第32話 その後のフライドチキン

「パディちゃんこんにちは」

 午後になってフォードが一人病院にやって来た。厚かましいことに呼ばれてもいないのに勝手に診察室まで入って来る。そして見れば額に冷や汗を流しながら無理な作り笑い。懸命に平静を保とうとしていた。


「こんにちは、フォードさん」

 パディの両脇に居たサーキスとリリカも続いて「こんにちは」と挨拶をした。

「今日は患者さんで来られたんですねえ。座ってください」

「さすがパディちゃん。話が早い。最近、腹が痛いんだ…」


 いつもの暴言を吐く威勢の良さが全く見えない。患者らしい、しおらしい態度だ。

「痛すぎてどこが痛いのかわからない…。痛い場所は動いているような気もする…。ははは…」

 パディに彼の顔は、嫌いな人間に治療を懇願する卑屈な笑顔に見えた。よほど悪いのだろう。


「こほんっ。では、ベッドに寝てください」

「お手柔らかに頼むぞ…」

「…さて。ちょっと押しますね。痛いのはここかな…?」

 パディは腹の中央から肋骨の下辺りを押してみた。結果、右肋骨の下部分をフォードは最も痛がった。


「ぐわーっはっはっ! そ、そこだ! うわーっ、や、やめろーっ!」

(たぶん胆嚢結石たんのうけっせきか…。もう少し強く押してみるか…)

「馬鹿、もうやめろ! か、患部はもうわかってるのに、わ、わざとやっているな⁉」


「僕はヤブ医者だからわかりません…」

「ぐはーっ! こ、これは尿管結石にょうかんけっせきと同じぐらいの痛みだ…。お前、尿管結石がナンバーワンの痛みって嘘を吐いたな…」

「そんなことないですよ…」


「何なんだこれは⁉」

「サーキス、宝箱トレジャーでフォードさんのここを視てさしあげて」

「了解。アハウスリース……テュアルミュールソー・リヴィア・宝箱トレジャー。先生が指を差している所は…ん? 肝臓を視るの?」


「違う。肝臓の下にある臓器、胆嚢たんのうだね。十二指腸じゅうにしちょうから枝分かれしてる管からさらに分岐しているだろ…。大きさは四センチかける八センチの洋梨型。その中を視てくれ」


「…あ! これか! ん…。何だ? …石みたいなのがある…」

「石⁉」

 フォードは歯をガタガタといわせて震えた。最も聞きたくない単語だったらしい。

「小さい石が、一、二、三…? …五つある…。大きさは大きくないけど…」


「ふーむ。やっぱり胆嚢結石ですね。原因はフォードさんの食生活にあります。こほこほっ。フライドチキン食べてます?」

「あ、当たり前だ! ワ、ワシ、一日三食フライドチキンだぞっ! これもただただロギンスを助けたい一心で食べ続けたんだ! …決して、ワ、ワシの欲望からじゃないぞっ!」


「いや食べ過ぎですよ。体に悪いから週一回って前に言ったじゃないですか…」

「い、医者ならもっと過度に脅せ! 注意のやり方が悪い!」

「油っこいものはコレステロールを作るんです。それが石になってしまっている。とにかくフライドチキンを食べ過ぎですね」


「…ハ、ハッハーッ! わ、わかったぞ! お、お前やるな…。嫌いなワシを効率的に痛みつけるためにフライドチキンを大量に食わせたな…」


「いや食べさせてませんよ…。自分で好きに食べてたんでしょ。今フライドチキンが流行ってますよね? スレーゼンの人達ってフライドチキンが大好きになってしまって、みんな食べてますよね。これが続けばいずれは胆嚢結石が蔓延します…」


「す、全てはお前の計画だったんだな…。仕組んだなパディっ! ワシらにフライドチキンを作るようにうまく誘導して、その何とか結石の患者が急増。病院に千客万来、患者さんがやって来るなあ…毎日! そ、それで家賃の支払いも楽々になるわけだ…。天才だよ、お前は! うっ、うわあぁぁ、言ってるそばからも痛い…」


「えっと手術の説明をしますね」

「やはり治るのか⁉ な、治るならよかった! もうお前に任せる! 体の中はお前の好きにしていい! た、ただし、ワシの髪の毛を一本でも抜いてみろ! お前殺すぞっ! …リ、リリカちゃん、は、早くワシを眠らせてくれ! 痛い! 早く!」


「先生…」

 リリカがパディにそれだけ言うと、

「いいよ」

 と返事があった。


「承知しました。ウロバンチェ・オブ・チェイジ……トラスドアース・睡眠スリープ

 苦悶の表情を浮かべていたフォードも呪文で眠ってしまうと嘘のように穏やかな表情になった。

 フォードが隣の手術室へ運ばれると執刀が始まった。三人はマスクをして手術着に着替えている。

「ではこれより、カザニル・フォード氏の手術を始める。胆嚢を開いて石を取る」


     *


 フォードが診察室のベッドで目を覚ました。パディが机に座って何かを書いていた。

「お、おう? もう痛くないぞ。今回も手術成功だな! さすがパディちゃん! 気分爽快だ!」

 フォードはベッドから起きると靴を履いて、机に座るパディの隣の椅子に腰を下ろした。


「手術お疲れ様でした」

 サーキスは思った。

(患者さんはたぶん疲れてないのに先生は毎回、お疲れ様でしたって言うな。不思議)


