母もうれしく、ひとみとよく一緒に作っては幸せそうに眺めていた。


その楽しみがなくなってからは暫く、二人共料理から遠ざかる日が続いたが、安子は気を取り直すと育ち盛りの娘の為に又新しいレパートリーを再び研究するようになった。


食事を終えて食卓を片づけると、ゆっくり身仕度にはいった。

若く美しい肌には、あまり化粧など必要ないのだが毎朝薄めではあるが、メイクにも時間をかける。


春という事もあり、今日はルージュの色も変えてみた。

パールの入ったピンク系のものを、薄めに塗り唇をずらせながら伸ばしていく。


目は大きい方なので、シャドウはめったにかけない。

むしろローション等で肌をマッサージするのに時間をかけていく。


モスグリーンに白い縁取りのあるワンピースに袖を通すと、軽く髪をとかす。

たまには母の様にブローをしてみてもいいのだが、少しクセのある柔らかい髪はナチュラルなウェーブがかかっているので特に何もしない。


おでこの上の髪をその日の気分によって、はね上げ方を変えてみたりしてアクセントにしている。

胸元のボタンを留めると、襟元から腰まで一直線に伸びた白いラインがゴールドのボタンを印象づけている。


スリットのある部分からスラリと伸びた足が、眩しいぐらいの弾力を見せている。

白く細い指には、まだ何もつけられていない。


そう、ひとみはまだ大人の女にはなっていない。

早くに父を亡くして以来、元々ファザコン気味だった性格はさらに強くなっていた。

 

初恋の相手は中学校の美術の教師であった。 

四十歳前の妻子ある中年で、インテリ風な優しい人柄が父と似ている気がして好きだった。


もちろん何をするというわけでもなく、他の女友達とバレンタインデーのチョコレートを一緒に買って渡すぐらいの思い出しかない。


その後も、とにかく四十前後で父が亡くなった時の年齢の中年ばかりにしか恋をせず、同年代の男の子達からの愛のメッセージをいつも軽く受け流しては、いくつもの破れたハートの残骸をキューピットに掃除させているのだった。


ある時期から開き直ったひとみは、自分は四十前後の年上の男としか、結婚しないと決めつける事にした。


たとえ、それが不倫であろうとも・・・。


そう、現在もひとみは恋をしているのである。

ひとみは身仕度を終えると鏡の前で背筋を伸ばし、キッと睨んだ後、白い歯をこぼした自分に向かって言った。


「じゃあ、いってきまーす」


春の日差しが庭に差し込み、風が木の葉を揺らした。

植え込みの陰には隣の猫があくびをしながら入ってきて、夜遊びのあと朝寝の場所を物色している。


四月の半ばを過ぎた頃の朝、であった。

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