⑨
隆地が消えると、その向こうに目を丸くしたヘルキスが立っていた。
ルックは剣から目を離し、どうやら彼が自分と話しにきたのだろうと思い、自分の方から声をかけた。
「こんにちは。何か用ですか?」
ヘルキスはすぐに驚きをしまい込み、真剣な口調で話しかけてきた。
「お前の名を聞こう」
「僕ですか? 僕はルック。フォルのルックです」
ヘルキスは比較的背が高く、少し肉付きのいい男だ。全身複雑な模様をこらした鎧で身を包み、頭にも金カーフススの糸をふんだんに使った兜をつけている。兜は額の部分に角の付いたもので、その角の左右には透明な宝石、アニーが使われている。ルックは知らなかったが、彼が鎧の下に身に付ける胴着も、丸々金カーフススの糸で織られたものだ。手に持つ大斧は、旋風斧という魔法具で、誰がどう見ても魔装兵というなりだ。
「ほう、フォルキスギルドの者なのか。私はヘルキス。まあ、知っていような。このような者が育っていたとは、父も鼻が高いだろう。ルック。ルックか。そう言えば昨日アラレルがそんな名前を言っていた。お前がそうか」
ルックはこのヘルキスという男を知らなかった。しかしヘルキスという名前と、彼の言った父の鼻が高いというので、彼が誰なのかを悟った。
「あなたはギルド長の」
ご子息という言葉が咄嗟に出てこなかったルックは、それだけで話を切った。ヘルキスはルックの言葉に頷いて見せ、それからすぐに背を向けた。
「この戦争が終わり、互いに生き残れば、また会おう。悪くはない話がある。
では、武運を祈る」
ヘルキスはそれだけ言うと悠然と広場を立ち去った。
それからルックは寝所に決めた民家に戻り、足りていなかった睡眠をとった。
明日もカンが同じ戦法で来るなら、また自分の仕事になるだろう。日が暗くなる頃にはまた自分の夜番がある。疲れを残さないため、ルックは意識的に興奮する頭を沈め、眠りに落ちた。
夢の中で、ルックは再び不思議な体験をした。
緑の生い茂る暗い森の中だ。木は一本一本の樹齢が長いのだろう。どれも太く、背が高かった。木には蔦が巻き付いていて、湿った地面にはむき出しの根に苔がむしている。
どれも非常に現実感がある物だったが、ルックが夢だと気付いたのは、辺りに生物の気配がまるでなかったためだ。まるであらゆる生物が寝静まっているかのように、その森は静かだった。
ルックはそれが自分の夢ではないと分かった。理由を聞かれると彼にも答えられなかっただろうが、とにかくこれは自分の夢ではなかった。
その夢を見ている者は、ルックのすぐ目の前にいた。ルックと歳のそう変わらない、薄緑色の髪の少女だ。森の妖精かと思えるほどに儚げな少女だ。歳はおそらくそう変わらないが、背はずいぶん低い。ルーンよりも頭一つ分低いだろう。少女はルックが現れたことに驚いたような顔はしていなかった。
「待ってたわ」
少女の口調はどこか横柄だった。挑むような声だ。ルックの目を穴が開くほどに見つめる目には、気高い自信が伺えた。
「私はあまり長く夢を見ないから、ここにはそう長くいられないわ。あなたが十五のときに、森人の森のラフカという集落を訪れなさい」
少女は命令口調だ。ルックが自分に従うものと、信じて疑わないようだった。
「それはできない。十五になったら、旅に出るんだ」
ルックはリリアンと約束をしていた。ルックは咄嗟にそれを思いだしたのだ。少女はルックに断られたことに、苛立ちを隠そうともしない。
「それならその旅の最初に、ラフカに寄ればいいじゃない。私の言うことが聞けないの?」
ルックには何がなんだか分からなかった。ルックはその少女を知らないし、こんな横柄に言われる覚えはない。しかし少女は矢継ぎ早にルックを責め立て、強引にこの約束事を決めてしまった。そしてルックが彼女の名を尋ねるより早く、夢の世界は歪みだし、立ち消えた。
