第88話

 成り行きで王都及び直轄領に於ける兌換だかん紙幣の導入、厳格な製造工程の管理にたずさわることが決まり、昨夜から学院生との二足の草鞋わらじ懸念けねんしていれば、目の前に焼き菓子が差し出される。


「大抵の悩みごとなんて、甘い物を口に入れると忘れますよ、若君わかぎみ

「一時的なものに過ぎないがな……」


「ん~、食べないなら、私がもらうけど?」

「待て… 何故、おごった挙句あげく、俺の分まで献上せねばならん」


 そそくさと円卓越しに伸ばされたリィナのフォークを自身の物で払い退け、元修道女シスターの店主が営む “女王蜂の巣レジナアプス ニードゥス” の代名詞でもあるワッフルに突き刺す。


 輸入品の砂糖や鶏卵、発酵させたパン屑、牛乳などを小麦粉に混ぜて練り上げ、二枚の鉄板で挟み焼いた生地にかじり付くと、優しい味が口腔こうくうにとめどなく広がった。


「確かに気はまぎれる、染みたバターとメープルシロップの味が絶妙だ」

「ふふっ、領主家の御贔屓ごひいきで新鮮な食材の仕入れには困らないのです」


「だからと言って無性にれば売値が高くなり、むしろ需要を減らすのでは?」


 もうすっかり、母と妹の御用達になっているため、やや高級志向にかぶれた印象はぬぐえないと指摘するも、ほがらかな笑顔で切り返される。


「そこは御客さんの懐具合ふところぐあいに合わせていますから、大丈夫ですよ」


 くるりと身をひるがえして、店の奥へ引っ込んだ女店主が茶表紙の品書きを手に戻り、こちらに手渡してくれたので目を通すと… いつも見せられているの品書きよりも、随分と良心的な価格帯の商品が並んでいた。


 異なる客層を意識した対応は商売の基本であるが、実際のところ良いかもにされていたと言えなくもない。


 勿論もちろん、常連客のリィナが知らない訳もなし、責めるように無言のまま見つめれば、そっと琥珀色の瞳をらされた。


「少しくらい、手加減しておごらせろ」

「うぐっ、だってさ、美味しいもの食べたいじゃない」


 あざと可愛い仕草しぐさで情状酌量を求めてくる彼女にほだされないよう、眉宇を引き締めながらも本日の用件を済ませるべく、9×19㎜ パラベラム弾の複製物が装填されたマガジンを円卓に載せる。


 それを認めた相手は瞠目どうもくして、感嘆の声を漏らした。


「凄っ、もうできたの!?」

「帰路の手慰みにたしなんでいたからな、一発あたり小金貨一枚、大事に扱えよ」


「え゛、なに、その高級な消耗品……」

「多分、火薬の湿気しけてない発掘物と同等か、まだ安いはずだ」

 

 驚くほど精緻な金属加工が求められる都合上、マナを魔力へえて干渉させれば自在に成型できる私物のミスリル銀も使ったが、何とか原物の価格以下に収めている。


 なお、複製弾の薬室には華国伝来の方法で調合した火薬が詰まっており、着火薬は硝酸液に水銀を溶かし込み、酒精エタノールも足して精製する雷酸水銀を採用した。


「商品化して売れないことは… あるな」

「うん、先史文明の自動式拳銃を持ってる人、極少数だからね」


 貴重な逸品いっぴんが手に入って嬉しいのか、ほくほく顔で弾倉を仕舞うリィナの言葉は事実であるものの、銃撃より身を護る対策は講じておいた方がいい。

 

 帝国に数体だけ現存する装甲騎兵ヒトガタが扱う短機関銃サブマシンガン擲弾筒バズーカなどの遺物も踏まえて、一枚一枚が強固な多層型魔法障壁の研究に着手しようと、二枚目のワッフルを食べつつ決心した。

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