第144話

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「失礼します」大火傷を負った日から、遂に三か月が経った。キヨラは未だ目覚めないトオルの病室へと入ると、彼女の隣の丸椅子に腰を下ろした。既に集中治療室からは移動し、普通の病室になった今も、トオルは一度も目覚めてはいない。骨と肉しかないトオルの姿に、キヨラは胸が痛むのを抑えられなかった。「……トオルちゃん」持って来た本も、ノートも。今日も意味を為さないらしい。キヨラはランドセルを下ろすと、静かにトオルの頬を撫でた。……まるでお人形さんみたい。そんな言葉を、何度飲み込んだだろうか。口にしてしまえば本当になってしまうかもしれないという恐怖が、キヨラの心を巣くっていた。


キヨラはしばらくひとり言のようにトオルに自分の話を聞かせると、病室を後にした。学校が終わってから来るキヨラは、面会時間が限られている。いつもの看護師とすれ違いながら、キヨラは家に帰るために帰路に着いた。一人きりの帰り道は、どこか寂しく、どうしても隣が気になってしまう。キヨラを気遣ってクラスメイトが一緒に帰ろうと声を掛けてくれるが、キヨラはそれを断っていた。——隣に居るのは、トオルでないとだめなのだと、漠然と思っていたから。「……怪我、よくなってたな」徐々に取れ始めた包帯の量を見て、キヨラはぼんやりとそう思う。火傷ももう少しで落ち着くのだと、医者は言っていた。トオルが目覚めて痛みを感じないのならば、それでいい、何て最近は思うようになっている。心配なのはただ一つ。“はれあけ”の候補者が、寝たきりのトオルを襲わないかどうか。




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「病院で争いごとをする気はない」「!」突如かけられた声に、キヨラは咄嗟に飛び退く。反射的にドライヤーガンを構えれば、自動的にキヨラの姿がバトル用コスチュームへと変化した。最近、襲撃が多かったので変更してもらったのだ。キヨラはgunを構えたまま、声を掛けてきた主を睨みつけた。——本を持った、細身の男。上から下まで真っ黒な彼は、キヨラよりも少し上で、一見普通の中学生にしか見えない。しかし、足元から伸びる影が九つの羽を広げているのを見て、キヨラは彼が“妄執”の類である事を理解した。「何か用かしら」気丈に話しかけたキヨラに、男——九龍は本から視線を上げた。真っ黒で、光のない瞳にキヨラは冷や汗をかいた。九龍はゆっくりと口を開くと、開いた本の上に手を置いた。「ひいき。ちふん。出ておいで」静かな声と共に本の中から出てきた人影に、キヨラは驚く。操縦ではなく、意思を持った術を初めて見たからだ。


「まずは俺からだぜ!」「ッ——!」奇襲のように襲い掛かって来る影が、キヨラを飲み込む。すると、途端にキヨラの腰が痛みを発した。「なに、を、!」「俺は九人の中の長男坊のひいき。敵の急所を壊して、主を守る者だ。人間は腰が動かないと何もできんからなァ」へへへ、とあくどい笑みを浮かべるひいき。痛みで立っていられなくなったキヨラは、強く眉を顰めた。「兄さんは相変わらずちゃっちいなぁ」「あ?」ふと、ひいきを遮るようにして割り込んできたのは、もう一人の影。「僕は次男坊、ちふん。自分よりも年下の弟たちをこよなく愛する者さ」「お前の方が大したことないだろ」「うるさいなぁ」キヨラを放置して交わされる、言葉の嵐。キヨラはその二人から感じる兄弟への愛が、自分の中に入ってきている事を感じ取った。ぞっとするほど大きな愛情に、キヨラは何もいう事が出来ないまま、その場で静かに成り行きを見守っていた。きゃんきゃんと兄弟喧嘩をする二人に痺れを切らせたのは、術者の少年だった。「ああもう。お前たちは騒々しいんだから」「そんな事言うなよ!」「そうだよ!」「わかったから。戻れ」少年の声に、彼らが再び影に飲み込まれていく。その様子を見つつ、キヨラはドライヤーガンを構えた。いつでも打てるようにとしているのだが、少年が再び本を開いたことでそれは止まってしまう。

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