ヘルキスにしろその少女にしろ、ルックの意志はお構いなしにルックの未来に関わろうという。それをルックは何となくおもしろくないと思った。今までルックは特に大きな目標もなく生きてきた。フォルキスギルドのフォルとして、もしかしたらシュールのように子供を育てていくのか、それとも結婚をして、家族を守っていくのだろうか。未来の構想はどれも漠然としていて、どれも少しだけ腑に落ちなかった。一番の望みはシュールたちとずっとアレーチームを続けることだが、それも叶わないことだということは分かっていた。
リリアンと一緒に大陸中を旅して回る。それはルックにとって今までで一番魅力的な将来だった。
今のルックには、それ以外のことは全て煩わしくすら思えた。まだ見ぬ外の世界に夢が膨らんでいたのだ。
だがとりあえずはこの戦争だ。目の前のこの事実をないがしろにできないことくらいは、ルックも分かっている。
それもあってみんなこの戦争が終わったらとか、ルックが十五になったときと言うのだろう。
戦争の終わりは近づいているように思えた。あの少女もヘルキスも、そう感じているのだろう。敵は長期戦を望んでいるようだったが、実際にこの戦争はもう長期戦にはならずに終わる。
ルックは床に敷いた敷物の上で目覚めた。見張り番に付く時間だ。ルックは朝よりは大分ゆっくり居住まいを整え、脇に置いてあった剣を取った。
民家の中はすでに暗かった。防壁の影になるここは、夜の訪れが早いようだ。暗闇に目を凝らしながら、ルックは民家を出る。外は篝火が焚かれているため、少し明るい。しかしその篝火も向こうの広場で焚かれているので、この民家の面する路地は薄暗かった。ルックは防壁に向かって歩く。
防壁は内側に螺旋状の階段がいくつも付けられている。ルックはそれを一段一段登っていった。
石造りの階段は、数年間ほとんど使われていなかったのだろう。所々に蜘蛛の巣が張っている。
ルックがその階段の半ばほどまで登ると、上から数人の兵士が談笑しながら下りてきた。六人の男女がルックと階段で顔を合わせた。
「おう、お前あの大地の魔法師じゃないか。なんだか部隊長が広場に集まるように言ってるらしいぞ。上は少しの見張りを残して来てるから、お前も広場へ向かった方がいい」
「ヘルキスが? 何か作戦の変更でもあるのかな?」
「さあな」
「へー、なんか思ってたより普通の子だね。もっと冷たい感じの子かと思っていたよ」
「確かにな。天才少年なんて聞くと、エリートな感じがするからな」
「そりゃお前ら、ひがみって奴だろ」
六人は仲が良いらしく、ルックの一言からどんどん話を膨らませていった。ルックは先に下りるのが何となく気まずかったので、彼らを先に行かせ、後ろから階段を下りていった。
一番後ろに立っていたのは、小柄な黄色い髪の女性だった。彼女は年少のルックを気づかって、優しく声をかけてきてくれた。
「あなたは本当にすごいわね。お姉さんも長いことフォルをやってるけど、あんな早打ち見たことないわ」
彼女のその言葉に、前から「誰がお姉さんだ」と茶々が入る。ルックは子供扱いし過ぎな女性の話し方に、少し苦笑いした。しかし折角の好意に恥をかかせるのも悪いと思い、子供らしく答える。
「僕のチームのシュールは、もっと大きな魔法を早打ちするよ。お姉さんはシュールを知ってる?」
ルックがお姉さんと言ったのに気をよくしたのか、女性はルックの問いに答え、さらにいろいろな話をし始めた。
やはり彼女の話し方は、少しルックが恥ずかしく思うほど馬鹿丁寧だった。当たり障りない会話だったが、ルックはそのやりとりに次第に疲れを覚え始めた。
そのためルックは広場にビラスイの姿を見つけると、これ幸いとばかりに彼の元に近付いていった。
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