事故
ライバルの四文字では、少しばかり物足りない。
両校の柔道部は、東京都において覇を争う間柄なのだ。
そんな
さながらこれは――
年度末を控えたこの日に行われるそれは、来年の高校柔道界における未来を占う一戦なのだ。
伝統として、この練習試合は一年ごとに互いのホームを入れ替えており、今年は
本日は土曜……同校においては、休日と定められている日である。
しかしながら、体育館二階は母校柔道部を応援に駆け付けた生徒たちで溢れかえっており……。
ちょっとした、大会のような雰囲気となっていた。
ガノにとっては、完全なアウェーといえる空間……。
そこへあえて足を踏み入れだのは、この三週間ばかりの間で、彼女の心が大きく様変わりしたことを意味していた。
そして、眼下で今まさに
――モギケイスケ。
彼と対戦相手の選手が畳の上で向き合うと、体育館の雰囲気そのものが一変した。
まるで、空気そのものが冷え込んだかのような……。
ピリリとした感覚が、応援に駆けつけた生徒たちすらも支配したのである。
ここは自校の体育館であり、自校の選手を応援しに来たというのに、言葉一つ漏らせない……。
制服姿の生徒たちも、部活を中断してやって来たとおもしき生徒たちも、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
両目をつむって祈るようにしているのは、同じクラスのキタハイジャであるにちがいない。
このような感覚には、覚えがあった。
数年前、父の仕事付き合いに同行して東京を訪れた時……。
観光がてらに観戦した巨人対阪神戦で、メッセンジャー選手が登板した時と同じだ。
真に一流のスポーツ選手というのは、場に現れただけで空気を変えるものなのである。
――モギ君、すごく強いんだ。
柔道というものが分からないガノでも、眼下の光景を見ればそれは理解できた。
まるで、体育館にいる者全ての視線を吸引しているかのよう……。
その姿はさながら、圧倒的な質量を誇る恒星のようであるのだ。
その顔もたたずまいも、Gプラを作っていた時やゲームを遊んでいた時とは別人のようである。
対する対戦相手は、モギに負けず劣らずの体格を誇り、いかにも強そうであったが……。
どうにも、気圧されているようなのが雰囲気から感じられた。
「――始め!」
審判役を務める、
「――――――――――ッ!」
「――――――――――ッ!」
人間というのは、このような声を出すことができるものなのか……。
モギと対戦相手が発したそれは、言葉にならぬ言葉であり、己を鼓舞する叫びであり、相手にぶつける音の塊であった。
これそのものが、一種の技……。
力と技をぶつける前に、まずは気迫でもって飲み込もうとしているのだ。
相手が身構えながらもやや下がり……。
モギの方は、重心をやや低くしながらそれに
そして、やや四隅側に近くなった辺りで、ついに互いが腕を突き交わした。
一瞬の交差を経て、モギは相手の襟首を、相手はモギの左肩を掴む。
果たして、これはどちらに形勢が有利なのか……。
ガノには、判断することができない。
一見したならば、相手の内側に腕を回せたモギが優位に思えるが、いかんせんかけれているのは左手だ。
それに対し、相手は肩とはいえ利き手であろう右手をかけているのである。
じり……じりり……と。
互いの体を傾けた両者が、残る手を相手にかけるべくスキをうかがう。
と……先に動いたのは、モギだ。
やや強引に左足を伸ばし、技というよりは力にモノを言わせて強引に押し倒そうとする。
が、これは不発……。
いかにも足のかかりは浅く、相手は素早くかけられた足を抜いて反撃に出た。
相手が繰り出したのは……巴投げ。
だが、これもモギの体勢が崩れてないところへ強引に放った技であり、ただしがみついた状態で自身が倒れるだけの結果に終わる。
そのまましばし、倒れた相手と腕を取り合う形となったが……。
一旦、モギの方が手を離し、仕切り直しの形となったようだ。
「今の、ちょっと強引じゃないか?」
「強引というか、粘りすぎというか……」
「モギの奴、手首を押さえてるぞ」
応援にかけつけた生徒たちが、ひそひそとそう話す。
確かに、一旦離れて向き合うまでの間……。
モギは右手首の様子を確かめており、今の攻防で少し痛めたのかと思えた。
だが、競技に支障が出るようなものではないらしく、顧問のかけ声に従い試合が再開される。
そこからの攻防は、力と力のぶつかり合いだ。
生粋のインドア女子であるガノにとって、柔道というのは鮮やかに相手を投げ飛ばす競技というイメージがあったが……。
実際に観戦するそれは、柔よく剛を制すという言葉とは程遠い展開を見せている。
しかしながら、よくよく考えればそれも当然のことなのだ。
モギは初めて組んだEGを見て、一目で重心バランスの良さを指摘してみせている。
それはつまり、体勢を崩すことにも崩されることにも、並々ならぬ見識があることを意味していた。
そして、おそらくそれは、対戦相手である
そうなれば、相手の体が崩れた瞬間に鮮やかな投げを披露することなど、夢のまた夢ということになる。
ならば、どうするか……。
今、眼下の二人がそうしているように、相手の体勢が崩れていないのを承知の上で、強引に技を繰り出していくのだ。
どちらがより、力があるか……。
どちらがより、体力があるか……。
どちらがより、根性があるか……。
現代柔道は、その比べ合いの側面が強いのだと思える試合展開であった。
そして、そうやって互いの全てを比べ合った先……。
ようやくにも生じる、針の先で突いたほどわずかなスキに対し、磨き抜いた技が活きるのである。
今回、その技を活かしたのは――モギだ!
相手を完全に持ち上げての、一本背負い。
見事な勝利だと、そう思えたが……。
「――おい!」
「――あれは!?」
倒れたのは、対戦相手だけではなかった。
右腕へしがみついた彼に引っ張られる形で、モギもまた倒れ込んだのである。
それは、どう考えても不自然な決着のつき方……。
いや、不自然なのはそれだけではない。
驚き、ぼう然とした様子で倒れた状態から身を離す相手に対し、モギは脂汗を浮かべながら苦悶の顔でしゃがみ込んでいるのだ。
「痛めてないか!?」
「ひょっとしたら、骨をやってるかもしれないぞ!?」
二階から見守っていた生徒たちが、騒然とし出す。
ふと見れば、キタハイジャが顔面蒼白で柔道場を見下ろしていたが……。
おそらく、自分もまた同じ表情をしているのだと思えた。
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