第16話  先手と心臓

神聖魔法


神の力を用いた魔法。


神聖魔法は神の信者が神の加護を受け、呪文を唱える事によってバルデラ世界のマナを魔法として行使する。


信奉する神によって得手不得手の種類が変わってくるが、おおまかにはどの神聖魔法にも大差はない。


神聖魔法の威力には、神の種別よりも信仰心の深さの方が重要である。


〜分校二回生の魔術クラスの教科書より抜粋〜

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マロンがブリテン神官学校寄宿舎の自分の部屋で不貞腐れて眠りにつく少し前の事だった。



気絶した春風はソフィエの転送魔法によって、この学校の校舎にたどり着いていた。



移動系の魔法は途中で邪魔をされると厄介な事になる場合があるので、魔法転送で移動する距離は短いに越した事はなかった。



はじまりの泉からの距離を考えるとこの学校よりバリス神殿の方が近かったので、デルタは極力バリス神殿に、と言った。



もちろん事前にデルタからバリス神殿の神官たちには内々の話として、月落人が来る事を伝えてあったし受け入れの準備も出来ていた。



ソフィエもはじまりの泉であの魔術師たちを見るまでは月落人をバリス神殿に転送するつもりでいた。



だが、「敵」を目の当たりにしてソフィエは考えを変えた。



はじまりの泉で見たあの魔術師たちの魔法の精度は、そこらにいる魔法使いとは別物だった。



魔法陣のゆらぎの少なさはしっかりと修行を積んだ熟練者を思わせたし、なにより彼らの身のこなしがどこか神官のそれに似ていた。



万が一にでもあの魔術師たちの中にバリス神殿の神官がいたとしたら、敵の元へ月落人を送る事になる。



もちろんそんな事は断じてないはずだった。




神聖魔法は神の加護を受けない者には使う事が出来ない。



ソフィエはバリス神の信者だったので、ソフィエの使う神聖魔法はバリス神の加護によるものだった。



それゆえにバリス神殿にはよく顔を出した。



もうずいぶんと通っていて、神官達の顔も名前も性格も全員知っていたし、仲も良かった。



それでもなお、絶対の信頼が置けなかったソフィエは、春風の転送先を神殿から学校に変更した。



ソフィエはそれほどにデルタを信頼していた。



ソフィエのこの勘は、悲しい事に的中していた。



「敵」に脅迫を受けたバリス神殿の神官が一人寝返っていて、情報が漏れていた。



もしソフィエが春風をバリス神殿に転送していたら、春風の存在は誰にも知られる事なく消えていた。



ともあれ春風はソフィエに助けられ、ブリテン神官学校にたどり着いた。



学校の作りはシンプルで、庭が二つ、建屋が三つだった。



庭とは校庭と中庭であり、校庭は東京ドームで例えるなら四つ分もあった。



この広大な校庭の土の表面にはウルガ山の土を敷き詰めてあった。



ウルガ山の土はマナを豊富に含んでいたので、生徒たちが魔法の実技訓練をする際に役立った。



土のマナが生徒たちの魔法を増幅し、技術不足やマナ不足を補ってくれるのだった。



中庭は校庭ほど広くはないがそれなりの大きさで、そこには二百人が収容できる剣武館が建てられていた。



剣武館は体育館と武道場を合わせたような建物で剣武の授業を行う場所であり、十六角形の神聖な建物だった。



剣武館を除く建屋は後二つ、校舎と寄宿舎で、これらの外寸外観は全く同じで、三階建て長方形の古い木造建築であり、中庭を挟んで平行に建てられていた。



校庭に面した方が校舎であり部屋数は三十で、教室、会議室、医務室などがあった。



校舎と中庭の剣武館を挟んだ場所にあるのが寄宿舎で、ここには学生と教師が暮らす部屋が五十あった。



春風は校舎一階の医務室にいた。



医務室に転送魔法のオレンジ色の光が発生すると



「おいでなすった」



と、回復魔法と医術に熟達した校医のゲンスイが言って肩を回した。



ゲンスイは頭の光具合と小柄な体型がデルタに似ていた。



盲目のデルタと違って目は良いゲンスイだったが、最近老眼鏡をかけ始めた。



医務室には校医ゲンスイの他に、見習い医師トトと教師の魔術師ヨランダンがいた。



トトは若い男の見習い医で、ゲンスイに救われた経験から弟子入りして六年が過ぎた若手医師だった。



月落人を初めて見るトトの面持ちは緊張していた。



一方、精霊魔法の達人でもあるヨランダンは余裕の素振りで、ここでもゲンスイの酒のつまみのチーズをぱくぱくと食べていた。



転送の光を見た三人は椅子から立ち上がり、光る魔法陣を囲んだ。



何もなかった医務室の床に、気絶したままの春風が現れた。



マロンと激突した額に大きなコブが出来ていた。



ゲンスイが春風に駆け寄り瞳孔と脈を確認してから、体中を触診した。



ゲンスイは魔術師という王国資格こそ持たないが、医術と回復魔法に長けた名医だった。



トトも手際よくゲンスイを補助している。



一通り触診を終えると、額にあるおおきなコブを指差しながら



「ふむ。どうやら頭をぶつけて気を失っとるだけのようだ」



と言った。



「すごいタンコブですね。けど大事なさそうでよかったです」



「ま、月から来た割には元気そうだ。今のうちに精密検査をしておこう」



「無事にしても服はこんなにボロボロ。かわいそうに。体を拭いて着替えさせましょう」



三人は春風を拭いて検査するために服を脱がし始めた。



ヨランダンが靴下、トトがジャージのズボンを、ゲンスイがTシャツを脱がせていった。



「な、なんじゃあこりゃあ...」



ゲンスイがそう言うと、三人の目が春風の胸に向いた。



春風の胸に大きな十字傷があった。



その傷が、白く鈍い光を放っていた。



光は脈と連動しているらしく、心臓周辺の血管も脈に合わせて白く光っていた。



「せ、先生、これはいったい...?」



「わからん。こんなのは見たことがない」



「危険なのかしら?」



「いや、状態は安定している。ともかく体をきれいにしたら一旦寝かせよう。その後は校長に相談だ」



三人は春風を裸にして清拭し新しい服に着替えさせ、医務室のベッドに寝かせた。

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