イノリとアーシャの学院潜入記~霊峰の血族当代、山から下りてきたけど早く仕事終わらせて帰りたいです。ね、アーシャ?~
にゃー
第一章 春――『学院』に潜む影
第1話 指令
「――イノリ、起きて。起きなさい」
「……んぇー……?」
心地良い微睡みから、心地良い声に掬い上げられる。
窓の外は確かに明るいけど、起きるにはまだ少し早い気もする。
「……あーしゃぁ……?」
ちょっとの抗議を込めて名前を呼んだら、視界いっぱいに、サクラ色の天蓋が降りてきた。
目覚めない頭のまま、何となしに、彼女の長くてさらさらしたそれを指に絡める。
「お父様が来てるわ。指令、だそうよ」
「……んぁー……?」
『指令』の二文字に目をぱちぱちさせたら、こっちを見下ろすアーシャの顔が良く見えた。眉間にはしわを寄せて、鋭い目尻をいつも以上に尖らせた顔が。
綺麗な碧の瞳には、心の底からの「面倒臭い」が浮かんで見える。
「……わかった……おきるー……」
アーシャと同じくらい面倒な気持ちになりながら、どうにか意識を浮上させて。
こんなに唐突にやってくる指令が、ろくなものなはずもないけど。
せめてものやる気を振り絞ろうと、髪を梳く指をさらに伸ばした。
「……あーしゃぁ……」
「何?」
人差し指と中指で、ぴんと尖った彼女の耳を軽く撫でる。
「おはよぉー」
「……おはよう」
くすぐったそうに、少しだけ目尻を緩めてくれた。
◆ ◆ ◆
「――で、父様。こんな朝早くからうちに何の用?」
わたしとアーシャの住む小屋は、集落の中でも少し離れたところにある。
父様の家は比較的近くだけど、だからって朝からいきなり来られて、気分が良いわけもない。
何の用もなにも、
「そんなに早くもないと思うけどね?」
テーブルの対面に座った父様は、いかにも穏やかそうな顔をしながら、そんなことを言うけど。
「私達にとっては、十分に早朝です」
わたしの隣、不機嫌なのを隠しもしないアーシャが、ずばっとはっきり言ってくれた。まあ、機嫌悪いのはわたしもだ。
「そうそう。わたしたちはゆったりまったり……なんだっけ?」
「スローライフ」
「そうそれ。スローライフを営んでるんだよ」
「その若さで隠遁者みたいな生活はどうかと思うよ?」
「実際、隠遁者のようなものじゃないですか。この集落自体が」
じとーっとした目で言うアーシャの言葉通り。
人里離れた霊山、何て言われてるらしいこの山の中で生きるわたしたちが、隠遁者じゃなくて何なのかって話。
「いやいや、一応僕たちはお上に仕える身、言うなれば公僕だからね?」
卑屈にもほどがある言い方だけど、これまた実際その通りなんだから、悔しいけどあまり強くは言い返せない。山籠りのしがない公僕だ。
「はいはい。その公僕として、指令をこなせっていうんでしょ。さっさと本題に入ってよ」
「え、これ僕のせい……?ああいや、うん。そうだね」
黒い短髪をひと掻き、父様が何枚かの紙の束を取り出した。
テーブルの上を滑らせて、わたしの元へ。
「……『王都内学術研究・教育機関『学院』への潜入捜査に関する指令書』……?」
表紙の一番上におっきく書いてある表題をそのまま読んで。意味を良く飲み込めないうちに、アーシャがほとんど反射的に口を開いた。
「……長いですね」
「役所のする事だからね?」
「というか……王都、潜入って……これ……私達が、ですか?」
「正確にはイノリが、だね。アーシャは付き人として同行すると、既に伝えてあるよ」
「本気ですか?」
「お上は本気らしいね?」
「そんな……でも私達は、今まで一度も……」
二人のやり取りを聞いてるうちに、ようやく飲み込めてきた。いや、こんな指令、今までにはなかったものだから、ちょっと思考が止まっちゃってたみたい。
「てっきり、またこの山に流れてくるって話かと」
そういう、いつものやつかとばかり思ってたよ。
「や、『流れ者』は君達が、三年前に派手にやってくれたじゃないか。おかげでここらはしばらく安泰」
「……だからこそ、ですか」
「だろうねぇ。霊山が安定している今だからこそ、君達に山から出てきて貰いたいんだろう」
「…………」
さっきよりもうんと眉間にしわを寄せて、アーシャは黙り込んでしまった。
わたしたちはずっと、この山で生きていくとばかり思っていたから。きっと凄く驚いてるんだろう。わたしも勿論、びっくりはしたけど。
「……分かったよ。いつから?」
「ちょっと、イノリ!?」
いやいやながら頷いたわたしに、アーシャが悲鳴みたいな声を上げる。
「春に学院の新年度が始まるから、それに合わせて入学って形にするらしいよ?」
ぺらぺらと指令書をめくってみれば、確かに父様の言うようなことが書いてあった。
「本気で行く気なの?」
不安げに目尻を下げるアーシャ。
わたしだって行きたくはないけど、駄々をこねられる話でもない。だから突発的な指令は面倒なんだ。
「気乗りはしないけど、無視するわけにもいかないでしょ。わたしたちは公僕、なんだから。ね?」
恨みを込めて父様を睨む。もちろん、全く効いている様子はない。
「まあそれだけ、イノリが高く評価されているってことさ。外へ連れ出して、仕事をさせたいって考えるくらいにね?」
「……だから『お上』とやらは気に食わないのよ……」
わたしよりもずーっと憎々しげに、アーシャが溢す。
ちょっと、ううん、かなり嬉しくなりながら、わたしはテーブルの下で彼女の手を取った。
「面倒ではあるけどさ、一緒だったら大丈夫だよ。たぶん」
外を知らないわたしたちが、突然大都会の学院とやらに放り込まれて、どうなることか想像も付かないけど。
でも、アーシャが居るっていう点は、ここだろうとどこだろうと変わらないから。そこだけは安心できる。
「…………」
「…………」
揺れていた碧の瞳が、焦点を合わせるようにして、わたしの瞳を確かに捉えた。
「……多分じゃないわ。絶対、よ」
やっぱり不機嫌そうなまま、それでもアーシャはそう言ってくれた。
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