第二十五話 霊獣を鎮める者
起き上がろうとすると、雪蓉に咎められた。
「まだ傷は完全に塞がっていなんだから、動いては駄目よ」
大人しく指示に従い、頭を巡らせる。
記憶を泥沼の奥から引っ張り出すように、少し時間をかけて思い出した。思い出したくない記憶も引っ張り出してしまい、気持ちが沈んだ。
(そうだ、俺は母に刺されたのだった……)
そこまで恨まれているとは思わなかった。確かに兄上を殺した神龍を体に宿している。神龍と劉赫が同じに見えるのは仕方ないとはいえ……。
劉赫の様子が明らかに暗くなっていることに気が付いた雪蓉は、慌てて劉赫が眠り込んでから分かった真実を告げる。
「母は、俺を助けた?」
信じられないとでも言いたげに目を丸める劉赫に、雪蓉は静かに頷く。
「劉赫を守るために、咄嗟に左手を犠牲にしたから、もう左手は動かないらしいんだけど……」
劉赫は、刺された自身の胸に手を当てる。もう傷は塞がっているので軽傷だったようだ。母親の左手の犠牲の上で、生き延びた命なのだと知る。
「そこまでして、どうして俺を守ったのだろう……」
ボソリと呟いた劉赫の問いに、雪蓉は怒ったように言い返す。
「そんなの、劉赫が大事だからに決まっているじゃない! 華延様はずっと、劉赫の顔を見て怯えてしまったことに心を痛めていたのよ」
突然、雪蓉が怒り出したことも、劉赫の母が自分を大事に思ってくれていたことも驚いたが、それよりもまず不可解なことがあった。
「どうして雪蓉がそのことを知っている」
「え? あ……」
雪蓉はしまったという顔をした。劉赫に内緒で太麗宮に行き、華延に劉赫の過去のことを聞いたと知ったら怒るかもしれない。
無断で人の過去を聞いたことに、後ろめたさを感じていた雪蓉は、しどろもどろに説明する。
「ほら、同じ後宮内にいるから、偶然会うことがあったのよ」
後宮内とはいっても、とんでもなく広い。しかも雪蓉の慌てた様子。これは、俺に内緒でこっそり母に会いに行ったなと劉赫は確信した。
「まあ、いい。それより、饕餮はどうなった?」
「ああ、饕餮ならもう仙婆が山に連れて行ったわよ。結界を張って、起きたら仙術を施した料理を食べさせてまた眠らせて……。
饕餮を荷台に乗せて運んだから、少し時間がかったらしいけど、無事に洞窟に戻ったって」
「それは一安心だな」
劉赫の顔に安堵の笑みが浮かんだので、雪蓉も自然と笑顔になる。
劉赫の笑った顔を見ると、雪蓉も嬉しくなる。劉赫が生きていて良かったと心から思った。
「あと、今回と過去の元凶の人物についてなんだけど……」
雪蓉は、麗影のことについても語り出した。仙が推測した話だと、十四年前の凄惨な事件と、今回の驩兜や饕餮の解放、さらに衛兵や華延の仙術など、裏で操っていた人物は共通するだろうということ。
そして、そんなことができるのは仙だけであり、麗影の住む月麗宮から遺体が発見されたことを説明した。
「状況を考えて、犯人は麗影様で間違いないと思う。麗影様は仙だったのかしら?」
「仙になってしまったんだろうな。仙の強大な力に魅せられたのかもしれない」
「仙は、四凶などの霊獣や神霊を鎮める守り主ではないの? 仙って一体なんなの?」
劉赫は全ての真実を告げるべきか逡巡した。
考えて、もう隠し通すことはできないと思った。なにしろ雪蓉は仙術を使えるようになったのだから。
「山奥で暮らし修行を極めた者だけが仙術を扱えるようになるといわれている。
それはある意味では正しく、一方では言葉足らずだ。
仙は肉体を超越した力を持つ。それはすなわち人ならざる者。極めた一部の力にのみ強大な力を発揮できる。
饕餮を治める仙は、饕餮が無限の食欲を持つことから、食に特化した力を持つことができる。
麗影様はおそらく、毒花に非常に強い関心を寄せていたから、毒実に仙術をかけ人を操る力を得たのだろう。
強い思いに呼応し、仙の力を得ることができるが、強い思いとは憎しみや執着もその類に入る。
負の感情からも仙になることができる。仙は魔物に近しい存在なんだ」
「魔物……」
「魔物が山に住んでいるとなれば、人々は恐れて近寄らなくなる。
だから、仙のいいところだけを伝えて、敬う存在としたんだ。
四凶を鎮めることは仙にしかできない。だから仙を生かしておく代わりに、鎮めの役割を与えた」
劉赫の言葉を聞いていると、本来は排除すべき存在であると思っているのが伝わってきた。
仙は、魔物……。四凶と同じような分類なのだ。
