第13話 ジョブペディア

 地獄のレッドキャップ狩りが始まった。


 数時間かけてひたすらレッドキャップを倒し続け、疲れがみえたところで安全地帯セーフエリアに戻る。

 そんな行動をひたすら繰り返す日々が、これからしばらくのあいだ続くのだ。


「思った以上にキツいな、これ」


 かれこれ100匹以上のレッドキャップを倒したラークが、思わず呟いた。


 同じ魔物と戦い続けるという行為は、想像以上に疲労を誘った。


 それに弱いとはいえ相手は魔物である。

 油断をすればダメージを食らうし、運が悪ければ命を落とすこともある。


 実際、このレッドキャップ狩りで死亡する冒険者も少なくないのだ。


「よう、調子はどうだい?」

「全然だね」

「まだ何日も経ってないし、焦んなくてもいいでやすよ」


 ふたりとは、少しずつ距離が縮まっていった。


 互いの素性を明かすほどではないが、ちょっとした身の上話くらいはするようになっている。


「俺ぁ人付き合いが苦手でなぁ。できればソロでやっていきてぇんだ。それに、腕っ節にも自信があるしよ」


 スキンヘッドが【武闘僧】を目指す理由がそれだった。


 【戦士】のソロだと、どうしても回復をアイテムに頼る必要があり、なにかと費用がかさむ。

 その点【武闘僧】は自己回復ができるので、ソロに向いているのだ。


「あっしは最近耳が悪くなっちまってねぇ。で、索敵もできねぇ斥候に用はねぇってんで、パーティーをクビになっちまったんでさぁ」


 猫獣人が、寂しげに語る。


 【斥候】もソロには向かないジョブだ。

 〈気配察知〉などのスキルを有してはいるのだろうが、やはり五感の衰えによる勘の鈍りというのは、索敵にかなり影響を及ぼす。


「引退も考えやしたけど、最後にもうちょっとだけがんばろうと思ったんでさ」


 猫獣人はそう言って自嘲気味に笑う。


 ふた月ものあいだ成果がない彼の心は、今にも折れそうに思えた。

 

