第4話 春原大晴

「え……? 俺のこと?」


 春原さんが意外そうに聞き返す。

 昨日すっかり話し込んでしまったものの、もう話すことがなくなったわけじゃない。なんせ、あの手この手で連日しつこく嫌がらせをされているので、不愉快な話題には事欠かない。

 だけど、話して一時的に溜飲が下がったところで意味がない。それでも聞いて欲しいという矛盾した欲求はどうしても捨てきれないし、それを許してくれる春原さんに甘えたい気持ちもある。

 ただ……それよりも、自殺が頻発する樹海を一人で毎日徘徊するお人好しで変わった人の話を聞いて気を紛らわせたかったし、単純に聞いてみたいとも思った。


「なんでもいいです。学生の時は何をしてたとか、なんでカウンセラーになったとか、そんなことで……」

「そっか……。じゃあ、面白くはないと思うけど……」


 そうして春原さんは、自身の生い立ちを語ってくれた。

 高校二年生の頃、私と同じようにいじめられていたこと。誰にも助けを求められず、ひきこもりになって毎日を死んだように過ごしていたこと。心配した両親の勧めで受けたカウンセリングで、何度も何度も親身になって悩みを聞いてくれたカウンセラーの人に心を動かされたこと。ついに一念発起して独学で猛勉強した結果、なんとか高卒認定試験に合格できたこと。いじめられている子供達の力になりたくて心理学を学び、大学院を出て六年前にスクールカウンセラーになり、そして今に至ること……――。



「……春原さんって、今年で三十二歳なんですね。へぇ~……若く見えますね」


 話が終わり、訪れた沈黙を破った第一声はこんな見当違いな感想だった。

 言い訳になるが、私はこの一年近く家族以外とまともに会話をしていない。そんな貧弱なコミュニケーション能力と貧相な語彙力で漫画のようなサクセスストーリーを聞いたら、もう「すごい」という言葉しか出てこないのは致し方ない。しかも、残念ながら話の中盤以降その伝家の宝刀を十回以上連発していたので、さすがに最後の方では使えなくなってしまった。


「ははは、ありがとう。まあ、そんなわけで……頑張った甲斐があって、ようやく念願の夢が叶ったわけなんだけど…………」

「……?」


 不意に、それまでは穏やかで滑らかだった声が調子を落とし、ぱたりと途絶えた。隣で俯く顔をちらりと覗き込むと、絶望に彩られた暗い眼差しで辛そうに眉根を寄せていた。


「あ、あの……春原さん……?」

「……ああ、ごめん、なんでもないよ。ところで、俺ばっかり話してたけど、少しは気分転換になったかな?」

「え? あ……はい……」


 ふっと笑顔に戻った春原さんにそう聞かれて、今度は私が視線を落とした。

 春原さんのおかげで嫌な気分をちょっとだけ忘れられた、とは思う。だけど、それ以上に私と似た境遇から立ち上がった春原さんに対する劣等感や、私も頑張らないとという重圧、私には到底真似できないという諦念が、心に深く突き刺さっていた。


「えっと、その……今日も、ありがとうございました。そろそろ帰りますね、私」

「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。またいつでも来てね」


 なんだか自分がすごく情けなくなって、私は春原さんから目を背けたまま逃げるように樹海を後にした。

 私は一体、何をしているのだろう。

 死にたいと思いながら、知り合って間もない人に救いを求めて縋りつく。殺してやりたいと思いながら、ただ震えて耐え忍んで死にたくなる。両親に迷惑をかけたくないと思いながら、今すぐ死んで楽になりたい。

 昨日までは、このごちゃごちゃした感情に振り回されて、疲れて、まともな思考ができなくなっていたけど……春原さんと話して、自分の現状を多少は客観的に見られるようになった今、このままじゃだめだと強く感じる。感じるものの……分からない。いくら悩んでも、迷っても、全く分からない。

 私はこれから、どうすればいいのだろう……。

 こんな私に、何ができるのだろう……。


 その夜は、ようやく一歩前進できたような、やっぱり足踏みしたままのような、むしろ後退してしまったような、そんな漠然としたもどかしさと葛藤で、ろくに寝付けなかった。

 そんな徒労の代償として頭には鈍い痛みが走り、いつにも増して体が重い最悪な状態で迎えた、翌朝。

 まるで自分自身を見ているような沈痛な面持ちをして、なぜか私よりも遅れて教室に入って来たクズ教師から、思いもよらないニュースがもたらされた――。

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