雪蓉は聞いているうちに、だんだんと落ち込んでいった。自分は、魔物になってしまったのか……。
「一時、仙がとても増えた時代があった。四凶や四罪、四霊に代表される霊獣……。
彼らを鎮める仙は、その能力がたまたま霊獣を鎮めるのに適していたから生かされた。
その他の仙は、その時代の皇帝によって全滅させた。
だが、饕餮を鎮める仙だけは、元から饕餮を鎮めるために仙となった稀有な存在だ。
それが雪蓉の良く知る仙だ。他の仙とは、そもそもの成り立ちが違うから、雪蓉は仙に憧れを抱いたんだろう。
他の仙を見れば、仙になりたいとは思わなかったかもしれない」
劉赫はとても悔しそうに言った。雪蓉が仙になってしまったことを嘆いているのだろう。
そんな劉赫を見て、雪蓉は妙に冷静になった。
なってしまったものは仕方ない。魔物だろうがなんだろうが、あの場で仙術が使えなければ、劉赫も雪蓉も生きていなかったのだ。
「仙は、不老不死って本当?」
これは巷で聞いた噂話の一つである。
仙が馬よりも早い速度で山を駆け上がる姿を見ただとか、膝の屈伸百回は余裕だとかいう真偽不明だった話の中で、仙は不老不死という風聞があった。
前は真偽不明だったが、今ではそれが正しいと分かる。であれば、不老不死という噂も真実味が増す。
「それも、ある意味では正しく、一方では言葉足らずだ。
確かに饕餮を鎮める仙は、おそらく現在三百歳くらいだと思う。
だがそれは、仙の力を温存しているからだ。仙の力を使えば使うほど寿命は縮む。
仙は滅多に料理をしないだろう? 仙は食に特化した能力だから、料理を作ると力が減るんだ。
だから、仙は女巫を必要とする。霊獣を鎮める他の仙にも女巫がいるのはそのためだ」
「三百歳⁉ いやそこで驚く前に、料理したら寿命が減るの⁉ ということは私、料理作れないってこと⁉」
雪蓉は、仙が魔物という事実よりも、料理が作れないということの方が衝撃だった。
料理を作ることは雪蓉の生きがいであり喜びだ。だからこそ、仙になりたかったのに本末転倒とはこのことだ。
「でもまあ、作っちゃいけないわけじゃないのよね。ただ寿命が減るだけで。別に三百年も生きたいわけじゃないから、いいか……」
ぶつぶつと呟く雪蓉を前に、劉赫は別のことを考えていた。
雪蓉が仙となってしまった以上、どうするか。以前とまったく変わってない様子なので、そこは安心するが、これからどうなっていくのか分からない。
どうすれば雪蓉を守っていけるのか、劉赫は思案に暮れた。
一通りの説明を終えた雪蓉は、ようやく侍医に劉赫が目覚めたことを告げに行った。劉赫が目覚めたことに、宮廷中が喜びに溢れる。
劉赫が目覚めてすぐに侍医を呼びに行くべきだったかしらと雪蓉は思ったが、劉赫の元気な姿を見ようと侍医のみならず、官僚たちがひっきりなしに訪れるので、雪蓉は後宮に戻らざるを得ない状況となった。
先に説明しておいて良かったと雪蓉は思った。でなければ、劉赫と話しをすることもできなかった。
劉赫が驚異的な回復力を見せ、立ち上がり普段の生活に支障がなくなったのは、目覚めてから数日後のことだった。
宮廷の混乱も治まり、通常通りの生活になった頃、まるでそれを見計らったかのように、華延が動いた。
「華延様が後宮を出る?」
劉赫と一緒に朝餉を共にしていた雪蓉は、劉赫が告げた言葉をそのまま口にした。
「ああ、もう後宮にいる必要がなくなったからと……」
「それってどういうこと?」
「分からん。俺に聞くな」
劉赫は雪蓉から目を逸らし、むつけるように言った。
(いや、あんたら、もう誤解はとけたんだから、母子(おやこ)で話し合おうよ)
呆れて言葉も出ない。十四年間、顔を合わせなかったから、今さら面と向かって話すことは気恥ずかしいのか。
それにしたって、一度くらいは会ってもいいと思う。華延が後宮を出ることを決意したのならなおさら……。
(仕方ない、私が一肌脱ぐか)
劉赫の性格上、素直になれないのだろう。
会いたいと思っていても、自分から言い出すのは恥ずかしいのかもしれない。
華延の方から皇帝に拝謁を願い出るのは、よほどのことがない限りできないだろう。
仙術に冒されていたとはいえ、皇帝を刺してしまったことは事実。何のお咎めもないならば、自ら身を引こうと思っても不思議ではない。
かくして、雪蓉のお膳立てで二人が会うことになったのは、華延が後宮を出る日のことだった。
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