第二話 命召しませ紅い花

第二話 命召しませ紅い花〈1〉

 


 第二話



 剣光一閃。

 牙を剥き襲いかかってきた僵尸が、一刀のもとに両断される。

 どさ、どさ、と。切り捨てられた四肢と首が一瞬の間を置いて地に落ちた。細長い刀身をしゅるりと鞘に収め、道袍の上に革製の短外套を纏ったグウェンが短い溜息をついた。

「……お見事です、先生」

 僵尸捕獲用の罠を撤収がてら物陰から姿を現したユーリンは、今しがた獲物を屠ったばかりの師に声をかけた。

「ンなもん見事でもなんでもねェよ。連日連夜うろつきやがって、こちとら寝不足だってェの」

 食傷気味のグウェンが機嫌の悪さを隠そうともせずに答える。ただでさえ目つきのよくないグウェンの紺碧の瞳は隈に縁どられ、余計に禍々しい眼差しとなっていた。

 月下。誰も彼も――眠らない街の住人でさえも寝静まった夜更け。

 四馬路にひしめく青き楼、その一角。

 グウェンとユーリンは義荘に複数寄せられた目撃談を頼りに僵尸退治へと出向いていた。

 現に今こうして無事に標的と思しき僵尸を殺したものの、二人の表情は晴れず、どこか複雑な色を浮かべてさえいた。

「また、ですね」

「ああ、不自然なまでに五体満足な僵尸だな。これで連続何体目だ?」

「四体……です」

「はん。いくらなんでもこれが偶然ってこたァねえよなァ?」

 野良の僵尸ではありえない、極めて損傷の少ない死体。生き倒れて死んだ者や埋葬後に転化して僵尸になった者は、死体として過ごした年月の分だけ朽ちて荒れ果てている。獣に喰われ、四肢やその他の部位が欠損していることもざらだ。

「それに、こいつァ僵尸になって数日だ。死後硬直もないバンバンシーときた」

「つまり、お墓や野山から抜け出してきた死体じゃない。だとすると残る可能性は、生きながらにして僵尸に咬まれて転化したということ……ですね?」

「だが、そうだとしても不自然なことに変わりはない。オマエも知ってるだろ? 僵尸の悪食と暴食――食欲は生半可なものじゃない。たとえ生きながらに咬まれたとして、こんな五体満足な状態で体が残ったりはしないさ。成るまえに喰い尽くされちまうのがオチだ」

 グウェンは爪先で先ほど切り捨てた僵尸の頭をこつん、とやった。

「だから仮にこいつらが僵尸に咬まれ、傷を負わされることで転化したものだとすれば――それは何者かが人為的に僵尸にした可能性が高いということさ」

「人為的に……僵尸を……!」

 ユーリンの脳裏に自分が受けた非道な実験がありありと甦る。

 僵尸になるのはひどい恨みや憎しみを持って死んだ者だ。

 ともすれば眼前の僵尸も、自分と同じ仕打ちを受けたものかもしれない。

 ユーリンの翠眼に激しい怒りが渦を巻く。きつく噛み締めた歯がぎちりと鳴った。

「何にせよ、似ているからってオマエの件と関係があると決めつけるのは早いぜ。それに意図的に人間を僵尸にして仲間を増やしているとして、一体誰が、どんな目的でそんなことをする?」

「……それはッ」

 答えられなかった。ユーリンにも分からないのだ。

 だが、何者かが裏で糸を引いている可能性がある。それを想像するだけで、ユーリンの心は怒りに燃え滾り、ひどく乱れてしまう。自分を、そして大切な家族や友人を僵尸にした者たちを一刻も早く見つけ出して殺してやりたい。

