第114話

 NHKの連続テレビ小説。遥か昔から存続する古式ゆかしいドラマ番組である。主人公は皆、努力向上が大好物、人付き合いが得意で、恩人友人あまた候、である。天下のNHKであるので、世の最大公約数の視聴者が不快感を抱きにくい設定になっているのだろう。この傾向は、週刊少年漫画雑誌の主人公などにも顕著に見られる。


 とはいえ、近年では社会も複雑化し、人々の心の闇は明るみに曝され、病んでいることにすら価値が見いだされるようになり、コミュニケーションを不得手とする主人公も増えた。


 だが、そうした自称コミュ障であっても、主人公である以上は人と関わらざるを得ない。よって、お節介な隣人だとか人付き合いの得意なクラスメイトだとか物語の都合上必然な偶然によって出逢った異性だとか、そういうものが周囲を取り巻き、主人公は真のボッチを軽々と脱却する。でなければ、話が進まない。


 翻って私は、自他ともに認める独り者である。と言っておきながら認めてくれる"他"が身近にいないくらいだ。仮にWBC(World Botch Cup、botchは日本語の独りぼっちのボッチ)が開催されたら私は日本代表として出席し全世界の頂点に君臨するだろう。しかし、それで困ったことは無い。実に気楽でよろしい。


 そう思っていたのだが。私は今、独りであることの無力感に捕らわれ、箸を持つ手も重く感じられている。


 というか、重いのは腹である。


 私は今、食卓にて熱々の土鍋を前にしんねりとしている。寒い季節は鍋に限る。いや、汁物や麺類も美味しいので鍋のみに限定はしたくないのだが、鍋は旨い。


 特に、我が家の鍋は、身の丈四尺の飼いネコであるメニョが魂込めて作ってくれる。長いままの糸こんにゃくとか、皮つきぶつ切りの根菜とか、ネコ爪で引き裂かれた葉物野菜とか、原形をとどめぬ豆腐とか、それでいてネギが無いとか、ネコ毛がちらほら浮いてるとか、メニョにしか作り得ぬ妙なる味わいが私を病みつきにするものである。メニョ鍋無くしては冬は越せぬ、いや、冬を越した後の夏にHPの貯蔵が不足して息絶える。


 それは良いとして、問題は締めである。鍋と言ったら締めだろう。私は炭水化物が大好きなのだ。野菜と肉魚だけ食べて、炭水化物を食べぬという鍋では気持ちが消化不良を起こす。のだが、加齢と共に身体諸器官の機能の低下著しく、消化能力も衰えている。つまり、たくさん食べられなくなってきた。するとどうなるか。鍋の締めが胃に入らないのである。


 本日の鍋の汁は、香辛料の利いた味噌味。何となくラーメンっぽい味だ。となると、ラーメンをぶち込みたくなる。素麺とかうどんではない。米もちょっと違う。だが、しかし、インスタントラーメンを一袋ぶちまけたら、間違いなく食べきれない。うう、こんな時に、共に鍋をつつく同士がいてくれたら。


「メニョが一緒に鍋を食えたら良いのになあ。」


 私はストーブの脇でとろけているメニョを眺めた。メニョは名前を呼ばれて、律儀に顔を上げてこちらを見る。


「ふあー」

「メニョは鍋食えんもんなあ。」


ヒトが美味しいと思うような濃い塩分はネコには禁忌である。その上、メニョは己のネコ缶とカリカリをたらふく食べ、お腹いっぱいである。たとえヒト並みに塩分を摂取できる身体だとしても、今日この場で参戦はできないだろう。


 私はほこほこと湯気を上げ続ける土鍋を睨んで、困り果てる。困っている間にも、既に胃に納めた各種食材が膨れてきて、ますます炭水化物用のスペースが圧迫される。


「そうだ、分かったぞ。」

「にゃ」

「メニョの作るお鍋は、いささか具が多いのだ。だからおなか一杯になってしまうのだ。」

「ぬー」


 メニョに責任転嫁してみたら、メニョが文句を言った。


「ふあーう」


何と言っているのかは分からないが、長年連れ添っているのだから察しは付く。多分、メニョごはんが多すぎることは無いと言いたいのだ。確かに、メニョごはんを毎日腹いっぱい頂いている私だが、時に食べきれずお残しし、おかげで万年痩せ気味である。シェフとしてはもっと食わせたい気持ちにもなるだろう。


