第四十話 パンティオン

 もう、どれくらい歩いただろうか。

 随分と進んだはずだ。後ろを振り返ると、入口は豆粒のように見える。一本道を罠が無いか確かめながら進んでいると、体力より神経がすり減るようだ。だから、思ったより時間はたっていないのかもしれない。そのせいで、三人はピリピリとした緊張感を漂わせていた。


「あのぉ、ちょっと聴いてほしんだけど」


 その張り詰めた緊張感に耐えきれなかったのか、ルシアが恐る恐る口を開いた。


「なんだい?」

「あのねぇ、二人とも気付いていると思うけどぉ、なんだかおかしくない?」


 ルシアが言おうとしていることは分かる。


「おかしいって何だよ」


 ボックスも分かっているのだろうが、確認の意味も踏まえて聞いているのだろう。どうしても不機嫌な口調は隠せない。待ち伏せをするならば、隊列を行かせて背後から奇襲を加えるのが最も効果的だ。殿しんがりを務めるボックスは、前も見ながら後ろにも気を配らなくてはならない。だからか、かなり神経を尖らせている。


「いやね、この建物の外寸を測ったわけでは無いけどぉ、どう考えてもおかしいよねぇ」

「確かにそうだね。塔から見た感じだと、そろそろ裏側に出ても良さそうだ。」


 見えている範囲だと、まだまだ通路には先がありそうだった。



 それから二つ目の松明が燃え尽きた時、昼食がてら少し長めの休憩を取ることにした。食事と言っても、携帯用の堅パンと干し肉を頬張り、水で流し込む程度だ。

 オレウスがくれた妖精族の美味しい堅パンと違い、歯が欠けそうなくらい硬くて不味い。しかし、栄養だけは多いと生産職は言うが、それを信じている戦士はいない。ただ、水分を含ませると何倍にもふやけるので、少量でも満腹感を味わうことができた。


 辺りは、あまりにも静かだった。

 極度の静けさは耳が痛くなると言うが、口の中で堅パンを砕く咀嚼音が響いているようで不安になってくる。

 見晴らしも良く、天井から煌々と照される光がありながら、ヒタヒタと何かに迫られている気配に囚われて、恐怖感が湧き起こる。

 普段はおしゃべりなルシアも、こんな時は軽口を叩いて場を和ますボックスも押し黙ったままだ。早々に食事を終わらせようと堅パンにかぶりついていた。


 三人は、食事を終わらせると、直ぐに探索を開始した。あまりにも、この場の雰囲気に耐えられなかったからだ。だが、無機質な通路は変わらず、まだまだ続くようだ。


 三本目の松明が燃え尽きようとしている時、前方の景色が変わった。いや、変わったというか、行き止まりになっているのが見えたと言うべきか。表の門と同じく、銀の蔦に絡みつかれている黒い板が、通路を塞いでいたのだ。


「またかよ……」


 ボックスが不満げに呟いた。そうは言ってはいるが、どこと無く安堵感を漂わせている。


「ほんと、ほんと、安心したよぉ。永遠と歩かされるかと思ちゃった」


 ルシアが、代表して三人の胸の内を明かしてくれた。しかし、まだ安心するのは早いかもしれない。この扉の先がどうなっているのか分からない。また、同じ通路が続くのかもしれないのだから……。


 クローは、導かれるように中央の文字の円に触れた。やはり、表の門と同じく何かを吸い取られる感覚を覚え、門が開いた。


 

 ◆

 


「…………」

 

 驚きのあまり言葉が出ないとは、このような時に使うのだろう。三人は、口を開いたまま微動だにせず、ただただ、眺めることしかできなかった。

 

 誰かが息を吐いたのが聞こえた。

 もしかしたら自分が立てたのかもしれない。目の前の光景は、何と表現すれば良いのだろう。


『壮麗』だろうか。


「すっご〜い! 完璧な円蓋建築様式だよぉ〜! こんなの妖精族の書物でも見たこと無いぃよぉ!」

「お、おいルシア! 待て! 待てよ〜〜〜」


 ルシアが奇声を上げて飛び跳ね、そして走り出した。暴走状態に入った彼女を止めようとボックスが追いかけて行った。

 

 その部屋は、いや、もはや部屋とは呼べない。円形の大きな広間で、中央の台座には美しい女性の石像が建っている。天井は円蓋えんがい様式となっており、格間かくまにはガラスのような素材が使われて、白い雲が緩やかに流れる青空が見えている。そのため、室内にも関わらず、とても明るい。

 しかも、驚いたことに、天井を支える柱が無いのだ。どのような原理で天井が落ちてこないようにしているのか、クローには理解できなかった。


 驚くべきことは、もっとある。

 内壁には、色鮮やかな壁画が描かれている。この街が放棄されてから、少なくとも百年は経っているはずだ。なのに、色は褪せることなく、鮮やかさを保ったままである。

 

 その壁画は、どうやら物語仕立てになっているようで、入口から入って左手から始まっているようだ。作物が実り、豊かさと多種族が交わったとても平和な絵が描かれていた。

 

 やがて平和な日々に別れを告げる絵になった。火山の爆発が描かれると楽しげな世界が一変する。人々が手に武器を取り、争うような場面が描かれて、大地が血と死体に埋もれていく。その中心には、歪な形をした虹色の衣を纏った種族がいる。


 次の場面では、羽を生やしたトカゲのような種族が空を飛び、その後ろに羽根を生やした種族たちが続いていく。大地には、巨大な人型の者が盾と槍を持ち、槍から閃光を放っている。それが巨大だと分かるのは、色々な種族が足元に描かれていたからだ。


 そして世界は、大地が裂ける大地震が起こり、街は炎に包まれ、嵐が巻き起こり大洪水に見舞われていた。多くの者が倒れ、まさに地獄絵図とはこのようなものなのだろう。虹色の種族との戦いの激しさを物語っていた。


 終わり間近になり、場面が詳細に描かれるようになってきた。

 ついに反撃の時が来た。虹色の種族を打ち倒し、追い詰めている。そして、それぞれが、黄、赤、紺、燈、青、緑色の装備を纏った六人の戦士が、紫色の者を取り囲んでいた。

 壁には、六つの壁龕へきがんがあり、美しい女性の石像が置かれていた。きっとこの女性たちが、壁画にある六人なのだろう。


 壁画は、白い光に包まれた紫の者が、黒い箱に入れられる所で終わった。



 全ての壁画を観終わったクローは、中央にある女性像へ向かって行った。

 大抵このような像は、大きく造られるものだが、彼女は等身大の大きさだ。クローより少し背が高いくらいだ。

 この像は、白い材質の石で滑らかに造られている。まるで生きている女性を瞬時に石化したようで、長い髪もドレスの布も風に翻るように生々しく、精巧に彫られている。

 彼女は、台座に突き刺している剣の柄頭に右手を被せて、左手には球体を戴いている。その美しい顔には、慈愛に満ちた優しい微笑を湛えていた。


「フィデス……」


 クローは、像の前まで来ると自然に跪き、胸に手のひらを当てて祈りを捧げる。彼女の足元にある供物台には、黒い柩が置かれていた。

 

 

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