そっと包むようなハーモニー

 

 ウォーターベッドに綺麗に洗われた真っ白なシーツ。

 そこに仰向けに寝る川原。

 上下に揺れるミキ。

 あの携帯電話の動画の女よりずっと高い声。



 ホテルに行こう。

 悩んで悩んで、やっと絞りだした言葉は露骨な下心だった。

 空気が凍りつく様な冷たい沈黙が流れた。

 暫く流れたその沈黙を破ったのは、ミキの吹き出す様な笑い声だった。

 この変態、とミキは川原の肩を何度か小突いた後、いいよ、と続けた。

 行こっか、と川原の手を握った。



 安いラブホテルの一室でことが終わり、疲れはてた二人。

 仰向けのミキ、うつ伏せの川原。


「男ってさぁ、前戯は念入りなのに終わったあと……後戯っていうのかな、そういうのはほったらかしだよね」


 ミキは天井の染みを数えていた。

 身体はまだ火照ったままで、しかし心がゆっくりと冷めていくのがわかる。

 眠れない時に羊を数える様に、一つ染みを数える度につい先程の出来事が嘘のように溶けていきそうだった。


「あー、うん、ほら、そういうのだと出したら終わりだし。そういうので育つからね、男ってもんは。あと、ほら、賢者タイムってやつ?」


「けんじゃたいむ?」


 ミキは川原の方に視線を向ける。

 川原はシーツに顔を埋めていた。

 久し振りなんだ、と恥ずかしそうに言っていた獣の面影は今はもう無い。


「知らない? 男ってさ、出したら自分でもビックリするぐらい淡白になるんだよね、性欲に関して。むしろ、虚しくなるって言っても過言じゃない」


「じゃあ、今は虚しいの?」


 人と行為に及んでおいて虚しいとはなんたる言い種だろうか。

 ミキは腹が立って、川原の頭にチョップした。

 川原は、いてっ、と言うだけで微動だにしなかった。


「いやぁ、虚しくなるのは独りの時だって。俺って何してんだろ、って」


「何してんだろって……そういや、何してんの? 山野さんの同僚ってのは嘘なんでしょ?」


「バイト。コンビニで深夜、昔のバイト……あー、原田さんと一緒に働いていた時より安い時給で」


「……マキ」


 ミキの呟きに川原は顔を動かして、ミキの顔を見た。

 ミキも川原の顔をじっと見ている。


「マキ。忘れちゃったんでしょうけど、名前で呼んで。ミキはそういうの用の偽名だし」


 忘れたわけじゃなく、呼んだことがないんだけど。

 喉まで込み上げた言葉を川原は飲み込む。


「マキ……さん」


 それでも勇気が出なくて“さん”を付けた。

 今度は川原の頬にチョップが降ってきた。


 

「マキ……は、何してんの?」


 頬に当たるマキのチョップを川原は手で掴む。

 その柔らかな感触が心地良くて、ゆっくりと指を絡めた。

 マキの指も求めるように絡んでくる。


「人妻」


「それは嘘じゃないんだ」


「嬉しい? 人妻って、男は弱い言葉なんでしょ?」


「何情報、それ?」


「んー、週刊誌?」


 絡めた指の動きに冷めた気持ちが、また火照りだした。

 川原は上半身を起こし、引っ張られる形でマキの上半身も起こされた。

 互いの指が絡んだ指から離れ、互いの顔に触れる。


「嬉しいよ。でもそれは、俺がずっとマキを抱きたかったからかな」


「ずっと? あの頃から恋心抱いてたとか?」


 互いの指が互いの輪郭をなぞり、唇に触れる。


「いや、若いころの性欲の心残り」


 何それ、とマキは嬉しそうに笑みを浮かべる。

 動く唇を川原は優しくなぞる。


「モテない男ってさ、愛だ恋だなんて自信もないし他人事なんだよ。ただただ性欲にかられてるだけ。だから、ちょっとでも関係を持てる女なんて全部ヤりたい女になるの」


「最低な告白だね」


 だね、と同調して川原はマキと唇を重ねた。

 生き物のような舌が絡み合う。


 川原の手が顎から首へとなぞりながら下がっていき、マキのくっきりとした鎖骨に触れる。

 舌は忙しなく絡み合う。

 鎖骨をなぞる川原の手をマキは掴んだ。

 もう片方の手も掴み、川原の手を自分の首に持っていく。

 その動きに驚く川原からマキは唇を離した。


「ねぇ、しめて」


 ゆっくりと動いたマキの口が言葉を一つ一つ囁く。

 マキの手に掴まれた川原の手は動かなかった。

 動けず、マキの細い首の感触を感じていた。


「力入れなくてもいいから」


 マキの口は目の前で動くのに、声は後ろから囁かれてるようだった。

 川原は人差し指と中指を首に押し込んだ。

 ん、っとマキは吐息を漏らす。


「サトシは、なんでそんなに自分のことさらけ出してるの」


「……救われたいんだよ。やる気も根気も無くて、仕事コロコロ変えてさ。生きる目的も目標も無いから、やっすいバイトでこなしてって。生活はかつかつで遊び金無くて、それで友達なんてのは自然消滅しちゃって――」


 川原は親指に力を入れた。



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