「Grrrrrrrrrrrr……!」

 軋らせた歯の間から獣の唸り声が漏れていた。暴れ出した怨念は簡単にユーリンを化物に変じさせるのだ。一度スイッチが入れば、そう簡単には収まらない。

「死に急ぐンじゃないよォ、ユーリン。まずはオレの方で探りを入れてみる。動くかどうか決めるのはそれからだ」

「……あ、う…………すみません、私……」

「べつにィ~、ですよ?」

 グウェンの大きく温かな手のひらが肩に触れ、ユーリンは我に返って自らの態度を恥じた。

 無関心でいるようでいて、そうではない。グウェンはいつも必要な分だけやさしい。そう、ユーリンが人間でなくったって。……だから、余計にどうしてよいかわからなくなる。

 ユーリンはグウェンに気づかれないように歩きだすふりをして、そっと手のひらから逃れた。

 ともあれ、傷のない僵尸の連続発生に、浮かび上がる何者かの意図。

 ユーリンにはこれらが不穏な兆しにしか思えなかった。


 §


 数日後。霧雨がけぶる夕方のことだった。

 義荘も薄暮に包まれる中、起床したユーリンが夕餉の支度を始めたところに来客があった。

 霊廟の裏口まで迎えに出れば、西洋風にアレンジされた黒い背広を瀟洒に着こなし、ゆったりとした長外套を纏った若い紳士が立っていた。灰色の髪に鳶色の瞳、彫の深い顔立ちをした野性的な青年で、ちょうどグウェンとは好対照な男であった。ここは死者が帰郷を待つ場。ともすれば場違いな恰好だったが、眼前の男にはそれを打ち消すほどの風格が備わっていた。

「よっ、ユーレイ。やってるかね?」

 外見に反し、いたって気さくな調子の挨拶。紳士はユーリンを見るなり自分の胸に抱き寄せて、くしゃくしゃと髪を撫でた。挨拶というには程遠く無遠慮で、飼猫をむやみやたらに甘やかすような可愛がり方だ。おまけになんだか力も強い。

「私はユーリン、幽霊じゃなくてユーリンです。いい加減覚えてください!」

「細かいことはいいじゃないの。ほれ、もっとちこう、むちゅちゅちゅ~!」

「ぎゃ――ッ! おぎゃ――――ッ! ほんっとにどいつもこいつもォォォッ!!」

 されるがままに可愛がられていては貞操まで奪われかねない。全力で叫び半ば本気で抵抗していると、奥で書きものをしていたグウェンが慌てた様子で駆け付けた。

「ユーリン! 貴方、僕の弟子に何をしているのですかっ……てオマエ……なんだ、ルオシーか。遅かったじゃないですか」

 ユーリンを襲っていた相手の正体が知れると、グウェンは心なしか安心した調子で溜息をつき、肩をすくめた。

「悪いね。昼間の会合が長引いて、今しがた出てきたところなんだ」

「相変わらず忙しい身分のようですね」

「おれが忙しいってことは、おまえもってことだろうが」

「それはそうですがねぇ」

 腕の中でもがいていたユーリンを解放し、男はグウェンの方へと向き直る。

 男の名はラウ・ルオシー。グウェンの古くからの友人で、元来気さくで軽妙な――しかし人懐っこすぎるきらいのある青年だ。

 その表の稼業は葬儀屋で、ラウの家は上海葬儀屋最大手の上海蘭華殯儀館。ルオシーはその次男坊であった。そういうわけで、ルオシーは基本的に勝手気ままな身分を謳歌する身だが、一方で裏界隈の事情に詳しい情報屋としての顔がある。

 殯儀館にはグウェンのような道士から、棺の帰郷を専門に扱う業者まで色々な人物が出入りする。特にこの棺運搬業者、彼らがルオシーの仕事の要となっている。棺はほぼノーチェックで輸送可能な数少ないモノである。したがって、死体と棺を利用して阿片などの麻薬、武器、金塊、貴金属が輸送されることは珍しくない。結果、ルオシーは黒社会をはじめとする各方面に膨大なコネクションと情報網を持つに至り、優れた情報屋として顔を売ることになったのだ。