「フォードさん、お痛みは?」

「ない!」

「えっと、手術の説明しますね。遅れて言いますが、胆嚢とは肝臓かんぞうから流れて来る胆汁たんじゅうを一時保管して食べ物の消化を助ける役割があります。絵を描きました。この紙を見てください。


 この少し大きいのが肝臓。肝臓から伸びてる細い管が胆管たんかん。胆管は十二指腸と繋がってます。で、肝臓と十二指腸の間にあるのが今回痛かった胆嚢たんのうですね。ここを開いて石を丁寧に拾いました」


 パディの国では胆嚢結石の治療は胆嚢を丸ごと切除することが一般的である。ここでは回復呪文があるため、胆嚢を残して石だけを回収することが可能だった。

「そう言われたらすがすがしい気分になった…。お! しかしこれはいいな! またフライドチキン食べ放題だな! やるなパディちゃん! お前は天才お医者さんだ!」


「そう言うと思って絵を書いたんです。今度コレステロールが溜まったら、他に肝臓、胆管にも石ができる可能性があります」

「それも痛いか⁉」

「たぶん同じぐらい」


「…ま、いっか。また悪くなったらパディちゃんに取ってもらおうっと。ワシは帰って今日もフライドチキン食べるぞー。明日も明後日もーっ」

「フォードさん!」

 パディが大声を出した。


「あなたは手術に慣れ過ぎています!」

 パディは火が付いたように怒っている。リリカもサーキスもパディがこんなに形相を変えた顔を見るのは初めてのことだった。


「呪文を使った手術ははっきり言って、患者自身が体を痛めているという自覚がまるでない! いつかフォードさんみたいな考えの人が現れると思ってました! 全く良くない! 乱れた食生活は内臓を確実に痛める! 胆嚢は本当だったら取らないといけないんだ!


 意味がないから黙っておこうと思っていたけど、胆嚢欠損の状態をつくると人体に少なからず影響があるというネガティブな研究データがあるからだ! だから残したんです!


 それにまだまだフォードさんは病気の予備軍であることは変わりない! 例えば僕は計ることはできないけど、きっとあなたは尿酸値が高い! たぶんこのままでは痛風になることでしょう! 強烈な痛みに襲われます! そうなったら僕にはどうすることもできない!


 糖尿になる可能性もある! そうなったら最悪、足の切断ですよ! 呪文なんかじゃどうにもならない! 食生活を改めてください! 僕はフォードさんに長生きして欲しいんだっ!」


 パディは握りこぶしを机に叩きつけ、患者のフォードを睨みつけた。フォードの方は弱々しく背を曲げ、言葉も出なかった。サーキス達も黙り込んでいるとやがて、

「帰る」


 と扉に向かってフォードは歩き出した。扉の前まで彼が来ると、

「あっ」

 と一言声を出して、

「リリカちゃん、ちょっとちょっと」


 手招きしてリリカを呼び寄せる。そして小声で言った。

「今回の手術代は家賃一か月分と相殺してやる。後でパディちゃんに言っといて」

「はい!」


 リリカは笑顔で応えた。

(パディ先生もフォードさんもお互いのことが好きなのにね。何で素直にならないんだろ)


     *


 その後、街ではとある標語を散見するようになった。

『コレステロールに気を付けよう! 油っこい物やフライドチキン食べ過ぎ注意!』

 リリカが考えたこの標語は本当に街の至る所で見られて、ちょっとしたブームになった。それを前にした街の人々は口々に噂をした。


「おいおい。不動産屋のハゲ社長、フライドチキンの食べ過ぎで手術したんだってよ」

「ふえー。最悪。フォードの具合って今どうよ?」

「見た奴の話じゃピンピンしてたらしいけど、どうだろう…。あと油モノって髪の毛に影響するらしいぜ」


「おー、それは納得! ちょっと控えるか」

 コレステロールという言葉もスレーゼンの人間には理解不能ではあったが標語の効果は十分だった。結果、ロギンスが売るフライドチキンは売上が半分以下にまで落ちることとなった。


 フライドチキン屋のロギンスは気を落とすことなくこう語った。白髪頭の彼は疲労の色が隠せない様子だった。


「よかったですよ、フォードさん。店の行列はいつまで経っても途切れないし、人をいくら雇っても従業員は足りない。肉の下処理、油揚げなんか永久に終わりが来ないって思ってました。標語のおかげでだいぶのんびりできるようになりました。危うく過労死するところでしたよ。はっはっはっはっ!」

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