 いや、シェフというよりは、大昔のおふくろさんやお節介なご近所さんか。人の顔を見るたびに痩せたんじゃないのと心配し、ちゃんと食っているかと詰問し、これも食えあれも食えと迫り、100%食べ残す量の食事を用意するという、アレだ。戦前戦後の飢餓の経験が人々をそう仕立てたという。


 おかしいな。メニョを飢えさせたことは無いはずなのだが。むしろ、好き放題食わせすぎてこんなに大きくなったのだが。私をもおっきくしたいのか。無理だぞ。


「にゃ」


 メニョが袋麺を持ってきて食卓に置いた。メニョは気が利くなあ。食いきれぬ我が身が恨めしい。4人くらいに分身したいよ。


「食べたいけど、おなかいっぱいなんだよ。」

「ふあ」

「一袋煮たら、残っちゃう。さすがにラーメンのふやけたのは、弁当に入れてほしくないし。」


 残り物は翌日の弁当というのは我が家の王道である。でも、ふにゃふにゃの麺をおかずにおかかごはんというのはあまり心が弾まない。隣からいちいちケチをつけてくる同僚の視線も気になる。


「なふう」


 メニョは口の中でもごもごネコ語を呟くと、諦めてぽてぽて足音を響かせてどこかに行ってしまった。寒いのに、ストーブ前に陣取らないでお出かけとは珍しい。どこに行ったのやら。


 なんてことを考えているうちに胃が内容物を腸に送り出してくれんかな、と期待したが、我が胃袋は昔から低性能で売っている。しばしば故障もする。昭和の遺物なのに叩いても治らない。おなかはいっぱいなままだ。さあて、締めをどうするか。麺は諦めて、冷ご飯でも一口分突っ込むか。


「にゃーん」


 じゃーん、とメニョが言った。気がする。顔を上げると、メニョが袋麺に向けて金づちを振り下ろすところであった。ばふん。


「おい、おい、乱暴はやめい。あれー、殿が御乱心じゃ。」

「ぬん」


ああ、幾度も下される鉄槌。袋麺にいかなる非があってこのような仕打ちを与えられるのか。ハラハラしているうちに袋はヨレヨレになり、終いにはぽんと少し口がはじけて細かい麺の破片がこぼれ出した。


「ふー」

「ふー、じゃないいよ。これ、どうするの。」


 メニョは金づちをテーブルに置くと、袋の口に鋭いネコ爪を掛けた。丁度具合よく空いていた穴が広げられる。メニョは椅子の上に登って、袋を両前足で掴んだ。


「にゃむにゃむ」


さら、さら、と砕け散った麺が土鍋に振りかけられる。ベビースターラーメンの方が長くないか。


「ふあ」


途中で手を止めて、メニョがこちらを見た。何か聞きたそうだ。


「麺の量はこれでいかがですかってことかね。」

「にゃー」


私は鍋の中を覗いて確認した。一口、二口分くらいの断片が見える。今日はこれくらいで丁度いいだろう。


「うん、もう十分だ。」


 私がそう言うと、メニョは台所からジップ袋を持ってきて、食べかけの袋麺を片付けた。なるほど、そうして保存しておけば、次の鍋の締めにもお好きな量のラーメンを食べられるってわけね。素敵だわ。何てナイスアイデアなのかしら。


 と感心してみたが、やはり、これはラーメンではない。確かに味はラーメンなのだが、冷ご飯を入れて雑炊にしたのと見た目は大差ない。何というのか、何かが違う。私は長い物を啜りたかったのだが。おかしいな。


 おなか一杯にはなったが、どこかの何かが満たされない気持ちで私は食事を終えた。一方のメニョはというと、やってやったぜという満足感を全身で表しながら、ストーブの前で平たく伸びている。


 まあ、メニョが満足ならそれでいっか。ということにしておこう。

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