「それで、ルオシー。なにか分かったことはありましたか?」

「ああ。おまえたちが睨んだ通り、お客サンがたの死亡記録はなし。つまり、墓から抜け出してきた僵尸ではなく、奴らは生きながらにして僵尸に転化したバケモンってわけだ」

「ほう……その話、奥で詳しくお聞きしましょう」


 §


「――つまり、このところ僕たちが退治した僵尸は皆襲われて転化した者だということですね」

「その通り。身元も割り出したよ。三日前に出た奴の名はチョウ・ズハオ。外務当局のお偉いさんだね。こいつは前日に洋城の方で目撃されてる」

「じゃあ、その時はまだ生きていたってことですか?」

 茶を用意してもてなしつつ、ユーリンも会話に混ざる。

「おそらくは」

「……うーん」

 問題はそれがいかにして僵尸に転化したかである。哀れな獲物が誰の手にかかり、どこでどう狩られたか。知りたいのはそれだ。

「他に分かったことはないんですか?」

「あるよ。問題の四体だが、ちょっと奇妙な共通点があってね。全員都の人口に照らして社会的地位が高いことはさておき、〈大麗花レッド・ダリア〉という名のついた酒楼……秘密クラブの会員だった」

「秘密クラブ……レッド・ダリア?」

 耳慣れない単語に、ユーリンは思わず訊き返す。グウェンも怪訝そうな顔をしている。

「ん、最近になって四馬路すまろにできた新しい高級クラブさ。金持ちやお偉方しか入れない会員制の店で、洋風の……なんつうか、一風変わった芝居が見られるんだ。都の人間はたいてい芝居狂いばっかだが、またそれが珍しくて大層評判なんだと」

「でもそれって……普通の……その、書場や酒楼と、どう違うんですか?」

 この手の話題の苦手なユーリンが躊躇いがちに疑問を口にすれば、「それだよ」とばかりにルオシーが意味深な笑みを浮かべた。

「噂では楼の中心部、どこからも見つからないところに特別室が設えてあるらしい。そこには魂消えるような美女がいて桃色遊戯が楽しめるって寸法さ。吃、喝、嫖、賭。この世のどんな快楽をもってしても味わえないほどの夢をみせてくれると聞いたよ」

「……ほう?」

「ただ、客が女を選ぶのではなく、女が客を選ぶのだという。噂の美女には選ばれた奴しかお目通り叶わないってわけさ。これ、どう思うよ?」

「……まさか、その女が元凶の僵尸で、計画的に仲間を増やしている?」

「ああ。だが、現時点で怪しいのは主催者の方さ。大層陰気な男で夜しか姿を現さないらしい」

「もしかして、その高級娼婦とやらが感染源で元締めが黒幕なのでは……」

 ユーリンはグウェンの表情を窺いながら自分なりの推理を口にしかけた。だが、グウェンがそれを遮るようにやおら立ち上がる。紺碧の瞳には極大の星のきらめき。

「よし、調べてみる価値はありそうですね。というかむしろこれは是非調べないとッ、ですね!」

 グウェンは鼻息も荒く、前のめりで高らかに宣言した。ユーリンは険のある目つきで師を睨んだが、無論効力は皆無。桃色の邪気を発し始めたグウェンを止めることは叶わない。そう、グウェンにはことに色事を好むという道士としては掟破りな悪癖があった。

「は? ちょっと先生、なに言ってるんですか? 第一、私たちにはそこに入る手段なんか」

「どうです、ルオシー?」

「応。もう手筈は整っているぜ。潜入捜査だ! 虎穴に入らずんば虎子を得ずというからなっ! 安心しろユーリン、君の身分も用意してあるぞっ!」

「はぁッ!?」

「フフ……我々はどこまでも一緒ですよ、ユーリン」

 グウェンが何の仕草なのか両手の親指を立てて真珠色の犬歯をきらめかせた。

「はぁぁぁァァッ!?」

 あんたら正気なのか――。

 悲鳴と、驚愕と、抗議と。ユーリンはそれらが綯い交ぜになった叫び声を上げていた。

 こんなの、最悪だ。色んな意味で嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。

 ユーリンの小さく薄い胸に去来した悪運は、拭いさりたくても拭いきれそうになかった。

 かくして潜入調査の決行は数日後、ルオシーが準備のすべてを整え次第ということで話は纏まったのであった。



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