第19話 ダリア・アリッサム(1)
「お変わりなく何よりです。旦那さんによろしくお伝えください」
昼過ぎに最後の患者の診察が終わり、時間が余ったと考えたリリカはパディに言った。
「先生! 今日はビラ配りに行って来ますね!」
「うん、ありがとう! 気を付けてね!」
「はい! では少し準備してきますね」
リリカがパタパタと足音を立てて部屋を出ていくと、その場に居たサーキスが怪訝な顔で言った。
「ビラ配りって、どうかと思うぜ」
パディは予想通りという表情で眉も動かさずに返事をする。
「ふーん。どういうことかな? 説明を求める」
「だってよ、病院とか寺院とか在って然るべきのものであって、こちら側から存在をアピールするもんじゃないだろ? 困った時に客の方が探して行くもんだ。
それを『さあ、怪我はどこですか? 病気も治しますよ』ってこっちから言ってたら責任は大きくなる。客が病院に来るのは勝手だろうけど、こちらが客を呼んでおいて、『やっぱり治療できません』なんて言ってたら罵詈雑言を浴びるのは確実だぜ!」
(やっぱりサーキスは顔に似合わず保守的な人間だな)
「ふむふむ。君が言いたいのは、患者が患者を呼ぶまで待て。無理をしないで自然体でいた方が丁寧で健全な経営ができる。この先、二年後、三年後を考えたらそれの方がいいと」
「そうだぜ!」
「甘いな。ここももう五年以上になるが、カスケード寺院のせいで来院者数はすこぶる悪い! そもそもここで治療を受けた患者は他人へ口外しない! …先のことを見るのは立派だよ。しかし、うちは毎月の家賃すら四苦八苦する始末だ! 毎回綱渡りだぞ! 来年の心配より来月の家賃! 来月の家賃より今月の家賃だっ!」
「あー、悪かったぜ。参ったぜ。もう言わない」
「ちょっと待って。病院を辞めたくなったりしてない? 肩を揉んであげようか?」
チラシを革袋に入れたリリカが診察室に戻って来た。看護師の服装はそのままだ。
「準備できました! 行って来ますね!」
「はい、気を付けて! それでね、サーキス…」
パディが小声で言った。
「お願いだ。リリカ君を見ていてくれないか? ビラ配りは手伝わなくていいから…。心配なんだ」
「ふーん。暇だし、いいよ」
「ありがとう」
病院の外へ出るとサーキスはゆっくりと歩くリリカの後を追った。リリカの方はサーキスが後ろから付いて来るのはわかっていたようだが、振り返りもしないで通りを歩いた。
人通りが特に多い、池の周りに着くとリリカはベンチに革袋を置いて、広告のビラを配り始めた。
「ライス総合外科病院でーす! よろしくお願いしまーす!」
サーキスは木陰に座って遠巻きから見ていたが、チラシを受け取る者は思ったより少なかった。
「よろしくお願いいたしまーす!」
晴天で日差しも強く、リリカは額に汗を流しながらビラを配っていた。一人、チラシを受け取ったと思えば、それを読みながら歩き、興味が湧かなかったのかサーキスの近くまで来るとそこでチラシを投げ捨てた。
(うぉーーー⁉ 捨てた⁉ あいつがあんなに一生懸命やってるんだぞ⁉)
サーキスはそれを読んでみた。
『お腹や頭、色々な痛みお調べします
迅速な治療を心掛けております
ご家族、お友達に体調の悪い方はおられませんか
最新の治療法をご提供します
ライス総合外科病院
住所 ガルシャ王国スレーゼン市スレーゼン区二番…』
「ちょっと謙虚なチラシだぜ。もっと何でも治すよとか書いてるかと思ったぜ。だけど、いまいち響かないっていうか…、もう少し工夫が必要なんじゃないのか…」
彼がそんな感想を言っていると、向こうから怒声が聞こえた。
「このっ、背教者がっ! 人を切って金儲けしている、子悪党めが!」
見ればリリカが年寄りにからまれていた。
「カスケード様はお前達がやっていることを絶対に認めないぞ! 異教徒ども!」
「ははは…。異教徒です。すみません…」
「スレーゼンから今すぐ出ていけ! 邪教を広めるな!」