○●○●


 ラークが『塔』に潜って、10日ほどが経ったときだった。


「見てくれ! 出た!! ついに出たぞー!!」


 ラークと猫獣人が休憩しているところへ、スキンヘッドが嬉しそうに叫びながら駆け込んできた。


 彼の手には、分厚い本があった。


「見てくれ、これが俺のジョブペディアだ!」


 ジョブペディア。


 それこそ、ジョブチェンジに必要なアイテムだった。


「おめでとう。よかったね」

「おう! ひと月足らずで出るとは、ラッキーだったぜ」


 スキンヘッドはジョブペディアを片手に袋小路のいちばん奥までいくと、壁に背を預けてどっかりと座った。


「ここで使うの?」

「ああ。悪ぃけど、見張りを頼むぜ」

「もちろん」


 ジョブペディアを使っているあいだは、無防備になる。

 なので彼は、ラークたちに見張りを頼んだのだった。


 町へ戻って使うという手もあるが、待ちきれないのだろう。

 その気持ちは、ラークにもよくわかった。


「さて、ちょっと落ち着いてから、見るとするか」


 彼はあぐらをかいた脚の上にジョブペディアを置くと、通路の隅に置いてあるバッグへ手をのばす。


 3名の男性が長く過ごしているこの場所は、ちょっとした生活スペースになっていた。

 ラークも、寝袋を出したままにしている。


「ん?」


 視界の端で、なにかが動くのが見えた。


 気づけば、猫獣人がスキンヘッドへ素早く忍び寄り、ジョブペディアに手をのばしている。


「あっ、おい!」

「あぁっ!?」


 ラークの声にスキンヘッドが反応するも、猫獣人の手が先にジョブペディアへと届く。


「あっ……!」


 だか彼の手は、分厚い本をすり抜けた。


「てめぇっ!!」


 次の瞬間、スキンヘッドの拳が獣人を顎を撃ち抜く。


「ぎゃぁ!」


 顎を殴られた彼は、数歩先まで吹っ飛ばされた。


「ふざけやがって!!」


 スキンヘッドは立ち上がると、勢いよく踏み込み、倒れたままの猫獣人を蹴飛ばす。


「ごふぅっ!」


 それから彼は、何度も猫獣人を足蹴にした。


「もうよすんだ!」


 そんなスキンヘッドの肩を、ラークが掴む。


「うるせぇ! てめぇにゃ関係ねぇだろうが!」

「ここで何日も過ごしたんだ。仲間みたいなものじゃないか」

「だがこいつは俺のジョブペディアを……苦労して手に入れたジョブペディアを……こいつは……!」

「でも、られてないよね」


 ラークがそう言って指さした先には、分厚い本が置かれたままだった。


 ジョブペディアはその人を適性のあるジョブへと導くアイテムだ。

 そのため入手した本人以外に効果はなく、触れることすらできない。


 つまり、盗もうと思って盗めるものではないのだ。


「だからってよぉ、盗もうとしたんだ、こいつは!!」

「ああ、そうだとも。それ自体は罪だよ。絶対にやっちゃいけないことだ」

「だったら……!」

「でも、もう充分じゃない? このままだと、死んでしまうよ」


 スキンヘッドに何度も蹴られた猫獣人は、口から血を吐き、鼻血を垂らしながら、浅い呼吸を繰り返していた。

 骨も何本か折れているだろうし、内臓を損傷しているかもしれない。


「くっ……!」


 確かに盗もうとした猫獣人が悪いが、実際に被害はなかった。

 もしここでやり過ぎれば、罪に問われるのはスキンヘッドのほうだ。


「……わぁったよ」


 スキンヘッドはラークの腕を振り払うと、通路の奥へと戻り、ジョブペディアを手に取って座った。


「大丈夫?」

「うぅ……ぐぅ……」


 うめき声を漏らす猫獣人に、ラークは手持ちの霊薬ポーションを振りかけてやる。

 すると、猫獣人の呼吸が少し落ち着いた。


 1本すべてを振りかけてやったあと、もう1本をポーチから取り出す。


「ほら、飲める?」


 猫獣人が小さく頷いたので、ラークは彼の頭を軽く起こしてやり、霊薬ポーションを口に流し込んでやった。


 こくこくと喉を鳴らして飲むうち、抱えている彼の身体に少し力が戻るのを感じる。


「うぅ……すいやせん……」

「まったく、バカなことをしたね」


 猫獣人は表情をくしゃりと崩し、目尻に涙を浮かべた。


「う……ぐぅ……ほんとに……すいやせん……」


 ジョブペディアを盗めないことくらい、彼も知っていたはずだ。


 だがそれでも、手をのばしてしまった。


 長期間にわたる苦行が、彼から正常な判断を奪っていたのだろう。


「さて、あっちはどうなってるかな」


 猫獣人が自力で身体を起こしたので、ラークは手を離し、通路の奥を見た。


 そこには、あぐらをかいたまま開いた本に目を落とすスキンヘッドの姿があった。


(読んでいる、というわけではなさそうだ)


 目は本を見ているが、ページをめくる様子はない。


 ただ、開いたままの本に視線を落とし、じっとしているだけだった。


「おっ」


 ほどなく、男の身体が淡い光に包まれる。


 そして10を数える間もななく光が収まり、ジョブペディアが消えた。


「終わった?」

「ああ」


 スキンヘッドが、満足げな笑みを浮かべる。

 そこへ猫獣人が駆け寄り、地面に手を着いて頭を下げた。


「すいやせん! つい、出来心でバカなことを……」


 そう言って謝る猫獣人に、スキンヘッドが手をかざす。

 すると、猫獣人の身体が淡い光りに包まれた。


「えっ……? これは、回復魔法……?」


 頭を上げた猫獣人が自身の身体に目を落とし、戸惑いの声を上げる。


「悪かったな。俺もちょいとやり過ぎた」

「ああっ、そんな……あっしが全部悪ぃんでさぁ……!」


 猫獣人はそう言って涙を流しながら、何度も頭を下げた。

 許してもらえたことが、よほど嬉しかったのだろう。


「回復魔法が使えるってことは、希望通り【武闘僧】に……いや、ちがう」


 【武闘僧】が使える回復魔法は、自分に対してのみだ。

 自身の生命力を譲渡して他者を回復するスキルもあるようだが、ジョブチェンジ直後に使えるようなものではない。


「聞いて驚け、なんと【赤魔道士】にジョブチェンジできたぞ」

「赤魔道士!?」

「す、すげぇっ!!」


 誇らしげなスキンヘッドの言葉に、ふたりが驚きの声を上げる。


 【赤魔道士】とは、黒魔法と白魔法の両方に加え、剣術も使えるという希少なジョブだ。

 へたをすると器用貧乏となる恐れもある特殊なジョブだが、ソロで活動するにはうってつけである。


「俺も『赤魔道士エドモン』みたいな、伝説を作れるかな?」

「赤魔道士エドモンって……」

「あー、いや、違うぜ。いまこの街にいる優男じゃねぇ。ひと昔前、大陸中に名を轟かせた、伝説の冒険者のほうさ」

「あー、そういえば聞いたことあるね」

「この街にいるアイツも、きっとあのエドモンに憧れてその名を名乗ってるに違いないぜ」

「まぁ、それはあるかもね」


 ラークが生まれるより前の時代に、赤魔道士エドモンという冒険者が活躍したという。

 それにあやかってエドモンとなのる赤魔道士はいまの時代にもそこそこいるのだとか。


 ラークの知っているエドモンも、案外偽名なのかも知れない。


「ま、なんにせよ白銀票冒険者シルバータグくらいは目指したいよな」


 思った以上の結果に、スキンヘッドは満足げだ。


「さて、ようやく帰れるな」


 喜びよりもむしろ安堵の表情を浮かべた彼は、自分の荷物を片付け始めた。


「それじゃ、ふたりともがんばってな」


 自身の荷物をまとめたバッグを担いだスキンヘッドは、そう言い残して去っていった。


「赤魔道士か……」


 父と同じジョブを得た男の背中を見送りながら、ラークはそう呟くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る