第103話

 今日も今日とて我が家の飼いネコであるメニョは身の丈四尺である。しかし、私の記憶が確かならば、初めてお目にかかった頃は他の仔ネコと同様のサイズ感であった。これは前回説明したとおりである。


 私はメニョの頭からしっぽまで、すいーっと手の平で撫でた。長い。でかい。うーむ。本当に、これ、手の平に乗るサイズだったのかなあ。もっとも、我々ヒトだって、女性のおなかの中に納まるサイズだったはずなのだから、メニョのことをとやかく言えた立場ではない。とは言えねえ。ミニメニョって、どんなだったかしらん。


 私はまたも、過去に思いを馳せる。


 生後間もないメニョをファミリーごと目撃したものの、すぐに失踪、その後時を経て奇跡的に再会したが、我々はすぐに別れた。絶望的に熱い真夏の昼間だけ扇風機の下で休戦協定を結び、日が傾いた頃に我々は別れて互いに己の道に戻ったわけだ。


 これにて、ネコとのお付き合いは終了。私はそう考え、家の中であれやこれやの雑事をこなし、ネコのことはすぐに頭から蒸発して消えた。


 ところがどっこい、仔ネコの方は意外と記憶力が良かった。夜分に私が小用で外に出ると、何と、直ちに足元からぴーと聞き覚えのある高音が響いたのである。視線を落とせば、例の白黒の毛玉が落ちている。


「おいおい、母ちゃんを探しに行ったんじゃなかったのか。」

「ぴー」

「ふむ、分からん。」


しゃーはやめたらしいが、それでも純ネコ語と人類は分かり合えない。が、私が考えを巡らしている隙に、仔ネコはすーっと当たり前のような顔をして玄関に入ってしまった。何だ何だ。勝手知ったる我が家かな、という様子ではないか。この辺りから既に、現在のメニョの風格が感じられるような気もする。


 とにもかくにも、仔ネコは置いてあった靴を足掛かりにして玄関の段差を這い上がり、勝手に家の中に突入した。よく覚えているもので、昼間に私と扇風機に当たっていた部屋へ真直ぐ向かう。そして、小さい体で堂々と座布団を占拠し一声上げた。


「ぴー」


 それは、扇風機を付けろという催促か。ちっ。何て厚かましいガキンチョだ。しょうがないので、私は扇風機もピーと鳴かせて一番弱い風で作動させた。


 仔ネコは満足そうに丸くなる。丸まると、ネコというよりはただの毛玉だ。私は指先でそっと毛玉を撫でた。ふわっと毛が生えているから分かりにくいが、ガリガリで肉が無い。こいつ、ちゃんと母乳を飲んでいたのだろうか。要領が悪くて他のきょうだいに全部取られたとか、母の乳の出が悪かったとかじゃないのか。あるいは、あの灰色母ネコとはぐれて、結構経っているか。


 よくよく見れば、目は目ヤニだらけで、毛を透かして小さな黒い虫が皮膚を這いまわっているのが見える。こりゃ、ノミか。鼻も詰まっているのか、息をするたびぶーぶー音がする。100点満点健康不良児ではないか。


 しょうがないなあ。とはいえ、動物病院は閉まっている時刻だ。それは明日以降に回すしかない。それよりも、だ。私はすべきことがあるのだ。


 私は仔ネコを置いたまま、急ぎ小用を済ませに外に出た。ドラッグストアであれこれと買うものがあるのだ。涼しい店内をうろうろしていた私は、ネコ用のミルクだの哺乳瓶だの、仔ネコ用品があれこれ置いてあるのに気付いた。こんなものを売っているとは。私のように、不意打ちではぐれ乳児純情派と遭遇する人が多いのだろうか。折角なので、ついでに買い求める。


 帰った私は、洗った哺乳瓶にネコミルクを入れてみた。見た目と匂いはただの乳である。赤子に与えるならミルクは人肌程度に温めるものなのだろうが、気温が33度なのだ、常温で良かろう。むしろ冷たい麦茶を飲みたいよ、私は。


 こうやって私がごそごそしていると、落ち着かないのか、仔ネコがちょろちょろと周囲を這いまわる。大きめのチョロQのようだ。それを捕まえて、私は哺乳瓶の先を押し付けてみた。ゴム臭いから駄目かとも思ったが、よほど腹が減っていたのか、仔ネコはすぐに食いつく。よしよし。良く飲んでおるわい…と思ったのも束の間、何故か口周りがびしょびしょである。


「飲むの下手だなあ。実は哺乳類でないんじゃないのか。」


 呆れつつ観察してみると、どうもこやつは哺乳瓶の乳首にあたる部分をやたらに噛んでいる。乳首を咥えてチュウチュウ吸う感じではない。乳搾り状態だから漏れるのか。


 いや、そうではない。こやつ、既に歯が生えておるのだ。空になった哺乳瓶を眺めた私はそう結論付けた。新品のゴムの先は哀れに噛み千切られ、首の皮一枚という体でぶら下がっている。これじゃあ駄々洩れして口元がびしょびしょになるわけだ。喜んでミルクを飲むから乳児だと思ったが、もう固形食で良いんじゃないのか。


「おいおい、そういうことは事前に申告したまえ。扇風機の催促より先にすべきだろうが。要らぬものを買ってしまったわい。」

「ふーん」


 私はぶつくさと文句を垂れたが、当の仔ネコはロクな返事もせぬまま寝落ちしてしまった。いいご身分だぜ、まったく。


 こうして、私とメニョの共同生活は幕を開けた。今度こそ、本当にスタートである。さしもの私もこの毛玉をしつこく外に追い払うことはしなかったし、試しに仔ネコを外に誘ってもちいとも興味を示さなくなったのだ。どうやらこやつは、この幼さにして家族を離れ、家ネコになるつもりで我が家の戸を叩いたとみえる。さすがは我がメニョである。栴檀は双葉より芳し。仔ネコのうちから賢さ満点だ。


 そんな小メニョも、動物病院にて然るべき処置を受け、ネコ餌を好き放題もりもり食べるうちに、いつの間にやらモフモフな身の丈四尺になっていた。仔ネコなど育てたことが無いので、食べたいだけ食べさせていたのが原因だろうか。金魚など、飼育する鉢に大きさに見合ったところまで成長すると言うではないか。ネコもまた、与えられる食餌量に見合ったサイズに自然となるのかもしれぬ。


 もっとこまめに成長の記録を写真にでも取っておけば良かったと思うが、生憎とそういう習慣が無く、殆ど何も残っていない。僅かな数枚の写真だけが、メニョがかつて文庫本と同じくらいの大きさであったことを教えてくれる。


「なあ、何食ったらそんなにでかくなるんだ?」

「ふあー」


うむ。ネコ缶とカリカリである。分かっちゃいるんだが、この巨体、不思議でならぬ。


「メニョ、母ちゃんのこと覚えてるか?」

「にゃむ」

「あの灰色ネコは、よくある大きさだったような気がするんだけど。父ちゃんがでかかったのか?」

「なーふ」


答えは不明瞭である。もっとも、ネコなんて父親が誰なのかは子どもにも分からんだろうが。


 まあ、何でもいいや。現にこうして、メニョは私の傍らにいて、ガッツリ抱きついても受け止めてくれる大きさである。頼もしい。小メニョが居住地として我が家を選択してくれて良かったというものだ。


 メニョの幼き日の記憶は、また思い出したら語ろうと思う。もしかしたら、この巨大さの原因が思いつくかもしれない。いや、それは永遠の謎だろうな。

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