リリカがガタガタと肩を震わせていると、サーキスが老人の後ろから大声を出した。
「おい、じいさん! セリーン様はそんなことは言ってないぜ! カスケードの教えと全然違うって思うぜ、俺はな!」
「な、何だお前は…。…セリーン様のシャツを着た奴が何を言っている…」
サーキスは指をバキバキと鳴らして顔が年寄りに当たろうとするぐらい頭を近づけた。
「職場の仲間を悪く言う奴は許さねえっ! おい、じじいっ! うるぁぁああっ!」
声と同時に吹き飛んだサーキスの唾が老人の顔に付着する。
「うっ…」
年寄りは黙り込んで帰って行った。ほっとした表情になるとリリカが注意した。
「ちょっと、乱暴はやめてよ…。うちはただでさえ評判が悪いのにあんたのせいでもっと悪名が高くなるわ…。でも、ありがとう」
「ふんっ。俺も手伝うぜ。チラシを俺にもよこせ」
サーキスもリリカの隣でビラを配りながら、やる気のない声で言った。
「ライス病院でーす。しゃーっす」
「もう、ちょっとちゃんとしてよ!」
「はいはい。それとお前もう、一人でビラを配るんじゃないぜ。やる時は俺に言え。手伝ってやる」
「ありがとう!」
(このことファナに話してやろう!)
二人がチラシ配りを続けていると後ろから声がした。
「あんた達の病院って妊娠とかわかる?」
サーキス達が振り返るとそこには黒髪の女性が立っていた。髪に合わせて黒いドレスのようなワンピース、道行く男達全員が振り返るほどの突き抜けた顔立ち、黒バラのように美しい女性だった。
「もちろんです! 簡単な検査ですぐにわかりますよ!」
「検査って、俺の…? えっと、ここでじゅも…」
女性が苦手なサーキスは美人には特に狼狽した。変なことを口走っているとリリカから肘打ちを腹にもらった。
「今からお時間大丈夫ですか? よかったら病院までご一緒しましょう!」
リリカが目一杯の営業スマイルで彼女に言うと、
「いいよ。暇だし」
と素っ気なく返事した。
(ちぇーっ。何だよ…)
リリカと黒いワンピースの女が並んで歩き、二人のすぐ後をサーキスが追った。
「私はライス総合外科病院のリリカです! あなたのお名前は?」
「これって何? 雑談? 何か喋って歩かないといけないわけ?」
「問診です! 病院に着くまでに色々聞いておきたいのです! あと年齢、職業、住所」
「あたしはダリア・アリッサム。年は二十二歳。仕事は工場で折り機を使って布を作ってる…。家はサン・パラソルにある」
「サン・パラソルってどこ?」
サーキスが後ろからそう訊くとリリカが怒鳴った。
「ガルシャ王国の中央の方よ! こっからずっと東! サーキスは口出ししないで! …えっと、サン・パラソルってコロシアムが有名ですね! 私も一度見てみたいな! ダリアさんは遠くから来てますね。観光ですか?」
「そうよ。スレーゼンは産業が発達してて街が垢ぬけたっていうから来てみたんだよ。一通りこの辺りを見て廻ったけど、そんなに面白い所じゃないね。確かに珍しい食べ物は多かった。でも、スレーゼンは遊ぶ所と言うより、働く所って感じよね。
街をつくっている人間の考えが透けて見えるわ。たぶん生真面目なんだろうね。あたしがこう感じるのはサン・パラソルにコロシアムみたいな刺激的な施設があるからかしらね」
(あたしがよそに行かないから盲点だった! これはフォードさんに報告しておかないと!)
「貴重なご意見ありがとうございます! それから、当院では最新の医療で安全にお子さんを産むことができるんですよ! ちょっと遠いから出産当日にはここに来れないかもしれないから、ダリアさんがこれから行くサン・パラソルの病院、または助産院に連絡を送ってアドバイスなどもできますよ!」
出産には母子の生命に関わることが少なくないが、産後の母体が死亡する最もな原因は
パディやリリカはそれを専売特許にするつもりは全くなかった。世の中に広まって欲しいことと思っていた。
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